湿潤やかん
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うん、やはり冬に、ストーブの上のヤカンを見ると安心するな。なんか、昔へ戻ったような気がして。いかに電化が進んでも、この雰囲気はゆずれないというか。
ストーブの上に、水の入ったヤカンを置いておくのは、何も風情ばかりじゃない。
水を蒸気にして部屋へ撒くことで、加湿器の役割を持っていた。いまでこそ専用の機械があるから困ることは少ないが、乾燥しがちな日本の冬にはありがたいものだ。
もちろん、すぐに温かい飲み物を用意できるメリットもある。手がかじかみ、寒さに肩がいかりそうになるときは、熱い飲み物のひとつも口にしたくなるさ。
だが、それ以上に大切な意味を持っていることが、ときにあるかもしれない。
友達から聞いた話なんだが、耳に入れてみないか?
友達の家でも、このストーブにヤカンを乗せる習慣があったようだ。
夏場以外は、おおむね涼しいという友達の地元だと、一年のほとんどが暖房とお友達状態らしい。昔ながらの灯油ストーブを主力とする時分から、家の中では多くのやかんが湯気を吐いていたとか。
それが当たり前だった環境ゆえ、友達は小さいころはさほど疑問を抱かなかったらしい。
けれど、大きくなって学校通いがはじまり、友達の家などへ遊びに行くことが増えると、首を傾げたくなってくる。
明らかに、自分の家は密度がおかしい。
友達の家は、せいぜい各部屋にひとつあるかというところだが、自分の家は部屋ごとに2つ3つと携えていることが、珍しくない。
そのいずれもが頭にやかんの冠を乗せ、湯気をぽっぽと炊いている。考えてみれば、自宅にはやかんが10個も20個もあるわけだ。友達の家で、そのような数を見ることはほとんどなかったという。
――ん? 「ほとんど」ってことは、少しはあったんじゃないかって?
その通り。
ある時に遊びにいったクラスメートの家は、自宅におとらないストーブの配置ぶりだったのだとか。
玄関のあがり口のわきに、お出迎えのごとく控えているのに始まって、廊下も居間もトイレのそばも……といった徹底ぶり。
やはりそのいずれもやかんを携え、さかんに湯を沸かしていた。
まだ陽が出ていて、素でもぬくい空気が漂っている中での、このたたずまい。たいていの人なら異様を覚えたかもしれないが、友達は自宅と近い雰囲気に、どこか安心感を覚えていたそうだ。
遊びというと、屋内遊びに飽きるや外に出ていくものだが、その日はあいにく、到着直後からの雨降り。ボール遊びなどもろくにできそうにない。
幸い、クラスメートの家は広めの作りで、かくれおにをするにはうってつけだった。
ちょうどおうちの人も出払っているとのことで、気兼ねない追いかけっこができると思ったのだとか。
地の利があるというのは、やはり強い。
最初は友達が隠れる番だったが、あっという間にクラスメートに見つけられてしまう。
そうして次は友達が鬼となり、クラスメートを探していくのだけれど、全然姿が見当たらない。
タッチしてはじめて鬼を交代するから、見つかって終わりというわけじゃなかった。
とりあえず手がかりだけでもと、そろりそろり足音を忍ばせながら、障子に囲まれる縁側あたりを友達が進んでいたとき。
ぴーっと、甲高い笛のような音が、すぐそばであがった。
つい飛び上がりかけて振り向くと、縁側の曲がり角に置かれたストーブ。そこに乗せたやかんがけたたましく叫んでいたんだ。
中身がもう沸騰しているという合図。自分の家でも採用しているから分かった。
湯気はなお勢いを増し、やかんの口からどんどん飛び出していく。後はもう中身はどんどんなくなっていくばかり。
よそのやかんたちも順番になり始めるのを聞き、友達は「しめた」と思ったらしい。
このまま放っておけば、やかんが空焚き状態になるのも遠くはない。
そうなればやかんに負担はかかるし、最悪火事の恐れさえ出てくる。お世話をしないわけにはいかないだろう。そこをとらえる。
卑怯などとは思わない。やかんを外すなり、中身をつぎ足すなり、保険をかけておかない方が悪いんだ。
友達はあえて、縁側ストーブの近くに陣取る。直角に廊下の交わるところだ。二方向を注意するくらいわけない。そうして迫ってきたときが勝負だ。
やがて、自分のすぐ真上あたりで音がし、二階に潜んでいたことが知れた。
ちょっぴり便意を催しているが、席を外している場合じゃない。その間にやかんの世話を終えられたら、元も子もなくなる。
足をもじもじさせながらも、耳には変わらず、ひっきりなしにやかんの声が飛び込んでくる。
二階の気配は、先ほどから動く気配がない。根比べなら、お世話する相手がいるぶん、向こうのほうが分が悪いはず。
駆け引きか。それとも何か策があるのか。
友達はしきりに、二方向へ視線を飛ばしていく。
どん、と板を踏む大きめの音がしたのは、すぐ背後でのことだった。
「悪いが、もらうよ」
クラスメートの声。
振り向こうとした時にはすでに、背後から腰をまっすぐひとなでされていた。
とまどう友達。所作もさることながら、そのなでられた拍子に、張っていたお腹がすっと楽になってしまったからだ。
完全に相手を見やった時、すでにクラスメートはストーブ上のやかんのフタを開け、手を中へ突っ込んでいるところだった。
抜いた時にはすっかりなくなっていたが、差し入れるときにわずかに見えた指先には、練った味噌を思わせる茶色い物体がくっついていたとか。
やかんが沈黙する。
ふう、とため息をついたクラスメートは、自分の負けでいいから、やかんを世話させてくれと申し出てくる。
ほぼうわの空でうなずき、相手を見送った友達は、家じゅうが静まっていく中で、天井ばかりを眺めていた。
手をいくらか頭上へぶらつかせてみても、ひものたぐいはくっついていない。屋根裏へ通じる階段のような仕掛けはなく、穴だって開いていない。
気配からして、つい先ほどまで二階にクラスメートがいたはず。それがどうして物音もなく、一階層下にいる自分の背後に立つことができたんだ?
あのとき、音はしっかりした。重みからして飛び降りて来ただろうに、それを可能とする空間がどうしても見つからない。
気味悪さを覚えた友達は、以降の遊びを適当に切り上げて、帰路についたのだとか。
昼間のことをしばしば考えながら、友達は同じようにストーブを多く携える、自宅のあちらこちらを調べてみた。が、やはりシュートのようなすぐ一階へ降りられるつくりは存在せず。
じきに、夕食を家族で囲む時間が来てしまった。
友達の家は5人家族で、父母と祖父母が同席して一緒にご飯を食べる。
しかし、その日はいくらも時間が経たないうちに、皆がぴんと背筋を伸ばしてしまった。
やかんの鳴く音だ。
ストーブにかけていた彼ら、特にここ、台所の隅に置かれているものが、強い湯気と一緒に危険信号を出している。
だが、今回の音はそれのみにとどまらない。
がちゃん、という音に振り向くと、祖父の持っていた茶碗がテーブルの上で割れていた。中身のご飯も、でんとその場で小盛りの状態。
茶碗を取り落としたのは、間違いない。だが祖父は、それを片付けるでもなく、茶碗を持っていただろう左手を押さえながら、逃げるように台所を後にしてしまった。
祖母がそれについていき、父母はいそいそと片づけや、やかんのお世話を始めたが、友達はそのわずかな間に見たのだとか。
先ほどまで、はっきりあったはずの祖父の手。隠されながらではあったものの、あのやかんの音とともに、それがすっかり消えてしまっていることに。
少し経った後、顔を合わせた祖父の手は元通りに戻っていた。そして家じゅうのやかんもまた、落ち着きを取り戻していたそうな。
うすうす、友達もクラスメートのタネが分かりつつある。
あのとき、クラスメートもまた祖父の手と同じ、消えかけていたんじゃなかろうか。だから二階の床、一階の天井をすり抜けて、自分の背後へ立つことができたのでは、と。
縁側をすり抜けなかったあたり、構造やすり抜ける瞬間に違いでもあるのだろうか。あいつは自分の下腹に触れてきたし、あのときの楽のなり具合からして、手についた味噌らしいものはおそらく……。
友達はまた、自分のお腹をさする。そこにはわずかな傷だって、できていない。
やかんは加湿の役目も果たす。乾きがちな空気を、水蒸気でもって湿らせていく。
ひょっとしたら、クラスメートや祖父もそれにあたるのではないだろうか。
身体を構成する要素が乾かないために、やかんで沸かせて、空気を潤す。水蒸気が水の変化したものであるならば、人でいるためには、人であったものの一部がいる……。
その祖父は半年後になくなられたそうだが、友達はもう自分がいちから用意するやかんいがいの中身をのぞくのが、怖くて仕方ないのだとか。




