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背徳 〘R15版〙  作者: 路明(ロア)
PROLOGO
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AD UN LASCIVO BANDHETTO 淫らな宴の場に

 広い廊下に、複数の走る靴音がひびく。

 貴族の別邸だと聞いたが、非常に豪奢(ごうしゃ)な内装だ。

 乳白色を基調とした壁をいろどる金の装飾。

 ところどころに飾られたギリシャふうの石膏(せっこう)像が、ものものしく廊下を駆ける者たちを見下ろしている。


 ジュスティーノ・オルダーニは、うしろを来る付き人たちと従者をふり返った。


 付き人の一人を大柄な者が背負い、数人が走りながら支えている。

 身分の低い荷物持ちの者が、所有地の視察中にとつぜん倒れた。

 地元の者に医師の家を尋ねてここに来たが。

 廊下の一角にある大きな鏡に、あせった自身の姿が映る。

 アーモンド型の目、二十歳をすぎたわりに細身の体躯。

 首元につけた襟締(クラバット)が、だらしなく解けかかっている。


 ジュスティーノは、長い廊下の先を見た。

 これだけ靴音を立てていても、使用人の一人も通りかからない。


 正門には番をする者すらいなかった。

 門扉のまえで名と要件を言ったがだれも駆けつけず、しかたなく無断で敷地内に入ったが。

 玄関の扉がかんたんに開いたときには、唖然(あぜん)とした。

 無人の屋敷なのかと思い玄関ホールを見回したところ、二階から大勢の笑い声が聞こえた。

 内輪のみのパーティーでも開いているのか。笑い声を頼りに階段をのぼって来たが。




 ジュスティーノは、廊下のつきあたりにある重厚な扉を見上げた。

 広間の扉だろうか。

 向こうから何人ものはしゃいだ声が聞こえる。

 ここで医師のいる部屋を聞くしかあるまい。

 ジュスティーノは両手で扉を開けた。


「勝手に屋敷に入った無礼はおゆるし願いたい! 医師のパガーニ殿はどちらにおられる!」


 声を上げる。

 つぎの瞬間、おどろいて目を見開いた。


 床やソファに気だるく寝そべる大勢のいかがわしいドレスの女たち。

 色とりどりのドレスと、さまざまな色調の長い髪が広間中に広がり華やかなパッチワークを見ているようだ。

 きつい香水と酒の香りのなか、止まることなく聞こえる小悪魔的なふくみ笑い。

 スカートをまくり脚をあらわにして寝そべる女、濃い色調の(あめ)をなめる女。

 その女の上にしなだれかかる胸元もあらわな数人の女。

 旧約聖書のソドムの街の享楽とは、こんな感じだったのだろうか。ジュスティーノは、思わずそんなことを連想した。 


 窓の近くで、女たちに囲まれて身体を起こした者がいた。


 この広間のなかで唯一の男性とみえる。

 二十代後半ほどだろうか。

 肩幅が広く、長身の体格。

 非常にくっきりとした目鼻立ちであることが、離れた場所からも分かる。

 (なまり)色の髪を長く伸ばし、だらしなくはだけたシャツの胸元に垂らしていた。


「これは……」


 男が、切れ長の目をこちらに向ける。

 かたわらにいた女の肩に(ひじ)をかけた。


御使(みつか)いが軍勢とともに(いさ)めに参ったか」


 男が気だるそうに立ち上がる。

「ぜひとも知らねばなるまい」

 そう言うと、女たちを軽く押しのけてこちらに近づいた。 

 目の前まで来ると、稀有(けう)なほどに整った顔立ちだと分かる。

 彫刻刀で掘り抜いたようなきれいな彫り、鋭いまなじり、形よく通った鼻筋とうすい唇。

 人間臭さのない感じすらする顔立ちと眼光の鋭さに呑まれて、ジュスティーノは戸惑った。 

「 “知らねばなるまい” の意味が分かるか?」

 男が問う。

「いや……」

「不勉強な方だな」

 男は口のはしを上げた。

 ジュスティーノの解けかけたクラバットに指をかけると、男がシュル、と音を立てて解く。

 ジュスティーノは、気圧されて男の指先を見つめた。

 男が、かまわずにクラバットを結び直しはじめる。 


「ここは、イザイア・パガーニ殿の屋敷と聞いてきたが」

「いかにも」


 男が答える。

「パガーニ医師はどちらに」

「わたしだが」

 男がそう答えて、結び終えたクラバットを軽くととのえる。

 ジュスティーノはまじまじと男の顔を見た。

「何か」

「いや……もっと年配の御仁を想像していたので」

「ほう」

 どうでもよさそうにイザイアがそう返事をする。

 ジュスティーノは付き人たちを振り返った。


「病人を診察してもらいたい。視察中にとつぜん倒れた」

「どこぞの若様とお見受けするが」


 イザイアが尋ねる。

「ジュスティーノ・オルダーニ。オルダーニ家の長男だ」

 ジュスティーノは答えた。

 「ああ」と返してイザイアが腕を組む。

「アルノ川のそばのお屋敷の」

「うちをご存知か」

「それなりの御家はだいたい把握しておりますが」

 イザイアが答える。

「それより診察を」

 ジュスティーノは、付き人を床に下ろすよう指示した。

 イザイアが目線だけを動かして付き人を見下ろす。

「熱は」

 そう尋ねる。

「高い。意識もさきほどから朦朧(もうろう)としている」

「ほかに目についた症状は」

「どこか痛いらしいのだが」

 イザイアが燭台(しょくだい)から長いロウソクを抜いた。

 床に寝かされた付き人の首のあたりをロウソクでさぐる。

「服を脱がせろ」

 ほかの付き人たちにそう指示する。

 付き人たちがあわててかがみ、病人のシャツを雑に脱がせた。

「下もだ」

 イザイアがロウソクの先で病人の身体の側面をさぐる。


「若様、どちらからいらした」


 イザイアが問う。ロウソクにグラスの酒をかけた。

「ここ一週間ほどはどちらに滞在されていた?」

「おとといまでルッカに」

 ジュスティーノは答えた。

「マルセイユからきた者は周辺にはいませんでしたか」

 イザイアがもとどおりロウソクを燭台に立てる。

「知らんが……海の近くなのでいくらかはいるのでは」

「そんなところでしょうな」

 イザイアは自身の後頭部に手を回そうとし、途中で手を止めた。

 寝かされた付き人から離れ、スタスタと広間の出入口に向かう。

「診察は」

 ジュスティーノはあせって尋ねた。


「マルセイユでいま、ペストが流行っているのはご存知か」


 イザイアが問う。

 かたわらのテーブルにあったグラスの酒を口に含むと、両手に吹きつけた。


鼠径部(そけいぶ)()れが見受けられる。おそらくはペストでしょう」


 ジュスティーノはすぐには理解できず、医師の動きを目で追った。

 病人を運んできた付き人たちと従者に意見を求めようと、目線を彼らに向ける。

 付き人たちも戸惑っていた。逆にこちらの指示を待っているようだ。

 起こっていることを否定したいという意識がまず動いた。

 この医師の誤診なのではないか。

 そういう結論に持って行きたかった。


「ペスト禍など、二、三世紀まえの話では」

「いまでも流行する地域はときどきありますよ。十五世紀ほど壊滅(かいめつ)的なことにはならんが」


 イザイアが答える。

「潜伏期間は二日から一週間。(せん)ペストなら肺ペストほど進行は早くないので、歩き回って広める者もいる」

 イザイアが広間の扉を開ける。女たちのほうをいちどふり返った。

「あとは勝手に遊んでいろ」

 女たちに向けそう言う。

 女たちのなかには、寝てしまったらしい者もいた。


「わたしは若様と遊ぶ」


 そうと続けて、イザイアは廊下のほうに踏み出した。

「遊ぶとは?」

「冗談だ、若様」

 イザイアが答える。

「若様は、とうぶんこの屋敷に隔離(かくり)だ。……ああ、ほかの者も」

 イザイアはその場にいた者を一人ずつ指さして数えた。従者も入れて七人ほどだ。


「案内できる者を呼ぶから、そこを動くな」





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