ああ、猫を新調しなきゃ
私はその日、猫を新調するためにある専門店へ足を運んだ。
「意外と多くあるものなんだな。この店舗なんて、すぐそこじゃないか。」
私は店舗の場所をスマホで検索し、その店舗の数に驚愕した。私自身、こういった場所に足を運ぶことは無かったので、専門店の実情には疎かった。私は一通り経路を確認したのち、最低限の荷物を持って家を出た。
「お前の猫は古い……か」
先日の上司の言葉を思い返す。上司に言わせれば、私の猫はくたびれていて、ところどころに穴が開いているのだと言う。言われてみれば、私は今まで自分の猫にこだわりを持ったことは無かった。だが、指導されるほど古くなっているとは意外で仕方が無かった。
そう言ったことを考えているうちに、店舗の前までたどり着いていた。店の外装はアパレルショップに近く、おとなしめでどこか高級感を感じさせる装飾が施されていた。
早速店の中に入ってみよう。多少の緊張感と共に扉を開けると、それと同時に店員の明るい挨拶が聞こえてきた。
「いらっしゃいませー。猫の新調でしょうか?」
「あ、そうです。私、こういう店に来るのは初めてでして……」
「ああ、初めてのお客様ですか。大丈夫ですよ、お客様の猫選びを全力でサポートさせていただきますので。」
20代前半に見える若い女性店員は、笑顔で私を店の中に通してくれた。私は少しほっとしながら、店の奥へと入っていく。店の奥には少し広めのスペースがあり、そこに陳列したショーケースの中には多種多様な猫がずらりと並べられていた。
「どのような猫がご希望でしょうか?」
「え、えーっと。私、猫には疎くて、全然わからないのですが……」
「失礼いたしました。それでは、もし差し支えが無ければ猫を新調する理由を教えていただけないでしょうか。」
「会社の上司に、『お前の猫は古い』と言われまして。」
「それは災難でしたね。現在の猫をお借りしてもよろしいですか?」
「もちろんです。」
私は猫を外し、店員に猫を差し出した。
「これは……、真面目で勤勉、没個性で保守的なタイプの猫ちゃんですね。んー、今でも十分やっていける猫ちゃんだと思いますが、今のトレンドと比べると、確かに見劣りしてしまいますね。」
「そうですか。じゃあ、流行りの猫ってどんな奴なんです?」
「トレンドの猫ちゃんを持ってきますので、少々お待ちください。」
「あと、少し暑いから店内のエアコンの温度下げてもらっていいですか?」
「わかりましたー。」
私は遠ざかって行く店員の声を聴きながら、さっきまで被っていた猫を近くにあったテーブルに置いた。
しばらくすると、店員が両手いっぱいに猫を抱えてやってきた。
「じゃあさっそく猫ちゃんの紹介をしていきますね。この猫ちゃんは憎めないタイプというもので、社会人の方にとても人気です。出世が早くなる、上司に気に入られるといった利点があります。旧型の仕事ができるテキパキタイプと比べますと、多少のミスをしても信頼を失いにくいといったメリットや、仕事が家庭に影響しにくいといったメリットがあります。ですが、個人の頭の回転の速さが求められる少し扱いの難しい猫ちゃんでもあります。」
「他のやつは?」
「こちらは憎めないタイプのカラー違いでして、いわゆる小悪魔系の猫ちゃんです。女性の使用者さんが多いですが、男性でも十分に効果を発揮してくれます。」
「他のでお願いします。」
「ではこちらはいかがでしょうか。無個性で寛容タイプです。ぞくに言うお人よしですね。周囲からの評価は高くなりやすいですが、精神病、搾取など大きなリスクを背負っている猫ちゃんです。」
「んー、他のものは?」
「ええと、ではサバサバタイプはいかがでしょうか。上司部下関係なく、評価が両極端になりやすいタイプの猫ちゃんです。もともと優しすぎるのがコンプレックスな方によくお薦めしているタイプです。」
「もともとそういう性格ではないので…」
その後も店員はたくさんの型の猫を紹介してくれた。ツンデレタイプ、クールタイプ、傍観者タイプ、お調子者タイプ、ノリがいい奴タイプなどなど。しかし、どれもパッとしなかった。カスタムで組み合わせたり、オプションでよりあった形にしたりできると提案されたが、そういったカスタムにも興味はわかなかった。
自分に合う猫は何なのか。考えれば考えるほどにわからなくなる。そもそもなぜ本来の自分を猫で隠さなければならないのか、本来の自分を消すことを強制されるのか、わからなくなってきた。「自分にしかできないこと」「自分の個性」を求める社会の風潮がある反面、その個性を消すための猫を売る店が増えている。これはどういうことなんだ。
「ではこちら、」
「あの、すみません。質問良いですか? なんで猫は必要なのでしょうか?」
私はついに疑問を口にしてしまった。店員はしばらく考えている様子だった。
「あくまで私の意見ですが」そう言って店員は話し始める。
「自分のファッションに気を使っている人ほど、他人のファッションに口うるさくなるじゃないですか。それとおんなじだと思うんですよね。自分の猫ちゃんを気にしている人ほど、他人の評価に敏感で、それに左右されやすい。」
店員は続ける。
「でもそういう人って、猫を気にしなければいけないほどの恐怖感や危機感があったから猫を気にし始めたんだと思うんですよね。だからこそ、猫を気にしていない人、言い換えればありのままの自分を出せている人が気に喰わないんだと思うんですよ。」
更に店員は続ける。
「本当にファッションが好きな人は、人のファッションにあーだこーだ言わないと思うんです。だって自分が満足できればいいから。周りにダサいと思われるのが嫌で、半ば強制的にしている人ほど、人に口を出すようになる。
「結局みんな、自分の在り方が歪められるのが嫌なんです。でも、社会という型にはまるため、自分の形を変えなきゃいけないって諦めたとき、だったら他の奴も道連れにしようと思うんですよ。」
「だから、必要なんです。一種の諦めです。」
私は次の日から、その店で新調した猫を被って働いている。