BALLO IN MASCHERA 仮面舞踏会 I
本編、無事完結いたしました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ここから本編の約1年後の後日談です。ひきつづきお楽しみいただければ幸いです。
パガーニ家本邸の玄関口からのびる大ホールは、数えきれないほどのロウソクのあかりで照らされていた。
華美な内装が、鬱金色の光をチラチラと乱反射させる。
熱気を感じるホール内では、目の部分だけをかくすマスカレードマスクをつけた男女が、それぞれに雑談をしたり酒をたしなんだりして舞踏会のはじまりを待ち過ごしている。
玄関の扉が開き、あらたな招待客が到着すると使用人がそろって出迎え一礼した。
入館した招待客が、この舞踏会の主役のもとへいそいそと駆けよる。
ジュスティーノは、つけなれないマスカレードマスクが気になり指先で直した。
オレンジの入った温ワインを口にしながら、主役の姿を遠目にながめる。
医師、イザイア・パガーニ。
舞踏会の主役は、長い灰髪をきれいにまとめて胸元にたらし、マスカレードマスクはつけず招待客の応対をしていた。
正装をきちんと着こなした姿で微笑し、そつなくあいさつと雑談に応じる様子は、招待された女性客の視線を集めている。
海側の地方を中心に流行したペストは、一年と三ヵ月ほどで終息した。
ここピストイアまで流行は届かなかったものの、ペスト患者の隔離施設におもむき最前線で診療にあたった医師は、いわば英雄だ。
女性の関心を集めもするだろうとジュスティーノは思った。
あれが自身の恋した人なのだと思うと、誇らしさに笑みがこぼれる。
「どんな人なのかも知らずに」
かたわらでレナートがぼやく。
実家から呼びよせた守役が、レナートに温ワインをさし出した。
「また守役殿をお呼びしたのか」
ジュスティーノは眉をよせた。
「お忙しいだろうに」
「いえ」と守役が苦笑する。
許可するレナートの父君も父君だ。
ジュスティーノの両親を過保護だと評しているレナートだが、自身も人のことが言えないではないかと思う。
「あの医師殿のご実家など、何を仕掛けられるか分かりませんから」
レナートが、はなれた位置にいるイザイアを睨みつける。
こちらは仕掛けられても何も不都合はないのだが。
ジュスティーノは、温ワインを飲むふりをして熱を帯びた頬をかくした。
イザイアのそばに、兄グイドが歩みよる。
招待客にあいさつをし、そのまま三人で雑談をはじめた。
「兄君もおられるのだ。そう警戒することはないだろう」
「仮面舞踏会など、どうせ提案したのは医師殿でしょう?」
レナートが眉をよせる。
「不倫相手をさがすために開くものではないですか。ほんとうにいかがわしい」
レナートが空になった温ワインのカップを守役に手渡す。
「堅苦しく英雄あつかいなどされるよりも、城府を設けず盛り上がってほしかったんだろう。イザイアらしい」
「ここ一年ほどで、医師殿を美化する度合いがひどくなっていませんか? ジュスティーノ様」
レナートが不機嫌そうな声音で言う。
「そんなことは」
ジュスティーノはそう返した。
はじめて逢ったさいも娼婦たちと無礼講で楽しんでいた彼だ。
打ちとけた会が好きなのか。
イザイアが隔離施設からもどる日、ジュスティーノはやや遅れてリヴォルノに駆けつけた。
所用で近くの所有地に出かけていたため、知らせの手紙を受けとるのが少し遅れた。
リヴォルノの港で何とかイザイアの顔は見られたものの、元患者と思われる者や、地元の有力者たちにほかの医師たちといっしょに囲まれ、近くに寄ることができなかった。
その後すぐにパガーニ家のむかえの馬車が到着し、イザイアは助手たちと最後の確認をしているのか忙しそうだった。
イザイアの健在な姿だけはたしかめられたのだ。それだけで満足だと思い、本邸に帰宅した。
二週間ほどしてパガーニ家から届いたのが、この舞踏会の招待状だ。
来てはみたが、やはり直接話しをするのはムリそうだ。
少し期待したのだが。
「その服、いつ仕立てたんですか?」
レナートが問う。
「え……」
ジュスティーノは、正装の胸元に手をやった。
「正装をご用意しようとしたら、もう用意したと言われたのでずっと引っかかっていたのですが」
イザイアが送ってきたものだ。
赤い上着の襟元にきれいな刺繍がほどこされた、センスのよい仕立てのものだった。
シャツや中衣、ズボンからクラバット、靴まで一式そろっているのを見て、女性のような扱いだなととまどったが。
「いや……以前に仕立てていたもので」
「以前に」
レナートがあきらかに疑っているような声色で復唱する。
幼少のころから常にいっしょなのだ。
いつ仕立てたか彼が把握していない服などあるのは不自然かと思うが、出どころを正直に説明すればどれだけうるさくされるか。
パガーニ家の兄弟と雑談していた客が、会釈して立ち去る。
ホールに楽隊の演奏する音楽が流れはじめた。
公的な会ではないので、客たちが銘々に踊りたい者から踊りはじめる。
客たちのあいだを縫うようにして、マスカレードマスクをつけたイザイアがこちらに近づいた。
ようやく何か話ができるか。
名を呼びかけようとしたジュスティーノに、イザイアが品良く手をさし出した。
「若様、お手をどうぞ」




