第35話 彼女の涙
グリムのその一言を聞いたリオンは一瞬動きを止めた。
「どういうこと……今までの話を聞いている限り、あなたが白雪姫の頼みを断るとは思えないわ」
リオンの疑問はもっともだった。グリムは小さく息を吐くと再び物語を語り始めた。
「白雪姫が王妃の役割を順当にこなし続けていたある日、突然二人目の白雪姫が小人の家に現れた」
「二人目の白雪姫?」
「俺も小人達も目を疑ったが、確かにその少女の「頁」には白雪姫としての役割をこなすように書かれていた」
「そんなことが起こりえるの?」
「理由は分からないが、実際にあの世界では起きてしまったんだ」
あれからいくつもの世界を旅してきたグリムでも主役の役割を持った人間が二人同時に現れた世界はあの白雪姫の世界だけだった。
「でもそれなら……それこそ物語は完結できるわよね」
元々白雪姫だった人物が王妃を演じるようになった結果、世界が新しく主役を用意したかもしれないと、あの時あの世界に生まれた人々は自分たちが滅ばないで物語が完結すると喜んだ。
「……もし仮に物語の役者が揃ったとして、無事物語が進んだ場合、王妃の役割を演じるようになった最初の白雪姫はどうなる?」
「それは……」
そう……ただ一人、最初に主人公という役割を与えられた彼女を除いて。
「彼女は皆を救うために自ら嫌われ役を担った。二人目の白雪姫が出てきてからもその役割を粛々とこなし続けた」
二人目の白雪姫が現れてから白雪姫の世界の人々は最初の頃は喜ぶだけだった。
次第にすべての人々が物語の終幕を迎えるため、最初の白雪姫に王妃としての役割をこなすように仕向け始めた。
グリムは手の内側に跡が残るぐらいの力で手を握りしめる。力を抜いてあの時の光景を語るのは不可能だった。
「俺にはそれが……耐えられなかった」
なぜ本物の王妃と王子が消えたのか、なぜ二人目の白雪姫が現れたのか、なぜあの優しくすべての人の救済を望んだ白雪姫が最後に業火に焼かれて死ななければいけないのか、グリムは理解出来なかった。
そしてある日、グリムは王妃を演じることに耐え切れず、1人で涙を流していた最初の白雪姫を見てしまった。
「……王子役を担った俺は新しい白雪姫を助けずに最初の白雪姫を救おうとした」
会話を続けていくうちにお酒の酔いは完全に冷め、頬には冷や汗が垂れていた。
グリムは自身の声が少しだけ震えているのが分かった。
「俺は毒リンゴを食べさせられた新しい白雪姫のもとに駆け付けず、小人や衛兵を払いのけて、城の中で一人焼き殺されるのを待つ彼女のもとへと向かった」
視界に映るグラスについた水滴が机の表面をたどり、端から雫がポタポタと音を立てながら垂れている。酒場の中は酔いつぶれて寝てしまったマスター以外に人はいない。静まり返ったこの場では水滴の音がはっきりと聞こえた。
「王妃を演じていた白雪姫は俺を見るなり涙を流してこう言ったよ『あなたのせいで世界が滅ぶ』とな」
瞼を閉じれば今でもあの光景が浮かぶ。胸ぐらをつかまれ、たくさんの言葉で糾弾され、最後にはその場に泣き崩れる王妃を演じた白雪姫の姿が。
『あなたは最悪の人間よ』
最後に彼女が言った言葉を今でも覚えている。
「俺が……俺だけが勘違いをしていたんだ。たとえ理不尽な役割を与えられたとしても、世界の理に背くことを世界と人々は決して許さない」
もしあの時、物語に沿って毒リンゴを食べた白雪姫を救っていたら……
もし彼女に言われた通りに、王子としての役割を全うしていたのなら……
世界が滅ぶことも、大切な人が泣くこともなかったのかもしれない。
「最終的に世界は灰色の雪に包まれて、彼女が救おうとした世界は滅んだ……以上が俺と白雪姫の世界の顛末だ」
語り終えた頃にはグラスの中に入っていた氷は完全に溶けていた。
◇
「……なによそれ」
話の途中から言葉を発さなくなっていたリオンが口を開いた。
「......面白くない話だっただろ。これが「死神」と呼ばれた俺の原点だ」
「死神」この世界でも噂になっていた物語を崩壊させる存在。今までずっとリオンには黙っていた。噂話で語られる存在は自分自身であるとグリムはわかっていた。
白雪姫の世界で最初の白雪姫を救おうとした行為も、リオンに話してはいないジャンヌダルクの世界で主役を担った人間の願いを叶えようとした行為も人々から見れば世界を滅ぼす「死神」に違いなかった。
「……じゃない」
「?」
彼女のか細い声が聞こえた。何を言っているのか聞き取れず聞き返そうとした、そのつかの間だった。
「あなたは決して死神なんかじゃない!!」
体を前に突き出しながらリオンは叫んだ。先ほどまで酔いつぶれて寝ていたマスターもびくりと体を震わせた。
「……なんでお前が泣いているんだ」
リオンは大粒の涙をこぼしていた。
「あなたは何も悪くないじゃない。あなたは最初の白雪姫の為に動いた、それだけよ!」
リオンの発言を聞いてようやく彼女がグリムの身を思って煩悶していることを理解した。
「……結局俺はあの世界をかき乱して崩壊させた事実は変わらない。役割を与えられなかった俺が余計なことをしなければあの世界は無事に完結したんだ」
「それでも!あなたは最初の白雪姫のことを思い続けた!あなただけがその人を白雪姫として最後まで救おうとした!」
先ほど視界に入った水滴よりもはっきりと見て取れるほどにリオンの涙が机の上に次々と零れ落ちた。
「あなたを間違っているなんて私は思わない」
涙で頬を濡らして顔を少し赤くしながらも視線はまっすぐグリムに向けられていた。
言葉にはリオンの真摯な感情が乗せられていた。
「私たちが馬に襲われそうになった時、あなたは真っ先に助けてくれた」
「……その行為と俺の過去は別の話だ」
いいえ、とリオンは否定をする。
「いつだってあなたの行為は決して世界を滅ぼそうとしている物じゃない。誰かを救おうとしているだけよ」
「…………」
その真剣な瞳に、慈愛に満ちた表情に、柔和な仕草に、熱のこもった言葉にグリムは思わず目をそらしてしまう。
「……明日はいよいよ舞踏会なんだろ、そんな様子で大丈夫か」
「だ、誰のせいでこうなったと思っているのよ!」
ごしごしと涙をぬぐいながらリオンは立ち上がる。
「明日、舞踏会には出なくていいから必ず私を見に来なさいよ」
「俺の話を聞いていたのか。俺がいると物語が……」
「召使に最後の命令よ。あなたに助けられた私とシンデレラが見事にこの物語を完成させる姿を必ず見届けなさい」
そう言うとリオンはくるりと向きを変えて酒場から出ていこうとするが、途中で足を止めて振り返る。
「そうそう……あなたは決して「最悪」ではないわ」
「……何が言いたい?」
「グリムって名前、私は好きよ」
「それだけ!」と言ってリオンは扉から出ていった。
「…………」
グリムはその場に残ったグラスに口をつける。
氷が溶けたせいなのか、苦みは一切感じられなかった。




