L'IMMORALITÀ È INCISA 背徳を刻まれる
「さすがは従者だ。ほかの使用人とはちがう」
すべての部屋の診察を終えたあと。イザイアが廊下を歩きながらおもしろそうに言った。
イザイアが説明していた通り、レナートを覗いてはおおむね患者の症状に変化はなかった。
「さあ、どうする若様」
イザイアが、からかうように問う。
ペストマスクをとりフードを退けて美貌をあらわにすると、含み笑いをした。
「どうもしない。あれが何を言おうが、仕えている者にたいして責任を持つのも主人の義務であろう」
「ヴェネツィア貴族の当主は、遺言を書くさい奴隷へも遺産の一部を渡すよう金額まできちんと書きこむが、そういうお考えの口か」
「そうするべきと教えられている」
ジュスティーノは答えた。
「奴隷とて、年季が明ければ一般の庶民だ。ひきつづき所有地内で暮らす者もいる」
「そうとなれば、波風は立てたくないと」
「そうではない」
イザイアにペストマスクを取ってもいいと手でしめされる。
ジュスティーノは、指示に従った。
「ただ単純に気にかかるではないか。人として」
「慈悲ぶかいお方だ」
イザイアが、さらにおもしろがるように含み笑いをする。
「貴殿はほんとうに分からんのか、そういうのは」
ジュスティーノは問うた。
かたわらに来た使用人にペストマスクとフードマントを手渡す。
「そういう機能が脳にないのだと、情交の最中にも申し上げたはずだが」
イザイアが自身のこめかみを指先でつつく。
ジュスティーノはあわてて使用人の顔を見た。
使用人が、何事もなかったかのような表情できびすを返し立ち去る。
「……人前でそんなことを」
ジュスティーノは声をひそめた。
「ご心配なさらなくても、ここにいる者は実家から言いふくめられている。言うべきでないところでは言わん」
「……ほんとうか」
ジュスティーノはホッとした。
「言うべきところには、しょっちゅう漏らしますが」
イザイアはそう言い、結わえていた髪をといて解した。
「それより若様におかれては、ゆうべは夢中になりすぎて人の話などお聞きしてはいなかったようで」
ジュスティーノは、耳の先まで熱を持ったのを感じた。
とっさに口元を手でかくしたが、紅潮した様子はとうにイザイアに見られている。
「先ほどから何なのだ、貴殿は。からかっているのか」
「言葉だけで、感じたりするのであろうかと」
イザイアが、ゆっくりと端正な顔を近づける。
こちらを観察するように見下ろした。
冷たい印象の目にのまれ、ジュスティーノは廊下の壁に追いつめられた。
実験器具を見ているような目に思える。
自身が心を理解できないぶん、相手にも心など存在しないと思っているのではないか。
「……貴殿がどう捉えようと、あんな行為をすれば人の心はもっと複雑に動くものだ」
ジュスティーノはそう答えた。
「どんなふうに」
イザイアが尋ねる。
口の端を上げて笑んだが、目は笑っていない。
ジュスティーノの言葉を否定しているのではなく、好奇心が刺激されてさらなる説明を待っている。そんな感じだ。
「なんども言うが、わたしには分からない。若様が説明してくれるか?」
ジュスティーノの目を、イザイアが食い入るように見つめる。
「お口で」
イザイアが壁に手をつく。
ジュスティーノはゾクリとした感覚を覚えた。
神学の本で見た悪魔が、こんなイメージだったのではないか。
根本からちがう相手なのだと分かっていても、魅入られて逃げられない。
「教えてくれ、若様。情交をしたらどんなふうに心が動くのだ」
イザイアが、ジュスティーノの首筋に顔をよせ密着する。
ジュスティーノは息を震わせた。
「体は? 男との情交を否定するのに反応はするのか?」
ジュスティーノは壁を背中で這い、のがれようとした。
「否定するものにたいして反応してしまったら、心はどう動く」
イザイアがささやく。
「相手にたいしての感情は変わるのか? それとも欲望にのみこまれることに恐怖を感じるのか?」
ジュスティーノは、顔を逸らして逃れようとした。
イザイアが顔をかたむけ、ジュスティーノの耳たぶを食む。
「ひ」とジュスティーノは引きつった声を上げた。
やめさせようとイザイアの二の腕をつかんだが、全身が硬直する。
「恐怖とはどんな感情だ、若様」
何を言っているのだ。
この医師は、自分を翻弄しながら何を尋ねているのか。
イザイアが、ククッと笑う。
「ああ、接吻がまだであったか」
ふいにそう言う。
「ゆうべは接吻もせず失礼した」
形のいい唇が、ジュスティーノの唇をなでるように這う。
きつく閉じられた唇の合わせ目を、イザイアが舌先でこじ開ける。
ここは廊下だと、ジュスティーノはわずかに残った道徳心で拒否しようとした。
人が通ったらどうするのだ。
「ゆうべはさぞ強淫されているかのような気分であったろう、若様」
唇を食まれながら、ジュスティーノはうす目を開けた。
頬をすりよせるほど間近に、イザイアの冷たい美貌がある。
「男に接吻もなく組みしかれるのは、興奮したか」
ジュスティーノは眉根をきつくよせた。
男性とあんな行為などはじめてだったのだ。そんな趣味趣向などあるはずもない。
「わたしは興奮した」
イザイアがそうささやく。
「高貴な御使いが、背徳的に汚されるさまはこの上なくいやらしい」
ジュスティーノはきつく目をつむった。
やめろと言うべきだ。
屋敷内のだれが通るかも分からない場所で、何をしているのか。
「快楽にどこまで逆らえるのか。どんなふうに身悶えて堕ちるのか」
イザイアが、かみしめたジュスティーノの唇を舌で這う。
「それで、心はどう動く」
イザイアの大腿が、体に押しつけられる。
いきおいをつけて逃げ出そうとしたジュスティーノの腕の付け根を、イザイアが捕らえた。
「教えてくれないか、若様」
イザイアがもういちど耳元に唇をよせる。
ジュスティーノは息を震わせた。




