APRI IL TUO あなたのものを開く I
イザイアの私室は、屋敷の正面中央にあたる場所にある。
主室はベッドや読書机が置いてある見慣れた様子の部屋だが、奥の小部屋はかなり変わっていた。
絨毯の上に、華やかな幾何学模様のクッションがいくつも置かれている。
窓のそばには脚のない低いソファ、中央には同じように低いテーブル。
イザイアが角灯を高めにかかげて室内を照らす。
ガラスの火屋のなかのロウソクの灯りが、室内に置かれたものの影を大きくゆらす。
「何というか……東洋風か?」
ジュスティーノは室内を見回した。
絨毯に腰を下ろしてすごす風習をまねた部屋とみえる。
「ヴェネツィアで学んでいたころ、アラブ人の家になんどか招かれたことが」
「アラブ風か」
ジュスティーノは目を丸くした。
「慣れると、こちらのほうがくつろげる」
イザイアが靴を脱ぐ。
はだしで絨毯の上を歩くと、角灯をテーブルに置いた。
「靴を脱ぐのか」
自身の知らない世界をいろいろ知っている人だと思いながら、ジュスティーノは慣れない動作で靴を脱いだ。
はだしの足の裏にこすれる絨毯の毛足がこそばゆい。
「おかしな感覚だな。ふだん靴を脱ぐなどベッドの上くらいだから」
「では、ベッドにおられるつもりでいればいい」
イザイアが、クッションの上で胡座をかいて座る。
「ヴェネツィアにはアラブ人もいるのか」
「全盛期ほどではないでしょうが」
横に座るよう促されて、ぎこちなく腰を下ろす。
「脚は……組めばいいのか?」
ジュスティーノは苦笑した。
イザイアのまねをして胡座をかこうとするが、慣れないのでなかなか難しい。
「脚は、伸ばしてもよろしいが」
イザイアが絨毯に手をついて近づき、ジュスティーノの大腿にふれる。
「脚を組むなら、もっとこう……」
ジュスティーノの耳元に唇を近づけると、ささやくように声音を落とした。
「脚を開いて」
急に声の雰囲気が変わった気がする。
ジュスティーノは、少々戸惑って医師の肩を見た。
首筋のあたりに顔をよせているので、表情は分からない。
「いや……」
何となく苦笑する。
「伸ばしてもよいのなら伸ばすが」
「そうか」
イザイアは大腿にふれた手を離した。
首筋から離れたイザイアの顔を見ると、口角を上げうすく笑っている。
冷たい狡猾そうな笑みに見えるのは、顔立ちが整いすぎているせいか。
イザイアが、テーブルに用意されていた水差しを手にする。中身をヴェネツィアングラスにそそいだ。
クセのあるワインの香りがする。
ジュスティーノは、おずおずと脚を伸ばした。
思いきり伸ばしてもマナー違反ではないのだろうか。少しずつ伸ばしながら、イザイアの反応を伺う。
「若様、赤でいいか」
イザイアは、もう一つのグラスにもワインをそそいだ。
「かまわんが……」
ジュスティーノは、そう答えてから苦笑した。
「先日なさけないところを見せたばかりだし、しばらく控えようかと思っていたのだが」
「酔いつぶれた者の介抱なら慣れている。気にしてはいない」
イザイアがグラスをこちらによこす。
「医師ならたしかに慣れていそうだが……」
「いっしょに飲んでいる者に、酔いつぶれられることがよくありましてな」
「そうなのか」
ジュスティーノはグラスを受けとった。
「医師がいっしょとなると、安心してしまうものなのかな」
ワインを口にする。
クセのあるワインだ。薬湯のような味がする。
ジュスティーノはひとくち飲み下してから、低いテーブルにしずかにグラスを置いた。
「……すまん。また診察中に迷惑をかけてしまった」
「むりすることはない。もとより若様は客人だ。診察料は御家にきちんと請求するつもりだし、べつに迷惑ではない」
イザイアがワインを飲みくだす。
「まえに助手をしていた女性は、落ちついていたのだがな」
「だいたいにおいて女性のほうが図太いですからな」
イザイアが、絨毯の上にグラスを置く。
「正直なところ、貴殿はやめてほしいのでは」
「いや」
イザイアが答える。
「助手をやるかとはじめに提案したのはわたしだ」
イザイアが胡座をとき、片膝を立てて座り直す。
ジュスティーノは、その様子をながめた。
「正直、つらくて見たくないという気持ちはある。だが人にまかせて知らんふりをしていていいのかと」
ジュスティーノは軽く眉をよせた。
「せめて看取ってやるくらいしなければ、あとで自分を嫌悪することにならないかと」
イザイアが、黙ってワインを自身のグラスにそそぐ。
「こういうとき、貴殿ならどうする」
注がれるワインを、ジュスティーノはじっと見つめた。
ニガヨモギの香りが混じっているのに気づく。クセが強いのは、ニガヨモギのせいか。
「どうしたら、ひどい様子の患者や人の死にぎわを見ても平気なほど強くなれる」
「慣れもあるでしょうし、生まれつきの感性もあるでしょうな」
イザイアが答える。
ジュスティーノは、医師の手元を見た。
いまの状況を、どうと受けいれるのが正しいのか。
使用人たちの瀕死の様子を見て気鬱になるのは、ただの逃げなのか。
「こうしては」
イザイアが口を開く。
「若様はそのまま存分に見るべきものを見て、果たすべき責任を果たしたらいい」
ニガヨモギの香りがするワインをそそぐ。
「それでお心が壊れたら」
イザイアは、グラスに口をつけた。
「わたしが念入りに慰めて差し上げよう」




