51 彼女の人生
橋本真珠は数奇な人生を送っていた。
そう言っても未だ20代前半ではある。
母子家庭の一人娘として田舎の農村で生まれ、祖父と叔父の家で育った。
躾と教育の行き届かない子供は異なるものを異端と教わり、少数派を虐待して遊ぶ事を普通と考える。
父親の無い真珠も、その様な虐待の対象にされて辛い幼少期を過ごした。
個人にとっては心に傷を残す程の事だが、世界を見回せば世間の数パーセントがある程度は体験する【ありふれた事】でしかない。
そんな彼女の高校から短大にかけては、大きく変わった。
幼少期を虐められて育った真珠は、他者との接触を嫌うことが直ぐに解消された訳ではない。
だが、彼女を利用したり虐めようとする者は、いつの間にか姿を消し、友好的にする者には多くのメリットが訪れた。
その結果、真珠の生活は一般人に近づきつつあり、性格も明るくなっていった。
神様等の祝福ではない。
多大な力を持つ彼女の父親と兄が影で動いていた御陰だった。
実の父親である駿河弥彦は、関東の広域暴力団【牙釖組】の組長であり、兄は若頭だったのだ。
父親の娘に対する思いと、兄が妹に対する思いは尋常ではなかった様だ。
彼等は【人並みの生活を送りたい】と言う真珠の願いを叶える為に、可能な限り障害を排除する。
彼女が幸せになる様にと、裏から多くの手を回していた。
「コンサートチケットが当たりましたとか、旅行券が当たりましたとか、やり過ぎなのよ御父様達は」
あまりに偶然や幸運な内容のネットワークメールは、普通ならフィッシング詐欺を用心するべきだが、彼女にはソノ様なメールは送られて来ない。
同じ詐欺グループから来るメールだが、その内容は本当にチケットなどが送られて来る。
彼女にとって有益な話は、大抵が父親達が何らかの手を回している事を彼女自身も知っているのだが、実際のところ有効に活かしきれてはいない。
東京で独り暮らしを始め、この様に昔とは違う生活を送り始めた真珠だが、唯一不幸な点は彼女を愛し気遣ってくれる父方の家族と一緒に暮らせず公の場では同席できない点だ。
母や母方の家族とは、彼女の側からの離別という形で仲たがいしている。
【家族】とは、本来が一緒に暮らす者を差す。
【夫婦】には血の繋がりは無く、血が繋がっているだけなら【血族】であるだけだ。
本来は共に暮らしてこその【家族】なのだ。
父親や兄はソノ立場上、平凡な暮らしをしたい者との関係を知られてはならないのだ。
他の組織は勿論、警察に知れれば不必要なハリコミをされるし、真珠の知人に知れれば彼等は離れていくだろう。
いろいろと気づかい、心の繋がりが有っても一緒に暮らせないのは、どれだけ辛いものだろうか?
そんな父親達は、様々な努力と手間を掛けて秘かに会う機会を作ってくれる。
「「「卒業と就職おめでとう、真珠」」」
「ありがとうございます、御父様、御兄様、御義姉様」
高校生の時に父親と兄の存在を知った真珠は、東京の短大へと進み独り暮らしを始めていたが、この度、無事に資格を取って短大を卒業し、都内の図書館へと就職が決まったのだ。
祝い事に場を設けてくれたのは、父親の駿河弥彦と兄の昴、兄の妻である紗香だ。
周りには【プレアデス】と呼ばれる昴の親衛隊が配置されている。
幾つかは、真珠も見た事のある顔があった。
乾杯のあと、真珠は弥彦の席に移動して酌をしはじめた。
「こうして、祝い事の席にしか会えないのが辛いだろうが、我慢してくれ。本当なら駿河の家に住まわせたいのだが・・・・」
「分かってます。私の為なんでしょ?」
こうして会うのも本当なら避けたいのだが、いくら手間をかけてでも家族の絆を深めたいという弥彦の願いが、この様な食事会となっている。
「今日も飲むぞぉ~ジャンジャン酒持って来い!」
「親父が酔い潰れるまで飲むのは、真珠が御酌する時だけだからなぁ」
極道は揚げ足を取られない様に、身内以外の者が居る所では酔う程には飲まない。
ましてや組長にもなると、部下の前で醜態をさらすわけにはいかないのだ。
しかし、実の娘の酌で飲む酒ほど美味いものはない。
幸せそうに酔い潰れていく組長に、組員達にも笑顔がこぼれる。
「普通なら『御仕事順調なんですか?』って様子うかがいするんでしょうけど・・・」
「まぁ、俺達半端者の仕事が『順調』ってのも憚られるからなぁ」
娘の酌で酒を飲んでいる父親に代わって昴が答えた。
「真珠。お前の祝いの席なんだから、もっと食べたり飲んだりしろよ」
「親父!いくら成人式を迎えたからと言って、娘に酒を薦める父親は嫌われるらしいぞ」
「そんな事はないですよ。まだ、あまり飲めませんけど」
そう答えてコップを出す真珠に、弥彦はビールを半分だけ注いだ。
まぁ、真珠が酔い潰れたところで、女性のプレアデスが自宅のベッドまで送るのだが。
「春からは、念願の図書館司書だな?とは言ってもアルバイトで働いていたが」
「そうですね。でもアルバイトしていたお陰で、内定も決定もスムーズでしたよ。人事の方も教育の手間が掛からないから楽だと言ってました」
図書館側としては青田刈り的なところもあるのだろう。
学生アルバイトのアルアルだ。
「その職場で困った事とかは無いのか?」
酒を注がれる度にイッキ飲みしている弥彦に代わり、昴が真珠の近況を聞いてきた。
「図書館って基本的に物静かな職員が多いし、変な競争も無い感じかなぁ~少し五月蝿い人も居ない訳じゃないけど、人事部の人が館内でのトラブルを避ける様に尽力してくれているから、特に問題は無いわ」
両親が離婚している事を言わず父親側の仕事を偽れば、田舎から出てきた若い女性として普通に扱ってもらえるし、そんな女性は山ほど居る。
家庭環境などは、紅蓮会が子飼いにしているライターにシナリオを作ってもらって覚え込んでいる。
非常連絡先には、田舎の近くに山本が借りていた部屋を指定してある。
電話は、その部屋から東京の牙釖組の回線に転送が掛かる様にしているので、わざわざ橋本家まで行って調べたり、田舎の電話帳を調べたりしない限り知れる事は無い。
真珠には知らせていないが、元より真珠が勤める図書館の人事担当には牙釖組の息が掛かっている。
いずれはプレアデスと入れ替える予定だが。
「まぁ、困った事が起きたら、いつでも連絡を入れるんだぞ。荒事はできないが、お前を守る事くらいはできるつもりだ」
「そんな事にはならない様に気を付けるわ(御兄様が動くと大変な事になるでしょうから)」
「気を付けるんだぞ(真珠に降り掛かろうとする火の粉は、火元から消し去ってやる)」
兄の昴が、穏便にしてくれようとしている事に真珠は安心するが、昴の方は真珠に知られない様に完璧に【消す】つもりなのだった。
やがて、ボトル数本を空けた弥彦は完全に酔い潰れてしまった。
実に幸せそうな寝顔だ。
「前も酔い潰れてましたけど、帰りは大丈夫なんですか?」
「大丈夫だよ。車イスと車イスごと乗れる車を用意してある。車イスごと家の布団まで行けるんだ」
「確か介護用に、そんな車があった様な」
「うちの組は、怪我人がでる事も少なくないからな」
確かに暴力団は、病院送りになる事が多いだろう。
真珠も納得の理由だったが、実は拉致監禁にも使えるので、けっこう重宝するのだ。
ハッチバック側に車イス用の昇降機がついているソノ車が介護用と違うのは、防弾であり、中が見えない様にスモークガラスになっている事だ。
「そんな車が有るんなら大丈夫ですね」
周りに認められず、偏見に満ちた目で見られ虐められてきた真珠には、こんな父親が心底悪い人間であるとは思えなかった。
なので、酔い潰れた父親を優しい目で見つめていた。
映画【ゴッドファーザー】でも、マフィアのボスと言えど家では優しいお祖父ちゃんだった。
社会で生き抜く為に、息子達には厳しくなっているが、それも家族に対する愛情なのだと考える事ができる。
弥彦達も、真珠が闇カジノへ入らない様に配慮していた。
権力に立ち向かったり、悪い奴や道を踏み外した奴を喰いものにしている牙釖組だが、真っ当な人間を闇へ誘い込んだり陥れたりはしていない。
それが【仁義】と言うものだからだ。




