APRI IL TUO あなたのものを開く II
使用人の一人が隔離されている部屋。
いつものようにイザイアが患者の顔を覗きこむ。
ジュスティーノは、入口のドアのそばでその様子を見ていた。
絶対にとり乱すまいと自身の腕をつかむ。
この部屋の使用人は、あまり顔を合わせたことのない者だ。
よく見知っている者にくらべれば、まだこらえることができる。
イザイアの助手をやるようになって一週間がすぎた。
そのあいだに二人の者が亡くなった。
患者を見ることに慣れるどころか、悪化する者が出るたびにジュスティーノの精神は疲弊していった。
食事もここのところはあまり進まない。
食べなければ看護するほうが持たないとイザイアが心配してくれたが、食べているあいだにもまた死ぬ者が出るのではと思うと、飲みこむときに喉がつまる。
「わたしの声が分かるか?」
イザイアが、横たわる使用人に話しかける。
「お屋敷の若様がきてくださっている。分かるか?」
「その者は意識があるのか?!」
ジュスティーノはベッドに駆けよった。
「私だ。分か……!」
ベッドに身を乗りだそうとしたジュスティーノを、イザイアが抱き止める。
「若様」
「す、すまん」
ジュスティーノはあわててベッドから離れた。
「意識はない。ためしに反応を見ただけだ」
イザイアが説明する。
横たわった使用人のまぶたの落ちくぼんだ顔が、死人の顔に見えた。
潰瘍でおおわれた異常な肌の様子が、いかにも日常から遠い状態だと感じさせる。
もうすでに死体になのではと錯覚した。
ジュスティーノは、目眩がしてその場にしゃがみこんだ。
「やすんでいてよろしいですよ」
イザイアが声をかける。
「いや大丈夫……」
ジュスティーノは、ベッドのフットボードをつかんで立ち上がった。
毎回これだ。
そうとう迷惑なのではないかと思うが、なぜこの医師はここまでやさしくしてくれるのか。
「あまり寝てもいないのでは」
「……よく分からんのだが」
ジュスティーノは鼻に手をあてようとして、ペストマスクのクチバシに指先をぶつけた。
ペストマスクをつけていたのを忘れていた。
「別邸にもどったときに嗅いだ死臭が、まだしている気がして」
ジュスティーノはそう訴えた。
「はじめは、ペスト患者の部屋が匂っているのかと思ったのだが……」
強い不安で、身体が重い。
また目眩がしそうだ。
「ペスト患者が腐ったリンゴのような匂いを発していると記述している医学書もあるが」
イザイアが言う。
ジュスティーノは、大きく息を吐いた。
「違う。自分の部屋でも匂うことがある。どこを見回しても腐ったものなどないのに」
やはり自身もペストに罹っているのでは。
イザイアにもういちど診察してもらおうかと思ったが、言い出すのが怖かった。
まえに隔離されていたときは、まだ疫病で死んだ者を見たことがなかった。
そうそう大事にはならないだろうと甘くみていたので落ちついていられた。
「……ああ」
イザイアが、何かを思い出したようにつぶやく。
「死体の腐乱臭をはじめて嗅いだ者のなかには、そうなる者もいるようだ。腐ったものなどないのに、どこへ行っても腐乱臭がしているような気がする」
イザイアが、杖で自身の肩をたたく。
ややしてからこちらをふり向き、やさしげな口調で言った。
「そのうち治まる、若様」
「そうなのか……」
ジュスティーノはホッと息をついた。
「貴殿が言うなら、そう思っていいのか……」
「精神的な動揺も関係しているのでしょうな」
しばらく患者の顔をながめてから、イザイアはサイドテーブルの水差しを手にした。
「何なら今夜から、わたしの部屋でやすみますか?」
「貴殿の……?」
ジュスティーノは顔を上げた。
「医師と同室なら少しは安心できるのでは。万が一病の兆候が出ても、すぐに気づいてやれる」
「そこまでの迷惑をかけてもよいのか……」
「かまわんが」
ふいにジュスティーノは、弟子の少年に夜伽をさせようとしたという彼の話を思い出した。
妙なことを思い出したなと思う。
少年なら、外見的に女性とおおきく変わらない。
女性と同じつもりでかわいいと思ってしまう者がいるのも、まあ分からなくはないかと思う。
大人になった男性までたしなむわけではあるまい。
「……甘えてもかまわんか」
ジュスティーノはそう尋ねた。
「どうぞ」
イザイアが答えた。




