第3話:既視感
「この後ちょっとカフェにでも行かない?」
病院のエレベーターで1階に出たところで、前を歩いていた葵が2人を振り返り、提案した。
「いいぜ」
「賛成だね」
純と明は快諾した。葵は軽く笑みを浮かべた。
「じゃ、行こうか」
カフェ『パールム』。
3人がよく一緒に行く喫茶店だ。放課後に3人で会う時はここか、ファストフード店が多い。
あまり混雑することもなく、落ち着いた内装が特徴で、居心地が良いと感じる。
純と明はカフェラテ、葵はストロベリーパフェとホワイトチョコレートのラテを頼み、4人掛けのテーブル席に座った。
葵はこちらを見向きもせず、パフェを食べ始めた。その様子を見て、明はため息をつく。
「にしてもアッシーは毎回そんな甘いの食べてるけど、よく太らないよね」
彼女はムッとした表情で明を睨んだ。
「ちゃんとジムに行ってトレーニングしてるから。消費カロリーと摂取カロリーは相殺されてるの」
「…どういう理論だよ。アッシー、お前年取ったら絶対デブるぞ」
呆れ顔で純がそう言うと、葵の鋭い目線は彼に移った。
「うるさいし。…ってゆーか、あんたらデリカシーなさすぎ」
純と明は顔を見合わせた。
「って言われてもなぁ、ジュン」
「そうだなぁ。毎回こうだと、デリカシーある発言をする方が難しいよな」
「…そんなに憐れみの目を向けないでくれるかしら。食べづらい」
そうは言いつつも、葵はパクパクと食べ続ける。相当お腹が空いていたのだろう。
ものの数分でパフェを食べ終えた彼女は、空になったガラスの容器にスプーンを入れ、ティッシュで口元を拭いた。
「ご馳走様。美味しかった」
「おぉ…」
2人は褒めることも、かといって貶すことも出来なかった。
混雑こそしていないが、人気なだけあって先よりも席は埋まりつつあった。カウンター席や2人掛けのテーブルで、ノートパソコンや本を広げ作業をする人達、俺達と同じように下校途中に寄ったのであろう女子高生数人組、お茶会を開いている女性などで店内は賑わっていた。
ホワイトチョコラテを一口飲み、葵が口を開いた。
「ジュン、スイ。そっちは最近、どう?」
学校が違うもの同士のよくある現状報告というやつだ。
明は口をへの字に曲げ、目線だけ上にやった。
「特に僕の周りでは変わったことはないな〜。ジュンは何かある?」
変わったことか。そうだな…
「最近、『既視感』を覚えることが多くなった、かな」
「キシカン?」
葵が聞き返す。
「それってあの、『デジャヴ』ってやつよね?前に見たことがあるように感じるっていう」
純は首を縦に振った。
そう。彼は数日前から、身の回りの物に対して既視感を覚えることが増えた。街中で見た知らない人に前どこかで会っているように錯覚したり、初めて読んだはずの漫画のシーンを覚えていたり、初めて聴くミュージシャンをいつか昔に聴いたことがあるように感じられたり。例えようのない気持ちの悪い何かにまとわりつかれているような感覚にストレスを感じていた。
「さっきだってさ。あの漫画」
純は読んだことのない漫画のことを葵に話した。
「あぁ、あんたが『イシフラ』って言ってた…『一心不乱なフランケン木暮くん』ね」
彼女は足を組み、「う〜ん」と唸った。
「ホントはどこかで読んだことあるんじゃないの?」
いやいや、と純は首を横に振った。
「ないんだよ。改めてあの表紙を見たんだけど、実際にこの目で見たのは初めてだった」
明が訝しげな表情を浮かべる。
「実際にって、どういうことだ?…夢の中で読んだことがあるみたいな言い方だけど」
「俺にも分からねぇ」
葵はウェーブのかかった自分の髪を指でくるくると弄った。
「…疲れてんじゃない?私だってそういう時あるし」
やっぱりそうなのかなぁ。最近は舞が入院したっていうのもあるし。
そうは思うものの、納得のいかないところではあった。
彼女は純の目元を凝視する。
「…なんだよ?」
「ちゃんと寝てんの?ちょっとクマがあるわよ」
そう言われ、純は「あぁ」とぼやいた。そういえばあまり寝れていない気がする。
「まずはちゃんと寝ることよ。それでも治らなかったら、また話しましょ」
「そうだな。そうするわ」
なんだかぎこちない雰囲気になってしまった。その様子を見ていた明はラテを一口飲み、「そういえば」と言って葵を見た。
「アッシーの方はどう?」
「私かぁ…」
次は葵の番だと言わんばかりだ。彼女は口を窄めて、目線を落とした。
「これといってないかな。まぁ強いて言うなら…」
もったいぶる言葉の続きを2人は待つ。
「昔の私に会いたい、かな」
「あぁ…タイムトラベルってやつか」
葵は笑みを浮かべていたが、冗談ではないようであった。明は意外そうに彼女に尋ねる。
「ふーん…昔の自分に会って何すんの?」
葵はカップに刺さったストローを指で摘んでいじる。ラテの泡がぐるぐると混ざっていく。
「もっとちゃんと、数学を勉強しておけって言ってやりたいわ」
期待外れ。明の顔にはそう書いてあった。
純としては、その目的が何であれ、自分と同じ願望を持っていることを嬉しく思った。
「だってほら。昔から真剣に理系の勉強しておけば、こんなに苦労することはなかったんだろうし」
葵の夢は薬剤師だ。それゆえにクラスは理系であるが、数学が特に苦手なのだという。中学生の頃、碌に勉強をせず遊び呆けていたのが災いした、らしい。
もしタイムトラベルができたら何をしたいかという話題でそれが真っ先に出てくるということは、彼女にとっては相当後悔しているという証拠だ。
「そんなものに頼らなくても、アッシーは薬剤師になれるよ」
純の言葉に葵は微笑んだ。明も「うんうん」と続く。
「おっ嬉しいこと言うじゃ〜ん!いつもその調子でいてほしいわ」
俺も、過去に戻りたい。やり直したいことは、きっと葵よりも多い。
間接的ではあるが、何人も死なせてきた。明も葵も、それを知っていながら知らないふりをしてくれている。
2人は優しいんだ。それが時折、とても切なくなる。
彼女を励ましながら作った自分の笑顔の内に、薄暗い闇が広がっているのを感じずにはいられなかった。