第52話 赤ずきん
このままでは彼女が危ない。そう判断したグリムは即座に髪留めから魔女の「頁」を取り出して、魔法を使ってこの状況を打破しようとした。
しかし、グリムが魔女になる直前に、一人の少年が崖を飛び降りた。
「なっ……」
危ない、何をする気だ、そんな単語が出るよりも先に勢いよく崖から飛び降りた少年は少女のもとを一瞬通り過ぎるとすぐに崖に足をかけて勢いよく上へ跳躍する。
上から降りてきた少年の衝撃に耐えきれなくなった着地点の岩が崩れるが、再び赤ずきんのもとにたどり着いた少年はそのまま空中で彼女を両手で抱きかかえる。そしてほとんど垂直な崖を駆けるように蹴ってこの場所へと戻ってきた。
「…………」
絶句しているグリムに一瞥すると少年はゆっくりと少女の足を地に下す。
「けがはな……」
「あー、びっくりした!」
少年が言い終える前に少女は背筋を伸ばしながら声をあげた。
「あら、見慣れない顔の人がいるわ」
少女はグリムの存在に気が付くと近くへと寄ってくる。
「あなたは……この世界の人間じゃないわね?」
赤い服を身にまとった少女は全身を観察してからそう話す。マロリーという前例があるためか服装から外の世界から来た人間と分かったのかもしれない。その観察眼はなかなかに優れていると思うが、それよりも驚いたことがあった。
「なんでそんなに落ち着いていられるんだ?」
グリムの問いに対して少女は何を言っているのかわからないといった様子で首をかしげた。
彼女の声と直前に話した少女の声質から悲鳴を上げたのは目の前の赤い服の少女ではなく、彼女の身を案じていた少女とわかっていた。それはつまり、赤い服をまとった少女は命の危機に直面していても動じていなかったということになる。
「私は大丈夫よ、だって彼がいるから」
少女はそう言って先ほど彼女を助けた少年の方を見る。視線の先にいた少年はこちらにゆっくりと寄ってくると鋭い目つきでグリムを睨んだ。
「あんた……誰だ?」
少年の疑問は当然だった。しかしその質問に答えるよりも先に赤い服を身にまとった少女が少年の頭をパシッと軽く叩く。
「こらっ、見知らぬ相手に出会ったときはまず自分から自己紹介でしょ!」
「……いてぇな」
「睨まない!」
少女は続けて少年の髪をわしゃわしゃと掻いて叱るような態度を見せる。二人の年齢はさほど変わらないように見えるがその様子はまるで母親と子供みたいだった。
「俺の名前……ウルだ」
少年は少女の手をうっとうしく感じていながらも振り払おうとはせずにグリムに自己紹介をする。灰色の髪に鋭い目つき、左ほおには深い傷跡、体のところどころに絆創膏や包帯が巻かれている。今この場所にいるほかの少年に比べると明らかに一人だけ異彩を放つ容姿をしていた。
「私は赤ずきんよ」
続けて赤い服を纏った少女が茶色の澄んだショート髪を揺らしながら丁寧に名乗り出た。
赤ずきん。この世界の名前でもあり、世界から主役の役割を与えられた存在。
その名前の通りに赤いフードを身にまとい、物語が始まると森の中にいる祖母の家に訪れて一度はオオカミに食べられてしまうが、最終的には猟師に助けられて祖母と幸せに暮らす者。
「俺の名前は、グリム・ワースト、お察しの通り、外から来た人間だ」
自己紹介のついでに赤ずきんの母親が彼女を心配していた事、グリムが頼まれて探していた事を説明すると赤ずきんは「もうそんな時間」と少し驚いた様子を見せる。どうやら遊ぶことに夢中で時間を忘れていたらしい。
「皆、気をつけて帰りましょ。絶対に私から離れないでね」
赤ずきんがそう言うと周りの子供たちは素直にまとまって歩き始める。全員で帰宅を始めた。
◇
グリムが通ってきた道とは少し異なる帰り道だったが、道はこちらの方が歩きやすく、子供たちが森の中を通ることに慣れていることが伝わってくる。
「ぐるるるるる」
「オオカミか……」
村へ戻る道の先にオオカミが1匹現れる。先頭を歩いていた赤ずきんを守るようにグリムは前に出ようとするがその動きを赤ずきんが制する。
「大丈夫よ、ほら」
赤ずきんがそう言うとオオカミはこちらを見てから突然怯えるようにして森の中へと逃げだしていった。赤ずきんの母親が言っていた事は本当のようだった。
「オオカミが赤ずきんを襲わないってのは嘘じゃないんだな」
「マロリーさんも最初同じように驚いていましたね」
赤ずきんが笑いながら話す。外から来た人間ならではの反応だったらしい。
「どうしてかは分からないけど、オオカミに襲われたことは1度しかないの」
「ん?1度だけ?」
彼女の発言に疑問を持つ。先ほど赤ずきんの母親から聞いたときは確か赤ずきんは一度もオオカミに襲われたことはないと話していた。それと今の彼女の言葉には矛盾が生じる。
「本当の事を言ったら村の外に出る事を許してもらえなくなってしまうから……お母さんには嘘をついたんです」
赤ずきんは内緒ですよと言いながら理由を説明する。森の中で遊ぶために親に噓をつく。その行為は子供らしさといっても差し支えはない。見た目と精神年齢が繋がっていると感じ取れた。
「怖くはないのか?」
「ウルがいるから大丈夫!」
少女は断言する。その名前を呼ばれた少年は彼女の言葉を聞いて照れ臭そうに目線をそらしていた。先ほどの赤ずきんと似て子供らしい反応だった。
「彼は何かしらの役割を与えられた人間なのか?」
「いいえ、彼は普通の村人って言っていたわ」
赤ずきんは即答する。言っていたという言葉から直接彼の役割が書かれた「頁」を見てはいないのだろう。前の世界ではリオンが外から来たグリムを警戒して「頁」の確認を求めたりもしたが、少年少女である彼女たちはそのような行為をしていないようだった。
「それにしてもウル君だったか、すごい身体能力だったな」
「ウル、でいい」
少年はグリムの称賛の言葉に対して端的に返す。彼自身は先ほど赤ずきんを助けた行為に対して特に凄い事をしたつもりでもないようだったが、はたから見ていてあの身体能力は明らかに異常だった。
何かしら特別な訓練をつんでいた……もしくはそういった役割を持っていた人間ならば多少は納得できるかもしれないが、見たところ10歳前後の年齢の少年が同じ年頃の少女を抱えてしかも崖を駆け上がるなど並大抵の事ではなかった。
「あなたはいつも助けてくれるのが少しだけ遅いのよ、まったくどこ行ってたの」
赤ずきんは頬を軽くふくらましながらウルの方をバシバシと叩く。
「悪かった、森の中で花を摘んでいたから……」
ウルはそう言いながら申し訳なさそうに手を股間の部分に当てる。その様子からして言葉の意味が異なることをグリムは察した。
「それは女の子が言う言葉選びって前に言ったでしょ!」
「……す、すまん」
顔を少しだけ赤くした赤ずきんがより強い力で彼を叩く。
「もうすぐ森を抜けるわ」
赤ずきんがそう言うと暗く木々に覆われた森の先に光が見える。
村にたどり着きそうだった。




