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29 祝いの席と義弟と

 予定の時間より早く、真珠はホテルの地下駐車場に到着した。

 運転手は緑色のタクシーを駐車スペースに停めると、手動でドアを開けてエスコートしてくれる。


 他には誰の姿も無い地下駐車場を、運転手の先導に従って真珠はエレベーターに乗り込んだ。

 この調子だと、この運転手。帰りまで待っている様な気がする。


「あのぅ~、御仕事は大丈夫なんですか?」

「御気遣いありがとうございます。タクシー運転手は副業で、プレアデスの方が本業ですから、御心配には及びませんよ」


 確かに個人タクシーならばノルマなどは無く、休んだり残業しても兎や角言う者は居ないのだろう。


 また、今回の様に身元を隠して移動するには絶好な乗り物がタクシーだ。

 このタクシーの後部座席窓には、流行りのタバコのCMが貼られていて、外からは中が見えない様になっている。

 比較的、多くのタクシーに施されている仕様なので、特に目立つ事もない。


 総フイルム貼りのベンツやワンボックスカーをゴッツいスーツ姿の男が運転していたのでは、如何にも【組】関係のものと疑われてしまう。

 だが、抗争の現場から逃げる血だらけの組員が銃を持って、このタクシーに乗り込んでいても、周囲の人間は誰も気付かないだろう。

 いや、最悪の場合には、誘拐などにも使われているかもしれない。


 そんな事を考えていた真珠と、嬉しそうな運転手を乗せて、エレベーターはホテルの最上階を目指した。




「大丈夫か?親父」

「すまんが手を貸してくれ、昴」


 真珠がエレベーターに乗ったという知らせを、地下駐車場に居る組員から聞いた弥彦は、立ち上がろうとして息子の昴に声をかけた。

 体格も良く、出入りでも常に先頭をきる弥彦だが、今は顔色が悪くフラフラしている。

 だが、誰もソレを気にする様子もない。


 そして、真珠がドアの前に来る頃には、しっかりと立ち上がる事ができた。


「失礼します。本日はお招きいただいてありがとうございます」


 髪を白く脱色した昴の姿に、一瞬だけビクッとした彼女だったが、以前に写真を見た事もあって、すぐに立ち直った。


「よく来たな、真珠。待っていたよ。親子なんだから、そんなに改まることはないんだよ」


 両手を広げた弥彦は真珠が飛び込んできてくれるのを待っている様だ。

 父親の方は以前と大差ない(よそお)いだったので、特に驚く事は無かった。

 だが真珠としては、渋谷での一件が有るので、その意図をくんでも躊躇してしまっている。


「大丈夫。今日は倒れないから」


 弥彦は嬉しそうに微笑んでいるが、若干その笑顔に歪みがある。

 真珠は恐る恐るではあったが、その胸に飛び込んだ。


「御父様は御加減が悪いんですか?」

「いや、この前みたいな失態を見せない様に、鎮静剤を多く飲んで血圧が下がりすぎてるだけだ。一時的なものだから心配はいらないよ」


 真珠の疑問に昴が答えてくれた。

 つまりは、立ち眩みなだけだったりする。


 産まれた時から叔父や祖父に可愛がられた真珠とは違い、娘の抱擁に体験の無い弥彦にはコノ様な体験は刺激が強すぎるのだ。

 その為の投薬だったが、これも慣れるまでの事だろう。


 弥彦に促されて席についた真珠を合図に、別室からワゴンを押したメイド達が入ってきた。


「真珠ちゃん、紹介するわね。私の弟で、真珠ちゃんの義弟にあたる浩太郎よ。まだ高校生だけど、よろしくね」

「はじめまして、橋本真珠さん。二階堂浩太郎です。今後は『真珠姉さん』と呼ばせてもらって良いですか?」


 紗香の紹介で、彼女に良く似た青年が笑顔で頭を下げてきた。

 人当たりの良さそうな人物で、とても極道関係者には見えない。

 ただ、昴の嫁になる紗香の肉親ならば、特殊な環境にある人物には違いないのだろう。


「橋本真珠です。こちらこそ、よろしくお願いします、浩太郎さん」


 挨拶も終わり、メイドが食事の準備を始めた。

 メニューの内容は、洋食の肉料理らしいが、先ずはグラスと前菜がテーブルに揃っていく。


「真珠も、お酒は大丈夫なんだろう?乾杯の為に、ひと口だけ付き合え」

「は、はい」


 昴の言葉に頷く真珠だが、この辺りは既にリサーチ済みだったりする。

 メイドが真珠のグラスに赤ワインを注いでいった。


「では、遅れ馳せながら真珠の大学合格と、アルバイト開始を祝して、乾杯!」

「「乾杯」」

「ありがとうございます」


 弥彦の音頭でグラスをかかげて、皆がワインに口をつけた。


 関係者同士で酒を飲む事は、神事の御神酒に始り、婚礼の三三九度や極道の盃など、結び行事に大きな意味を持つ。

 今回は日本酒ではないが、一般人(カタギ)の真珠の立場を考えて、【共に酒を飲む】という点に重きをおいている。


 食事も進み、メイン・ディッシュが終わった頃に、モジモジする父に代わって昴が口火を切った。


「真珠、大学は楽しいか?アルバイトは辛くないか?」

「そうだぞ、真珠。困った事があれば、この【お父さん】に相談するんだぞ!」


 案の定、父親の弥彦は昴に便乗して話してきた。


「大学は、難しい事も多いですけど、自分で選んだ道の為ですから頑張っています。ただ、大学でできた友人と遊ぶ時に、田舎者の私は馴染めなくて・・・」

「・・・友達付合いかぁ・・・」


 流石の牙釖組組長も、カタギ同士の交遊関係には手が出せない。

 手駒のカタギに指示を出せば、牙釖組と真珠の関係が漏れてしまいかねないからだ。


 図書館事務員の様にカタギの者を使うにしても、金融会社重役の知人の娘として人間関係を偽っている。


 真珠の事を知っているプレアデスでさえ、牙釖組と紅蓮会を合わせても20人以下に制限している状態だ。

 情報収集や工作に組員を使う場合も有るが、真珠個人の事は知らされていない。


「真珠ちゃん、流石に人間関係は慣れるしかないわ。ただ、焦って背伸びはしないで、例え無視されても、ゆっくりと友人を育む注意が必要よ」

「そうだぞ真珠。焦りは禁物だ。楽しいだけの人間関係は利害関係でしかない。本当の友人は退屈でも一緒に居られて、いざと言う時に助けてくれる奴だ」


 紗香と昴が弥彦に代わってアドバイスするが、昴の話は役にたたないだろう。

 男性の友人感覚と、女性の友人感覚は、根本的に異なるからだ。


「もしも、孤独で辛く成ったら、うちの人脈でイベントに参加してみるのも良いんじゃないかな?コンサートとか、カタギの人対象のイベントも多く扱ってるから」


 どうやら、浩太郎の仕事(シノギ)には、一般人(カタギ)向けの合法な物もある様だ。


「えっと、浩太郎さん。その時は宜しくお願いします」


 大学生活は、別に交遊関係が無くても問題はない。

 大学の外にだけ交遊関係を持つ者も決して居ない訳ではないのだから。


 あとは、紗香と流行の話をして、それを男達が聞いていると言うかたちで、時間が過ぎていった。


 こうして、祝いの席は二時間ほどで無事に終わった。

 真珠を長時間拘束することを弥彦をはじめとする誰も望んではいなかったからだ。


「緊張だけで、ろくに話もできなかったな」

「親父は初めてだったからな。でも、世に聞く娘と父親よりは良い方なんじゃないか?」

「そうですよ。マトモにパグしてくれる女子大生なんて皆無ですよ。私だって恥ずかしいですから」


 年頃の娘が父親に嫌悪感を抱くのは、近親結婚を避ける為のシステムらしいと最近の研究もある。


「駿河のおじさんも、気を落とさないで。今後も何回も機会は有るんですから」

「そうだな!夏休みや誕生日、クリスマスに正月と、家族で祝う機会は毎年あるんだったな」


 あまり会話ができなかった弥彦は、やや不満気味だったが、浩太郎の言う様にチャンスは幾らでも作れると思い起こし、少し落ち着いた様だ。


「そうだ!真珠の夏休みは、皆でハワイかグアムにでも行こうか?」


 駿河弥彦の人生は、まだまだ楽しみが控えている様であった。



――――――――――


駿河(するが)弥彦(やひこ)

 牙釖組の現組長で、真珠の実父


・駿河(すばる)

 弥彦の息子で牙釖組の若頭。真珠の実兄で、紗香の夫


・駿河紗香(さやか)

 昴の妻で真珠の義姉。二階堂浩太郎の実姉


二階堂(にかいどう)浩太郎(こうたろう)

 紅蓮会会長の息子で紗香の実弟。


橋本(はしもと)真珠(しんじゅ)

 弥彦の実娘で、昴の実妹。母方の姓


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