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ワンデイ・ワンスモア  作者: はやさか あわき
11/22

第10話:才華

純は昔、「先生」が嫌いだった。


友達とふざけあっていると「先生の話を聞け」と怒られる。

授業は退屈。教えるべきことを垂れ流しているだけ。

生徒のことを贔屓する。真面目な生徒は可愛がられ、不真面目な生徒は相手にされない。

純は先生に気に入られるタイプの人間ではなかった。それ故に、純も余計にひねくれていった。わざと宿題をやらずに授業にでたり、そもそも授業に出ずに校庭で過ごしたり。先生を困らせてやろうとして、更に嫌われていった。

親を呼び出されて、目の前で謝らされた時は屈辱だった。それでも俺は今後ずっと、反抗してやろうと思っていた。


小学4年生までは。


純の担任教師である才華 唯。純が小学5年生の頃に、ここ阿佐峰(あさみね)小学校にやってきた。当時彼女は23歳。他の教師と比べると異例の若さであり、それゆえに活気に溢れていた。彼女の明るい性格が、純達のクラスの雰囲気をより良いものに変えてくれたことをよく覚えている。

いたずら好きな明やマイペースな純の性格には手を焼いていたが、それでも教育を放棄することはなく、平等に、1人1人に対して接してくれていた。そんな才華先生を、純を含めクラスの全員が好きだった。

その中でも純は、特別な感情を抱いていた。純以外の彼女に対する「好き」とは違う「好き」。彼は幼いながらも才華 唯を()()()()()好きだった。

彼女の大きなぱっちりとした瞳は、目が合うと心を持っていかれそうになる。容姿も素晴らしかったが、純が彼女に惹かれた最大の理由は、やはり才華自身の性格だろう。

今までほとんどの先生が、純に対しては冷たい態度をとっていた。完全な問題児扱いであったのだ。

才華が担任になった時も同じように扱われるだろうと思った。純は与えられた宿題をせず、授業にでた。


『あれ、加古川くん。宿題は?』

『やってねーよ。つーか、やるわけないっしょ』

彼女は口をつぐんだ。純は机に肘をつき、そっぽを向いた。

『…じゃあさ。放課後、一緒にやろうよ』

『…は?』

彼の机の前にいる才華 唯は、怒ることなく、微笑んでいた。純は呆気に取られて、言葉を失ってしまった。

『加古川くんがちゃんと解き終わるまで付き合うからね』

一方的にそう言い、教卓のほうへ戻っていった。

今まで散々迫害されたせいでささくれてしまった心に、そんな優しい言葉は沁みるようだった。素直になれなかったが、この瞬間、ほんの少しだけ嬉しかった。


放課後になると、本当に彼女は宿題を持って純の元へ来た。

『はい、これ!』

3枚のプリントが机に置かれた。

『いや、オレ帰るし。いらないよ』

ランドセルを持って立ち上がる純の両肩を抑え、椅子に座らせた。

『…』

もう一度立ち上がるも、両肩を抑えられ座らせられる。

『あーもう!離せよ!』

『ダメ!ちゃんと解くんだよ!ほら先生が教えるから!』

頬を膨らませ、駄々をこねる純に叫ぶ。周りで何事かとこちらを見る生徒がチラホラいたのにも関わらず、彼女は気にせず純だけを見つめていた。

『わ…分かったよ』

ランドセルを降ろし、その中から筆記用具を取り出した。才華はニコっと微笑み、プリントを純に見せる。

『じゃ、やっていこっか』

彼は頷くことはなかったが、その中からシャープペンシルと消しゴムを取った。教室には生徒がまばらに残っていたが、時間が経つにつれ下校していき、純と才華以外誰も残らなくなった。


1時間後。才華から何回か助言をもらい、宿題を解き終えた。

『はい!終わり!頑張ったね~!』

才華が拍手し、純の頭を撫でた。彼は両手でそれを払いのける。

『止めろよ!…オレ、今度こそ帰るから』

彼女は頷き、机に残ったプリントを回収した。純はランドセルを背負い、立ち上がる。

『気をつけて帰るんだよ』

『…ふん』

才華に背を向けると、すぐに声がかかった。

『加古川くん!』

『何?』

『その、胸に名札が付いたままだから、外してね』

純は言われた通り、胸に付いた名札を外し、右ポケットにしまった。

教室から廊下に出たところで、純は自分の口角が上がっていることに気が付いた。教室の方を振り返ると、微かに鼻歌が聞こえてくる。

オレが喜んでいる?そんな…有り得ない。先生なんてみんなクズだ。あの人もそうに決まっている。オレと関わることに何のメリットがある?

「なんなんだよ…」

純は高鳴る心臓の鼓動に落ち着かず、そわそわしながら帰宅した。


素っ気ない態度を取ってやれば、才華先生はオレを見捨てるに違いない。だが、次の日もその次の日も、彼女は純を見捨てることはしなかった。

時には本気で怒られた。他の先生にはない気迫と真剣さがあり、普段の朗らかな彼女とのギャップの差でビビってしまったのを覚えている。

そしていつしか、純は「この人はオレに対して本気で接してくれているんだ」と思うようになった。反抗的な態度に真正面からぶつかってくる先生は、彼女が初めてだった。

純は段々と自身の、そのひねくれた態度が丸くなっていくのを感じた。それと共に初めて、好きな人ができたのだ。

でももちろん、彼女がオレを男として見るわけがない。叶うことのない恋だ。でも純は、なんとか彼女に気に入られようと努力した。

運命の11月3日、純は放課後、才華を誘った。近場にある公園で遊ぼう、と。

彼女はまだ仕事が残っていたが、快諾してくれた。そして徒歩2分の場所にある公園で遊んだ。


『あはは、才華先生ってばノロマですよ!』

『純くん、足が速いよ〜』

鬼ごっこ、ブランコ、ジャングルジム。

遊び始めて30分ほど経った頃。突然大粒の雨が降り始めた。天気予報には聞いていなかったゲリラ豪雨だ。

『うおぉ!やばい』

『学校に戻ろ!』

2人は切り上げて校舎に戻ることにしたのだが、そこで事故は起こった。

学校の目の前にある横断歩道を純が渡り始めた時、左から猛スピードで大型トラックが停止せずに突っ込んできたのだ。

まだ子供だった純は、その注意力が充分ではなかったため、トラックに気付けなかった。少し後ろを走っていた才華がそれに気付き、純めがけて走り出す。

『純くん!』

彼を両手で押し、歩道へやった時には、もう遅かった。

トラックの運転手は居眠りしていたため、彼女を轢く前も減速しなかった。ものすごいスピードで彼女を轢き、その後は数十メートル先にあるガードレールに派手に突っ込んだことで停止した。

轢かれた才華先生は、トラックの下を引きずられ、まるで人形のようにアスファルトの上を何度も跳ねて転がった。

純はなぜ後ろから押されたのか分からなかった。勢いよく地面に不時着したため、膝が擦りむけている。

『…才華先生?』

後ろにいたはずの才華は、純から10メートル以上離れた車道に倒れていた。

『先生!』

直後、膝の痛みは消え、純は彼女の元に走り出していた。心臓の鼓動が急スピードで上がり、呼吸ができなくなるほどに苦しくなる。

才華の近くに駆け寄った純は息を飲んだ。子供でも一目で分かるほどの凄惨な状態だった。左腕が変な方向に曲がっていて、衣類はズタズタになり、全身血だらけで。それでいて彼女は、純の無事を確認すると、微かに笑ったのだ。『よかった』とでも言うように。

『先生!い…今救急車を呼んでくるから!』

純がそう言うと、彼女は『いい』と断った。

『え…?』

『救急車は、いい。それよりも、今は…そばに…いてほしい…かな』

純の方を見ずに、絞り出すような声でそう言った。

『何言って…先生死んじゃうよ!ダメだよそんなの!』

『おねがい…いかないで…』

激しく降る雨の中、彼女の消え入りそうな声は澄んで聞こえた。彼は1度は立ち上がったものの、膝を震えさせながら、彼女の傍にしゃがみ込んだ。

『ありが…とね』

激しい雨が2人を打ちつける。彼女の体から流れる血がアスファルトに広がっていく。

『嫌だよ、先生!嫌だ…嫌だ』

いつもなら、笑って返してくれるはずなのに。

『先生!先生!』

その体を揺らしても、応えてくれない。半開きの口からは真っ赤な液体が溢れ続けていた。

『純…くん』

彼女の視線は純を捉えておらず、泳いでいた。今はもう…見えていないのだ。

才華は辛うじて動く右手で純を探した。手のひらが彼の左手に触れると、それを握りしめた。その力はとても弱々しく、純は余計に悲しくなった。

『ごめん…ね。卒業まで…見て…あげられなくて』

喋らないでくれ。純は首を横に振る。涙が溢れて、目の前にいる彼女の顔がよく見えない。

彼女の目からも涙が1粒、伝って落ちた。

『…悔しい…なぁ…』

それだけ言うと、動かなくなった。純の左手を握っていた右手が脱力し、アスファルトに垂れる。薄く開いた瞼からは瞳孔が開いた目が宙を見ていた。

『先生…?どうしたのねぇ?先生?』

動かない。

『ねぇ才華(さいか)先生!…』

何度その体を揺らしても、動かない。

『…せんせ…せん…』

口を開いても、もう出てくる言葉がない。

オレのせいだ…オレが、先生を遊びに誘ったから…!


『…くっ…うああああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!!』


純の慟哭と雨の音だけが響く。


もう彼女が笑うこともない。


彼女から怒られることもない。


名前を呼ばれることもない。


純が初めて愛した才華 唯は、死んだ。

俺は、人殺しだ。

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[良い点] 思ってたより純のせいだった
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