第3話 私は8歳の誕生日に最悪な出会いをしました
その日、リーシュベルト公爵家では、フレイスリアの8歳の誕生日を祝うパーティが催されていた。
軍事面に明るい家柄だけに、軍関係者の顔ぶれが揃い、招待された貴族は伯爵位以上の家柄に限定されていた。
その中には他の四公爵家の顔もあった。
さすがに国内で5つしかない公爵家の1つとして、他家を招待しないわけにはいかないし、招待された側も出席しないわけにはいかない。
フレイスリアは過ごしやすい季節に生まれたので、昼間の屋外で立食形式のパーティでも穏やかな天候の中で開催することができた。
「皆様、本日は我が娘、フレイスリアのためにお集まり頂き、ありがとうございます」
リーシュベルト家当主のグランバルドが来賓に向けて挨拶をする。
「お父様、堂々としていらして、とても素敵です」
グランバルトの娘であるフレイスリアはパーティ会場に通じる正面口扉の陰から、父の姿をうっとりとした表情で眺めていた。
「全く……実の父の姿を見て何を言っているのやら」
威厳溢れる父の姿を目にして思わず漏れた彼女の言葉を聞き逃さず、ツッコミを入れるのは、5つ上の兄、アーサーである。
彼は少々呆れの色を見せつつも、妹のフレイスリアに優しく微笑む。
「フレイもとてもきれいで可愛いよ」
そう言って、アーサーはフレイスリアをエスコートするために腕を差し出した。差し出された兄の腕に自分の腕を組ませ、ゆっくりと開け放たれた扉から会場へ優雅に進む。
一歩一歩進むたびに、彼女のプラチナブロンドの髪が風に靡いて陽の光を反射し、キラキラと輝くことでより美しさを増していた。
その姿を見た会場の招待客たちから、感嘆の溜息がこぼれた。
フレイスリアの美しい金髪を映えさせる濃い目の青いドレスは、8歳の少女が纏うには少々、背伸び気味の印象を覚える。
しかし、彼女はそれを見事に着こなし、その優雅な佇まいと同年代の少女と一線を画す大人びた姿はまさしく淑女そのものだった。
兄にエスコートされて会場入りした彼女の元に、3つ下の弟、テオドールがユリの花束を持って近づいてくる。
「お姉さま、誕生日おめでとうございます」
「ありがとう、テオ。とても嬉しいわ」
テオドールから花束を受け取ったフレイスリアが、満開の花々に顔を近づけてその香りに包まれると、頬を薄桃色に染めて幸せそうに微笑んだ。
注目を一身に集めた入場から少し間を置いて、フレイスリアは両親とともに招待客から挨拶を受けていた。
普段から懇意にしている令嬢たちは、それほど気にする様子もなく、いつもどおり会話を楽しんだが、初対面もしくはあまり会う機会の無い令嬢たちは、フレイスリアの優美さに圧倒されてうまく言葉が出てこない。
同性でさえ、そんな状態なのだから、異性である同年代の令息たちでは、彼女を前にして緊張のあまり固まってしまうのも頷ける。
自分の子息や息女が満足に会話もできないという粗相を目の当たりにしたが、ここは祝いの席で、しかも目の前には主役がいる。声を荒げそうになる気持ちを抑えながら、謝罪の意を述べているのが、ありありと感じ取れる。
フレイスリアは元より彼女の父はそんな些細なことを気にする人間ではない。
むしろ、母のレイチェルは自慢の娘を前にした他家の令息・令嬢に『自分たちでは敵わない別格の存在』と認識させたことが誇らしいようだ。
娘のフレイスリアに扇子の陰からウィンクしている。
そんな母の仕草にフレイスリアから思わず笑みがこぼれ、それを見ていた周囲の令息・令嬢たちは一様に心を奪われた。
楽しく時間が過ぎていく。
すると、突然――
「ここか?脳筋のパーティ会場は」
と、元気いっぱいな子供の声が会場内に響き渡った。
全員の視線が声の主がいる門の方へと向けられる。
そこには得意顔を浮かべ、両手を腰に当てて仁王立ちする少年の姿があった。
身なりは良い。それどころか公爵家に匹敵するほどの身なりをしている。
それだけで上位貴族だと、判断するには易いが、よく見ると、胸に何かを付けている。
――あれは王家の紋章。
遠目ではあったものの、フレイスリアの眼は突如乱入してきた少年の胸に輝くそれを見過ごすことはなかった。
「お父様、なぜレーヴェリアン殿下がここに?」
フレイスリアは王家の紋章と聞かされていた外見の特徴から、乱入少年が自分より3つ上の第一王子、『レーヴェリアン・リンノルド・アスタリオ』だと判断した。
「わからん」
先月、フレイスリアの誕生日会を催す旨を手紙で王宮に報せたが、特に返答が無かったため、王家からは誰も来ないだろうと考えていた。
ところが、その予想に反して目の前にはレーヴェリアンがいる。
フレイスリアだけでなく、家族全員が戸惑っていた。
そんな彼女たちのことなどお構いなしにフレイスリアにレーヴェリアンが近づいてくる。
そして、彼女のすぐ前まで歩いてきた。
フレイスリアとは初対面だが、彼はグランバルドと面識がある。当然、親子であることも知っているから、二人が耳打ちするのを見て、フレイスリアがグランバルドの娘であることを察したのだろう。
自分の近くまで来たレーヴェリアンにフレイスリアがカーテシーをする。
遠目ではわからなかったが、とても整った顔立ちをしている。
サラサラの金髪も顔立ちの良さを引き立てていて、まさに美男子と呼ぶに相応しい容貌だ。
フレイスリアの姿を見たレーヴェリアンが何かに驚いたような表情を見せるが、すぐに取り繕って言葉を発した。
「お前がフレイスリアか?」
「はい。リーシュベルト家のフレイスリアと申します。この度は我が家にお越し頂き――」
と、彼女がそこまで言うと、「ああ、そんなのはどうでもいい」と、レーヴェリアンに遮られてしまった。
フレイスリアはまともな挨拶もさせてもらえないのかと内心、腹立たしく思ったが、相手は王族でここは祝いの席、空気を悪くするわけにはいかないとぐっと堪えた。
レーヴェリアンから「顔を上げろ」と許しが出たので、姿勢を戻すと、彼はフレイスリアの髪を乱暴に掴んで引き寄せる。
突然襲ってきた痛みに思わず漏れた短い悲鳴とともに顔を顰めた。
レーヴェリアンは左手を彼女の顎に当て、手荒く顔を上げさせる。
それを目の当たりにした父と兄は怒りを滲ませ、母は顔から血の気が失せていた。
「脳筋の娘と聞いていたから、どれほどのものかと思っていたが、なかなかのものではないか。見目も良いし、先が楽しみだ」
と言って、レーヴェリアンは髪から手を離した右手をフレイスリアの腰に回し、体を抱き寄せた。
レーヴェリアンは腰に回した右手で彼女の背中をゆったりと撫でる。
フレイスリアは嫌悪感から吐き気にも似たものが込み上げた。
――ぶん殴ってやりたい!
彼女の体がブルブルと震える。それはレーヴェリアンの得体の知れない行動に対する恐怖ではなく、怒りを抑えつけているが故の震えだった。
自分へのぞんざいな扱いはまだ我慢できるが、愛する家族への侮辱とも取れる言動には腸が煮えくり返りそうなのだ。
レーヴェリアンは何かに満足したような表情を浮かべ、フレイスリアから手を離した。彼女はやっと解放され、殴らずに済んだとほっとする。
「喜べ。お前を私の婚約者にしてやる」
レーヴェリアンは去り際にそう言い残していった。
折角の8歳の誕生日は、突然来襲した嵐によって、彼女にとってこれまでで最悪の日となってしまったのだった。