『終わりゆく死への道ー最晩年の西村賢太と明暗ー』
『終わりゆく死への道ー最晩年の西村賢太と明暗ー』
㈠
今回、長らく書いていなかった、西村賢太論を書くにあたって、今年の2月5日に、単行本で刊行された、『蝙蝠か燕か』によって、論を運ぼうと思った。初出は、2021年11月号の、「文學界」である。内容としては、最晩年の西村賢太の、心境小説的、私小説、と言ったところか。
この時まだ、西村賢太は、もうすぐに迫っていた自己の死への道のことなど、考えてもみなかっただろう。小説の内容も、まだまだ、これから、というー意思ー、が読解出来る。そして、この小説が、最晩年の小説だと、規定されることもまた、意識の他であっただろう。
㈡
一つ気になる文章が、『蝙蝠か燕か』には、看守出来る。小説、最後の、文章である。
彼は何がなし、(中略)、蝙蝠か燕かの形影を探した。(中略)あの"没後弟子道"の出発の日に、(中略)、あの日見たところの、群れから取り残された蝙蝠だか燕だかの黒点を頭の中で翻させる。『蝙蝠か燕か』/西村賢太
何か、自己意識を離れたものに、何かを望み託すような、自己忘却の影が、文章からは、見て取れる。
㈢
少し話は変わるが、学生時代、友人が没頭していた、夏目漱石の、『明暗』という小説を思い出した。自分は、しっかりとこの『明暗』を読んでいない。しかしに、タイトルからして、如何にも、自己の人生が明か暗に、分かれる、人生の分岐点を思わせるし、これも、夏目漱石の、最晩年(未完)作である。
人間は、歳を取れば取るほど、狭き道を歩くように、自己は考えている。そんな世界で、あたかも、自己の分岐点が、明暗として現れることが、極自然な様に思われてくるのは、もう、運命に抗えないことを知った時なのである。
㈣
話を元に戻すと、その西村賢太の『蝙蝠か燕か』の最終部分で見た、いや、正確には見ようとした、「蝙蝠だか燕だかの黒点」とは、自身の運命のそのものだったのではないだろうか。それをものの見事に、「翻させる」時、深く刻まれた、西村賢太自身の、一つの宿命を、感ぜずにはいられない。
つまりは、終わりゆく死への道、の一点だったのではないだろうか。自分には、長編で未完の小説、『雨滴は続く』よりも、この、『蝙蝠か燕か』のほうが、よっぽど、西村賢太らしい、最晩年の映像的文章に思われる。
㈤
芥川龍之介賞を取っている、西村賢太であるが、芥川というよりは、何か、志賀直哉の『暗夜行路』を思わせる、自己の暗く細々とした運命への道が、感せずにはいられない。無論、金持ちだった志賀直哉と、この貧乏の底辺に居た西村賢太を、多くの人は、対極に思うだろう。
しかし、金、というよりも、生き様の問題である。時にバイオレンスに満ちる行動暴言は、自分の道を、自分で決めて、全うするという、生き様のことである。誰に何と言われようと、進むべき道を、進めばこその、行動暴言である。
㈥
そもそもが、バイオレンスだの、行動暴言など、倫理に即して行わなければ良いものを、わざわざする、というのは、自分の気持ちに正直にならざるを得ない、という、倫理崩壊に即しているからだ。勿論、悪である。恐らく、己が己を欺くことへの嫌悪が、そうさせるのだろう。
『終わりゆく死への道ー最晩年の西村賢太と明暗ー』と題した、この文章だが、結句、最晩年の西村賢太は、明暗の暗のほうを、選んだと思って居る。しかし、西村賢太は、恐らく、敗者ではなく、勝者であろう。西村賢太の没後、文壇を、未だに、西村賢太は支配している。天国で、恐らく、明と、笑っているに違いない。