FUGA ROMANTICA 逃避行 II
イザイアの屋敷についたのは翌日の昼すぎだった。
一年と数ヵ月まえ、医師をさがして通った正門とそのさきにある屋敷をながめて、ジュスティーノは懐かしさを覚えた。
馬車が庭の通路を通り、玄関口のまえで速度を落とす。
止まりきるまえに、イザイアが屋形の扉を開け馬車から降りた。
馬車が完全に止まったのを見計らい、こちらに手をさしのべる。
レナートですらここまではしないのだが。
完全に女性をエスコートしているようだ。ジュスティーノは苦笑した。
ダンスのリードをされているときにも思ったが、貴族の男性として振る舞っているときのイザイアは完璧なのだなと思う。
この様子にたぶらかされる人もずいぶんいるのだろうと思うと、誇らしいような嫉妬心が湧くような複雑な気持ちだが。
「一人で降りられるが……」
ジュスティーノはそう答えた。エスコートされるのは慣れてはいない。
「だいじな若様の足元が心配で」
頬が熱を持ったのが分かった。
きのうからこんなセリフは何度目なのか。遊ばれているのだろうか。
イザイアが手をとり、もう片方の手をジュスティーノの腰に添える。
「何か結婚式でも見てるみたいなんですが……」
御者台のエルモが、ふりかえり顔をゆがめる。
「では、これから若様を横抱きにして寝室に」
「それはさすがにムリでは……」
ジュスティーノは眉をよせた。
「追いかけてきた従者の坊っちゃんは、あのあとどうしましたかね」
エルモが庭内を見回す。
「行き先の見当はついてるだろうから、先回りしてるかとも思ったんですが」
「引き返して、若様奪還の決死隊でも組織しに行ったか」
「そんな大げさな」
ジュスティーノは苦笑した。
ピストイアからここまでの道筋なら、しょっちゅう行き来しているエルモのほうが土地勘がある。
そのエルモに馬車の速度を上げられ、ややこしい回り道で引きはなされ、レナートを乗せた馬車はあっという間に見えなくなった。
土地勘のない夜道であの後どうしたのかは少し心配だが、守役もついている。おかしなことにはならないだろうとジュスティーノは思った。
イザイアが手を引き、口づける。
なぜここでなのか。エルモがいるんだがと思ったが、まあいいかと思い直す。
はじめてここに来たときにくらべると、自分はずいぶんと変わってしまったと思う。
あのときまでは、運命をともにしたいほど恋した人はいなかった。
イザイアがしずかに唇を離し、玄関口にうながす。
「村に帰ってもいいですかね、旦那」
御者台のエルモが声を張る。
「ごくろうだった」
イザイアがふり向きもせずそう返事をすると、エルモはゆっくりと馬車を反転させた。
イザイアがドアノブに手を伸ばし、スッと玄関口の扉を開ける。
あいかわらず鍵が開いているのだなとジュスティーノは苦笑した。
留守番の使用人はいたのだろうが。
「おや」
「えっ」
二人で同時に声を上げる。
パガーニ家別邸であるイザイアの屋敷の玄関口に仁王立ちになり、こちらをまっすぐに睨みすえていたのは、レナートだった。
「何でおまえ……」
ジュスティーノは動揺した。
たったいまの玄関まえでのイザイアとの接吻を見られていただろうか。
「ゆうべ夜半に到着し、一泊させていただきました。こちらの使用人の方々が私のことを覚えていましたので」
「ほう」
屋敷の主のほうがむしろ落ちつき払っていた。顎に手をあて、玄関ホール内を見回す。
レナートの守役が、屋敷の使用人とともにホールの端にいる。
「守役殿も」
「お邪魔いたしております」
守役が微笑し会釈する。
「お二人とも、また同室のおなじベッドで?」
「いかがわしい想像はやめてください」
レナートが頬を紅潮させる。
「引きつづき何泊かされて行くといい。若君はとうぶんお帰りにはならないので」
イザイアが、ジュスティーノの手をとり肩を抱いて階段ホールのほうに促す。
「勝手に決めないでください!」
レナートが背後から詰めよった。イザイアの肩をグッとつかみ引きとめる。
「……私はとうぶん滞在ということでいいのだが」
ジュスティーノは、はにかんだ。
「そんなにケダモノに食い尽くされたいんですか!」
「そうなんだが……」と内心で返す。
「ジュスティーノ様を離せ! いますぐ連れて帰る!」
「レナート!」
ジュスティーノは咎めたが、レナートはなおもイザイアの肩を強くつかみ引きよせた。
イザイアがふり向く。
レナートのうしろ髪をつかみ自身のほうに引きよせると、強引に口づけた。
とつぜんの予想外の行動にジュスティーノはあぜんとした。
何気に守役のほうを見ると、落ちつき払ってながめている。
使用人たちは以前と同様、愛想もなくほぼ無反応で控えていた。
軽く嫉妬を覚えた自身がいちばんおかしいのだろうかと思ってしまう光景だ。
イザイアが顔の角度を変え、ふかく接吻する。
どうみても舌をからめている。
はじめは身体をうしろに引いたレナートが、ぼんやりとされるがままになっているのが意外すぎた。
「では。従者殿」
イザイアが唇を離して言う。
レナートは、魂を抜かれたような表情で立ちつくしていた。
「坊っちゃん」
守役が、レナートのうしろに歩みより両肩を支える。背後からそっとレナートの表情をうかがった。
「申し訳ありませんが、お水を」
守役が屋敷の使用人にそう頼む。
レナートが、ハッと我に返り手で口を覆った。
険しい表情で背後の守役をふり向く。
「こっ、こんなときのためにおまえはついて来ているんじゃないのか!」
「ご自分から突っこまれて行ったので、想定していたのかと」
「若様」
イザイアがあらためて階段ホールのほうへと促す。
「従者殿の許可もとれたので」
許可をとっていたのか……。
ジュスティーノは目を左右に泳がせた。感覚がだいぶ違う。
それでも好きだが。




