SEGNO DI PROMESSA 契印 I
いつ離れて行かれるか分からない相手なら、できる限りしあわせな時間を引きのばしたい。
そのために「愛している」と言いたいのをずっと我慢していた。
さきほど覚悟のうえで言ってしまったが、意外にもイザイアが機嫌をそこねていない様子なのにホッとした。
天蓋のうすい布が、だらしなく半分ほどだけ引いてある。
イザイアのつかうベッドは、いつもこんな感じだ。
二人でベッドに倒れこんだものの、靴先は天蓋に引っかかり動くたびに大きく布をゆらしていた。
ベッドの一角にハーブがならべられたままなので、清涼感のある香りが鼻をつく。
ベッドがゆれるたびにジュスティーノはハーブの束を横目で気にしたが、イザイアはおかまいなしだった。
きちんとまくらに頭をのせる位置に移動しようとしたが、そのまえにイザイアがのしかかり、足先をベッドからはみださせた体勢ではだけた胸元に口づけてくる。
あまい痺れがじわじわと全身に広がる。
ジュスティーノは息をふるわせて、イザイアの幅の広い肩をつかんだ。
肉食の獣が獲物を食すように、イザイアの唇がジュスティーノの首すじの肌を食み、ときおり軽く歯を立てる。
硬い歯牙の感触にジュスティーノは顎を反らせた。
「とうぶんこの体は、おあずけか」
イザイアがゆっくりと顔を上げて自身の唇を舐める。
「一晩かけて食いつくすので、若様、そのおつもりで」
ジュスティーノは苦笑した。
イザイアの頭部を抱きしめる。
「心なら……いくらでも持って行っていいのだが」
「どれが心か、わたしに解れば」
イザイアが心臓のあたりに口づける。
ジュスティーノは体を縮めた。
心臓の鼓動は、少し速くなっただろう。
それに気づいてくれただろうか。
彼だけにこんなふうに反応するのが恋している証なのだと、せめて肉体を通じて伝えることはできないか。
「イザイア」
「愛している」と言いそうになり、ジュスティーノは口をつぐんだ。
少し考えてから、「待っている」と告げる。
すでにイザイアの口づけに酔い頭のなかは心地よく麻痺していたが、彼にとって不快なことは言うまいと自制した。
長い灰髪をにぎり、髪を鋤くようにしてまさぐる。
ここに滞在してからほかの人間は相手にしていないようだったが、最後の夜も私とでいいのか。そう確認し忘れたと思った。
首筋に舌を這わせてきたイザイアの肩を抱く。おおいかぶさる体の温かさに昂った。
イザイアのシャツをズボンから引きぬき、硬い背中に手を這わせる。
イザイアの唇が喉仏を食み、のけぞった顎に口づけた。
あしたは首をかくす工夫をしないと。レナートに何を言われるか。
そんなことを考えてジュスティーノは苦笑した。
「若様」
イザイアが顔を上げ、髪を耳にかける。
「つけてくださらないか。若様の唇の跡を」
ジュスティーノはわずかに目を見開いて、鼻先にあるイザイアの首筋を見た。
あちらこちらに視線を動かし、どこにつけたものかと思案する。
迷いながら、肩のつけ根に口づけた。
「もう少し上に」
イザイアがそう言う。
何かイタズラをたくらんでいるような表情に見えたが、こういう子供のようなところも好きなのだ。
ジュスティーノは、苦笑しながら喉仏に近いあたりに唇を移動させた。
男性的ながらも色気のあるイザイアの香りを鼻腔に感じ、それだけで酔う。
「もう少し上」
ジュスティーノの後頭部を手で支えて、イザイアは自身の首に引きよせた。
これより上だと、服を着ていても跡が見えてしまうのでは。
ジュスティーノは困惑しながら、唇をほんのわずかだけ上に移動させる。
「もっと上だ。若様」
くすぐったいのか、イザイアが息を吐くようにして笑う。
「若様と、おなじところに」
イザイアが、少し首をかたむけて耳たぶの下のあたりをジュスティーノに向ける。
あすの朝おなじところに跡をつけて見送るさまを想像し、ジュスティーノは顔に熱をもった。
「いや……」
「あしたはペストマスクをつけてのお別れになるので、どうせだれにも見えん」
イザイアが言う。
「わたしと若様だけの秘密だ」
ジュスティーノは泣き笑いのような表情になった。
彼がこんなことをしてくれるのは嬉しかったが、それよりも別れが目前なのだとあらためて知りやはりせつなかった。
離れたくない。
頭部を少し上げる。首筋に接吻するのではなく、彼の肩のつけ根に顔を埋める。
イザイアがため息をついた。
「……泣いているのか、若様」
そう問う。
自分は、泣いているのだろうかとジュスティーノは思った。
気づかなかった。
なんどかまばたきすると、睫毛に涙のしずくのようなものが引っかかって見える。
またかと自身で呆れた。
「……すまん」
そう返して、あらためてイザイアの示したあたりを唇でさぐる。
「ここだ、若様」
イザイアがあらためて髪を退け、耳たぶの下をジュスティーノの唇のまえにさらす。
しめされた箇所に口づけて強く吸う。イザイアの色気のある香りが、強く立ちこめた気がした。
「もっと強く、若様」
くすぐったいのか、それとも彼としては遠慮がちすぎる接吻に感じるのか、イザイアがクスクスと笑う。
「ひと目見て若様からのものだと分かるくらい、くっきりとつけてくれ」
イザイアがそう要求する。
他人には見せないのでは。
ジュスティーノはやや怪訝に思ったが、まあいいかと目をつむった。
いちど唇を離し、またあらためておなじ箇所を吸う。
彼がかならず自身のもとへと戻って来るよう。
これは契約の印だ。
心の中でなら、秘かにそういうことにしてもいいだろう。
「契印のようだな」
イザイアが、クスクスと笑いながら言う。
口づけながらジュスティーノは目を見開いた。




