第2話 意地悪なシンデレラの姉
「薄汚れの醜い女め! あなたがいなければ私たちはもっと幸せに暮らせたのに!」
家の中では今日も怒号が飛び、罵られた少女が肩をびくっと震わせた。
「いいかいシンデレラ、今日私が家に帰ってくるまでには必ず掃除を終わらせるんだよ。埃一つ残したら、ただじゃ済まさないからね!」
怒鳴るようにシンデレラと呼ばれた少女は消え入りそうな声で「わかりました」と言うと雑巾を持って床の掃除を始めた。
(……本当に様になっているなぁ)
シンデレラの姉、正確には血の繋がっていない義理の姉は日常化されたその風景を見てため息を吐く。
シンデレラからすると義母にあたるあの人物の態度は半分演技であり、半分本心だった。
(それもそうよね……与えられた役割がよりにもよって意地悪なシンデレラの義母なのだから)
生まれたその瞬間から損な役割を与えられているのだから態度にもでるだろう。
本来演じなければいけない役割と相まって、より完成度の高い「意地悪なシンデレラの義母」になっていた。
「あなたもまだ無理に従い続けなくてもいいのよ」
母が家を出ていったのを確認してから姉は心配するようにシンデレラに話しかける。シンデレラは姉の言葉を聞きながらも手を止めることはなかった。
ただ下を向いて無言のまま雑巾で床を拭いていた。
「物語が動き出すのは舞踏会が開催される日にちが決まってからよ。まだ役に身を要りすぎる必要はないと思うけど?」
「わ、わたしは元々こういう性格なので……ごめんなさい」
シンデレラは頭を伏せたまま姉に謝罪する。この世界に生まれてから共に暮らし始めて分かってはいたが、彼女は気弱な性格だった。
「お、お姉さまこそ、この会話は危険です。その……役割に反していると、お姉さまが……」
「さっきも言ったでしょ。別にこの程度なら大丈夫よ、私は燃えたりはしないわ」
今心配されるべきは不遇な扱いを受けている彼女のはずなのに、それよりも姉の身を案じてくれた。本当に優しい子だと姉は思った。
燃えたりはしないわ、という自分で言った言葉に対して姉は笑ってしまう。
『意地悪なシンデレラの姉』という役割を与えられたぐらいなら、いっそのこと役割に反して燃えてなくなったほうがいいのかもしれない……
良くない考えを振り払うようにシンデレラの姉は自身の頬を軽く叩いた。
「私も出かけるから、無理はしないようにね」
「は、はい。ありがとうございます、お姉さま」
シンデレラの言葉を背に姉は家の外へと出た。
「お姉さま……か」
家の扉を閉じた姉はシンデレラに言われた言葉をぽつりと繰り返す。
『シンデレラ』という物語において、名前を与えられる者は主人公しか存在しない。
ほかの主要と呼べる役者である王子様や魔女等にも名前はなく、ただの名称しかなかった。
名前がある事をうらやましいと思った事は何度もあった。
物語は主役がいるだけでは成立しない。その周りに主要な役者がいるだけでも足りない。ほとんど物語に影響を与えない役無しの人々がいてはじめて世界は成り立つ。
町の住人という本当に演じる価値があるのか怪しい役割を与えられた者たちが多いこの世界の中で、認識される役割がある自分は幾分か幸せだ……シンデレラの姉はそう思いこんで今日まで生きてきた。
外の日差しがまぶしくて姉は手で太陽を隠す。
輝きに思わず目を背けそうになる。その光はまるでシンデレラみたいだった。
「やぁ、意地悪なシンデレラの姉さん。今日はいい天気だね」
はたから聞けば罵倒にも捉えかねない発言が通りの向こう側から飛んでくる。
声の主は路上で売店を開いているパン屋の主人だった。主人はシンデレラの姉が気がついたのを見ると手を振って自身のもとへと招き誘った。
「その呼び方いい加減やめてくれないかしら?」
「そうは言っても、あんたにも俺にも名前はないからなぁ」
頭に被ったコック帽を整えながらパン屋の主人は笑う。
どんな世界でも物語の中で主要人物以外に名前はほとんど存在していない。
それゆえに大半の人々は名前を持たない事を自然なものと捉えていた。
(私がおかしいのかしら……)
この世界で唯一名前を持っているシンデレラに近い位置にいるせいか、「意地悪なシンデレラの姉」の役割を与えられた彼女は名前がない違和感を拭えずにいた。
「俺はあんたと違って役割すらまともに持っていなかったわけだが……あんたのおかげで今ではこうやって一丁前に町のパン屋さんってわけよ」
男は机の上に綺麗に並べられたパンを両手でみせびらかす。
食パンやクロワッサン、メロンパンにブリオッシュ……様々な種類のパンが並んでいた。
「別に私のおかげじゃないわよ。あなたがパンを焼くのが上手だったから、パン屋をしてみたらどうって言っただけじゃない。実際にやっているのはあなたよ」
「それでも俺自身はパン屋をやってみようなんて思いもしなかった。俺の「頁」にパン屋を演じるなんて役割は一切書かれていなかったからな」
パン屋の主人は笑いながら話す。
「頁」とは全ての生き物が生まれた時から所有している、その人間が世界から与えられた役割について簡単なイラストとともに文字で綴られた1枚の紙の事である。
与えられた役割に沿った容姿で人々は生まれてくる為、赤子で生まれてくる者がいれば老人の姿で世界に生を受ける者もいる。
また、ほとんどの人間はその容姿に沿った精神年齢や知識を持って生まれてくる。
ゆえに大半の人間は「頁」に書かれた役割をこなすこと自体は難しい話ではなかった。
「最初は「頁」に書かれていない事をやったら燃えるかもしれないと不安だったけどな」
「馬鹿ね、この程度の事で死ぬわけないでしょ」
シンデレラの姉の指摘にパン屋の男はぽりぽりと頬をかいた。
「頁」に書かれた役割に背いたと世界に判断された者は「頁」と共に燃えて世界から焼失してしまう。直接的な言葉で表現するなら死亡する。この世界の理は全ての生き物が生まれた時から知っていた。
「頁」はその役割を果たすまで決してその人間から離れることはない。それゆえに与えられた役割から逃れる術はない。
そんな一見、恐ろしく、命と同等の価値のある「頁」はその人間がどのような存在として生きなければいけないかを示した一つの生きる指針でもあった。
以前意地悪なシンデレラの姉は目の前の男の「頁」を見せて貰ったことがある。
彼の「頁」には与えられた役割の「町の住人」という文字と簡単な人間の絵しか書かれていなかった。
なんて雑な役割。それがシンデレラの姉が見た時の感想だった。
彼がパン屋を開くことは町の住人を演じる範囲内と世界に認識された為、彼が燃えることはなかったというわけだ。
シンデレラの姉に提案されたパン屋を開くという意見に耳を傾けなければ彼はただそこに書かれた通り、町の住人として何もしないまま人生を終えていたかもしれない。
「今じゃ町中の人間が俺のパンを買いにきてくれるんだぜ?」
パン屋の主人になった男は嬉しそうに話す。彼にとってはパン屋という職業は肌に合っていたらしい。
「ほら、これが新作のパンだ」
パン屋の主人はシンデレラの姉に小さな紙袋を渡す。中身を確認してみると香ばしい香りをまとった黄金色に焼かれたパンがいくつか入っていた。
「いつものお礼さ。ダンスレッスンの合間にでもくってくれ」
「あら、今日は講習もお休みよ。でも、貰っていくわ。ありがとね」
舞踏会に向けてシンデレラの姉は講習場にほとんど毎日通っていた。
パン屋の店主は売店からその様子を眺めていたらしい。
「じゃあな、意地悪なシンデレラの姉さん!」
「だから、その呼び方やめてって言ってるでしょ!」
店主はわははと軽快に笑う。彼から悪気は一切感じられなかった。