IL GIOMO PRIMA DELLA PARTENZA 別れの前日 II
「いや。愛し返せとは言わないので好きだよ」
イザイアがそう答える。
「毎回、情熱的に "愛している” というわりには」
イザイアが、ベッドのほうを向いてハーブの束を手にとる。
ジュスティーノはその様子を見つめた。
「愛している」という言葉はイザイアがいちばん嫌がると思っていたので口にはしなかった。
毎回とは。
「そもそも若様」
イザイアがハーブを点検しながら言う。
「わたしが島で感染するかどうかについては、先日お話ししたはずなのだが」
ジュスティーノは目を見開いた。
とたんにまた涙がにじむ。
あわてて手の平で涙をぬぐったしぐさをイザイアが不思議そうにながめた。
「涙腺がこわれたのか、若様」
「す、すまん」
イザイアがハーブを置いてこちらに近づく。
身体をかがめて、ジュスティーノの目を覗きこんだ。
「即座に命にかかわる箇所でもないゆえ、涙腺の診察はペストの終息後でよろしいか」
こんなものをわざわざ診察してくれるのか。
ジュスティーノは、苦笑しながら涙をぬぐった。
「……終息後」
「終息後に診察を確約したとピストイアの兄に話しておいたらいい」
イザイアが言う。
「わたしが仮に若様に飽きてしまっても、兄にしかめ面で言いつけられて診察だけは出むくことになる」
どういうことだろうかと思いながら、ジュスティーノは涙をぬぐった。
飽きたあとの保険でもかけてくれているような発言に聞こえるが。
「何なら、そちらの弟にもてあそばれたので一生かけても償わせろとでもあの兄に言っておけば」
イザイアが顔を覗きこみながら言う。
「若様は、わたしを一生縛りつけておくこともできる」
「……そんな」
ジュスティーノはつい笑った。泣き笑いのような表情になってしまう。
「それでは貴殿の気持ちが」
「若様はもう少しズルくなってもいい。子供姿の天使よりも、猥褻な男を焼き滅ぼす青年姿の御使いのほうがおもしろい」
イザイアがゆっくりとベッドに戻る。
出逢ったばかりのころにもそんなことを言われた気がするとジュスティーノは思った。
自身の正しくあろうとする性質は、そんなに彼には気になるものなのか。
あいかわらず涙はぽろぽろと出た。そのつど指先でぬぐっては苦笑する。
ほんとうに涙腺とやらがこわれたのか。
即座に命にはかかわらないとイザイアが言っているのなら、心配せずともいいのだろうが。
みっともないと思う。
こんなみっともない姿を、彼は淡々と受けながしてくれる。
そこが安心してしまうのだ。
「……ペストに感染するかどうかの話とは、いつしていたのだ」
ジュスティーノは涙をぬぐいながら尋ねた。
イザイアの話を聞きのがすなどありえないと思うが、何か別のことに気をとられていたときだったのか。
「そんな話を聞きのがしていたとは、すまなかった」
「なに。若様が、わたしの下でせつなく喘いでいらっしゃる最中だ。気にせずとも」
ジュスティーノは涙をぬぐう手を止めた。気のせいか涙がピタリと止まった気がする。
「わたしの話す声よりも、若様の悦ぶ声のほうが大きかったのでしかたがない」
「……なぜそんなときに」
ジュスティーノの口元がひくついた。
「若様のご様子があまりにもかわいらしかったので、この方であれば私的な話を打ちあけてもよいかと」
「それで、内容は何だったのだ」
そのさいの自身を想像してしまい、恥ずかしくてたまらない。
ジュスティーノは目元が熱を持つのを感じた。
「若様は、何も知らずに心配しているのがかわいらしい」
イザイアが肩をゆすって笑う。
いま、あらためて話してはくれないのだろうか。
ジュスティーノは困惑してイザイアの笑う様子を見ていた。
窓の下の運河から、ガヤガヤという声と小舟のぶつかり合う音が聞こえる。
イザイアがそちらのほうをながめた。
「つぎはまた休暇があるのか、それとも終息後になるのか分からんが」
イザイアが言う。
「無事に帰って涙腺の診察はするとお約束するので、無茶なことはしないでくれ、若様」
ジュスティーノの鼻がツンと痛くなる。
彼にとってはただ共感を演じているだけの言葉なのかもしれないが、それでもやさしくなだめられていると感じる。
「それでもやはり心配……」
イザイアが手にしていたハーブをベッドに置く。早足でこちらに近づいた。
ジュスティーノを強く抱きしめる。
「若様」
イザイアが、頭をかたむけジュスティーノの髪に顔を埋めた。
「わたしなどを追ってペストに罹られたら、わたしが悲しいではないか。いくら何でも、それすら嘆くこともない男だとお思いなのか」
イザイアがなおも強く抱きしめた。頬をすりよせる。
「ひどい方だ。若様が愛しい大事なお方だからこそ、わたしは自身の秘密をも打ちあけたのに」
その秘密の内容は何だったのだ。ジュスティーノはかすかに目線を泳がせた。
「若様の虜になってしまった哀れな男の気持ちを汲んで、おねがいだから待っていてはくださらないか」
イザイアはなおも強く抱きしめた。
じんわりと身体に伝わるイザイアの体温と色気のある香りとで、ジュスティーノは微酔いのような気分になってしまった。
イザイアをそっと抱き返す。
「……分かった」
つい心地のよい気分でそう返してしまった。
イザイアが頬をなでる。
ふいに切れ長の目を少し見開き、ジュスティーノの目尻のあたりを親指でぬぐった。
また自分は涙をこぼしたのかとジュスティーノは気づいた。
窓の下から運河の音が聞こえるたび、あした彼を見送ることを想像して、どうしても涙がこぼれる。
イザイアは微笑してこちらの顔を覗きこんでいた。
口元は優雅に笑んでいても、目は笑ってはいない。
いつもの彼の笑み方だ。
笑いかけることすら芝居なのか、それとも単なる表情のクセなのか。
彼を理解しようと懸命になってきたが、一生かけても解ることはできない人なのかもしれない。
それでも恋してしまったのだ。
報われなかろうが、いつか別れを告げられるかもしれない人なのだろうが、自身にとっては運命の人なのだ。
脅迫ではなく、ほんとうについて行きたい。
またぽろぽろと涙がこぼれた。
イザイアが呆気にとられたような顔をする。
「どこにそんなにためているのだ、若様」
「いや……」
ジュスティーノは手の平で涙をぬぐった。
イザイアはしばらく顔を覗きこんでいたが、やがて口元に唇を這わせてきた。
「それとも誘惑しているのか、若様」
イザイアが口づける。
ジュスティーノのこめかみのあたりに触れた。
涙をぬぐってくれようとしたらしかったが、面倒だったのか唇を目尻に這わせた。




