04 母の過去
昴に会った後、自宅に帰った真珠は家庭内の重たい空気を感じ取っていた。
昴の事をなかなか切り出せずに食事を終え、テレビにかじりつく従弟の正之をよそに、台所で食器を片付ける母の手伝いを始めた。
「(この空気!昴さんは母さんに聞けと言っていたけど、まさか借金の形に娘を売り渡すってパターンの婚姻なの?)」
実際、農家の経営は火の車だと聞く。
読書家の真珠は、少し飛躍した妄想をうかべていた。
だが、事実は聞いてみないと分からない。
「あの、母さん。今日、駿河昴って人に会ったんだけど・・・」
ガチャン!
洗っている最中の食器を落とし、青ざめた顔で真珠を見る母に、彼女はたじろいだ。
よほど酷い婚姻なのだろうか?
「真珠、昴に会ったの?何かされなかった?」
「ええ。学校の帰りに声を掛けられて。親戚だって言ってたけど本当なのね?」
母の反応は、どう見ても駿河昴を知っている。
彼の話は、あながち嘘でも無かった様だ。
「この場で話す内容じゃないわ。後で、勉強の前に部屋へ来なさい」
「は、はい」
先程より明確に重い表情の母に、真珠は何も言えず、手伝いの後に風呂に入り、部屋着に着替えて母の部屋へと向かった。
部屋では、手で顔を被った母が俯いて座って待っていた。
「真珠。まず、あなたに嘘をつき続けてきた事を謝らなくてはならないわ。ごめんなさい」
「嘘を?」
母の八重子は顔を上げず、俯いたまま話し始めた。
娘の顔を直接見る事が出来なかったのだろう。
「順番に話すと、真珠のお父さんが事故で死んだと言うのは嘘なの。あなたの父親【駿河弥彦】は今も生きてるらしわ」
「生きてる?駿河?」
今までは、母は大学で知り合った男性と結ばれて真珠を妊娠し、【できちゃった婚】する直前に相手が事故で亡くなったと聞いていた。
「ちょっと待って、私のお父さんが【駿河】って事は、昴さんは何なの?」
真珠の見た駿河昴は彼女より歳上だった。
「駿河昴は、貴女の本当の兄さん・・なのよ」
「・・・・・・・・」
真珠は一瞬、頭の中が真っ白になった。
何かが根底から崩れる様な音がする。
そんな、真珠を無視して、母の八重子は話を続けた。
「東京の大学へ進んで独り暮らしを始めた私は、派手な弥彦さんにひかれて、直ぐに関係を持ってしまったわ。そして18歳で妊娠。産まれたのが昴さんよ。勿論、お爺ちゃん達にも話せなかったわ」
未成年で未婚の母となった自分の親の話に、真珠の思考は既に止まってしまっている。
「弥彦さんと向こうの家族からは、そのまま結婚をと言われたんだけど、彼の家は俗に言う【ヤクザ】で、当時の彼は次期組長だった。私はソノ生活に耐えられず、離乳期を迎えた昴を捨てて、この家に逃げ帰ったのよ」
母である八重子は、別に無理矢理でも望まずでもなく、兄の昴を産んだが、嫁としての環境に耐えられずに息子を捨てたのだ。
組が、次期組長の息子を手離す筈もなく、大学中退と言う名目で、八重子は何事も無かった様に実家に戻ったと言う。
「でも、実家に帰ってから、真珠を身籠った事が分り、お爺ちゃんに全てを話して・・・」
この時点で真珠は席を立って母の部屋を出た。
父を失いながらも、真珠を育ててくれた母だと思っていた。
子供が居る為に再婚もままならないで頑張っていたと思っていた。
だが、既に聞くに耐えない現実だった。
子供ができる前に、相手の素性を知る事は出来なかったのか?
相手と子供を捨てた女が、他の男と結婚したとして、それが駿河に知られたら無事に済むだろうか?報復を恐れての独身?
これが、ドラマや小説の中の事なら楽しめたのだろうが、自らの現実としては、あまりに重すぎる。
「真珠ちゃん・・・・」
ドアを開けて出ていく音に、八重子は顔を上げたが、娘を追いかける事は出来なかった。
様々な意味で汚点だらけの母親に、何が言えるだろうか?
母は、その場に泣き崩れる事しかできなかったのである。
自室に帰った真珠は、何も考えられずベッドにダイブした。
昴の正体よりも、母の正体に驚愕した。
例え昴がヤクザでも、それは本人が望んだ人生では無いだろうが、母の人生は違う。
自分が、その母の血を受け継ぎ、同じ女である事に絶望した。
勉強など手につく筈もない。
何もかも忘れて眠ってしまいたいが、頭の中がグルグルして眠れそうにない。
「大人なら、こんな時にお酒を飲むんだろうなぁ」
真珠は、醜態をさらすのを承知でお酒を飲む人の気持ちが、全く理解できなかったが、この時は自分が子供である事を恨んだ。
いつの間に眠ってしまったのだろう?
朝を告げる目覚ましのアラーム音で真珠は目を覚ました。
頭がボーっとして、胸もムカついている。
洗面台で鏡を見ると、目の下にクマができている。
嫌だったが、洗面台に有った母のファンデーションを使ってクマを誤魔化した。
真珠は、そのまま朝食も取らず、家族とも顔を合わせずに学校へと向かった。
恐らくは、母が真珠に説明した事を、家人にも話したのだろう。
見掛けても、誰も真珠に声を掛ける事は無かった。
幼い頃は、父親が居ない事で近所の子供や親達に虐められたり、影口をたたかれた。
それが原因なのか一人遊びが増え、本好きになり、人間関係が苦手になった。
それが、本来であれば謂れのない事で、その原因の全てが自分の母親にある事を知った今は、自分を騙していた母と祖父達に、冷たい感情がわいてくる。
故意の。それも娘の為といいつつ実は保身の為の嘘に、真珠は今までに受けてきた虐めよりも更に深い傷を感じた。
学校の近くまで来たが、知人に会うのが嫌だった。
誰も彼もが嘘で固めている様で、知っている人間ほど怖く、始業時間になっても、無人の公園でボーっと座っていた。
「おや?橋本真珠さんではないですか!体調でも悪くなりましたか?」
「・・・・昴さん・・・・」
声を掛けてきたのは、駿河昴だった。
上着の色がアイボリーに変わっていたが、印象は変わらない。
「私、学校をサボっちゃいました。不良ですよね?」
「具合が悪い時は、仕方ないですよ」
真珠は、左右に首を振った。
この昴は、今までに遠回しの言い方はあれど、嘘をついてはいない。
何より、自分と同じで大人の都合で振り回されてきた人だ。
真珠には、彼が名実共に、自分に一番近い存在に思えてきた。
「本当にサボりなんですよ。だって私、ヤクザの娘なんですもの」
真珠は半泣き状態で昴を見上げた。
「そうですか?全部を聞いたんですね。私としては、遠縁の親戚としてお話ができればと思っていたんです・・・・」
これは、全くの嘘である。だが、そんな事は隠して昴の話は続く。
「本当は、私なんかが来なければ、こんな事にはならなかったのでしょう。父も八重子さんの幸せを願って、行き先を探さなかったらしいのですが、流石に実の息子の結婚を親族に知らせないと言うのは、人として間違ってると思ってうかがったんですよ。真珠さんには、親戚の結婚程度の認識でも良かったんですが」
家庭の事情をバラすつもりが無ければ、家族と真珠が居る前で【遠縁の親戚が結婚する】とすれば良かったのだ。
あえて真珠と個別に接触したのは、真珠の認知度を母親には不明な状態にする事で、母子の関係を悪化させたいと思ったからだった。
これは、母親に対する昴の仕返しと言える。
昴と言う情報源が有るのに、母の八重子が嘘をつき通して齟齬が生じて親子関係が悪化するか?
昴からの接触に備えて本当の事を話し、母親としての信頼を失うか?
どちらにしても、母親と真珠の心は離れていく。
嘘を重ねるほど、人の心は離れていくのだから。
そして、その計画は一番ダメージの大きい形で成し遂げられた。
「昴さん、結婚なさるんですね?おめでとうございます」
昴の来訪理由は、真珠にも理解ができる。
彼女にしてみれば、母の八重子が昴の配慮を理解できず、過去を話して墓穴を掘った形にみえている。
「でも、勘違いをなさっているかも知れませんが、真珠さんはヤクザなんかじゃ無いですよ」
恨みが有るのは母親であって、真珠ではない。
「えっ?だって、私と昴さんは血が繋がってるんですよね?」
何処か矛盾する言葉に、真珠は首をひねった。
この作品は、5日、10日、15日、20日、25日、30日(または月初)の00時に次回発表となります。




