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六章

 スピカに告白をして以降、学校にこそ通っていたものの、沙織・天音とは話をすることもなくシェルアート展覧会当日を迎えた。

 会場は近くの市が保有する公民館で、おじいちゃん・おばあちゃんがたくさんその場にはいたが、土曜日という事もあってか家族連れの人もちらほら。

 大会参加者は見学者とは別の場所に集められるようでスピカと一緒に回ったりするのは出来ないらしいが、そこは仕方ない。

 沙織に声をかけるのは気まずいし、劉生はそういう絵とか興味ないだろうから絶対に来ない。というか誘ってはみたものの「パス」と断られた次第。

 本当の事を言えば和彦も普段の展覧会なら興味は無いのだが、スピカ、天音どちらの作品にも関わっている以上見に来ないわけにもいかない。

 絵は公民館二階の展示室に飾られていて、その部屋を一般市民誰でも自由に見学できるという物だった。審査員の人も私服で紛れ込んで審査しているという情報はスピカから。

 そういう理由もあって絵師本人から説明するのを避けるためにスピカたちは一室に集められ、結果発表を待っている。一種の隔離状態だ。

 大きな大会の美術展だと、作品を送って結果が出たのちに優秀だった作品だけ展示されるというのがセオリーだが、田舎の田舎による田舎のための美術展だとこのように全作品が展示され、即日結果発表になる。

 さらに驚いたのが入場するときに一枚の紙を渡されたことだ。

 その紙の大部分は空白になっているが右端に「一番いいと思った作品の番号を書いてください」と。

 つまり、作品を評価するのは審査員だけではないという事だ。一般市民の票も加味される。

「確かにこの制度もあるんじゃスピカたちはこの部屋に入れないか」

 どうしてもスピカ、天音の二人ともを応援したい気持ちがあったから劉生も連れてくればよかったと改めて後悔した。

 投票権は一人一票。必然的にスピカか天音どちらかを選ばなければならない。

 それでも和彦は「彼氏だから」という理由だけで決めたくはないと思った。スピカの絵は知っているが天音の絵は知らないのだから、しっかりと見て判断したい。

 応募総数自体もそれほど多くない。ざっと見十点くらいだろうか。

 じっくりと見比べて十五分。普通の人なら五分もあれば全部の作品を見て回れるレベルだ。

 作品も学校ごとに整えられていて分かりやすい。和彦は入り口近くに置かれていた「松栄高校」から道順に従って絵を見ていった。

 が、その絵のクオリティーには驚かされる。和彦自身がここ数日スピカや天音の絵ばかりを見ていたせいか、名前も知らぬ人の作品はどうにも心が踊らされない。

 色彩が単調でつまらない。ハケで描いたのだろうという事が分かるような線。構造からして失敗しているような物体のバランス感覚不均等。

 スピカと天音の絵を見て、美術展ってレベル高いなと思っていたが、そういうわけでは無いらしい。単純にあの二人のレベルが高いのだ。

「これはスピカと天音の頂上決戦って所か」

 二人で最優秀賞を取り合っているのも天音が去年の大会二位という成績に満足していないのもよくわかった。

 和彦も流すようにして足を進めているうちにいよいよ宮ノ森学園――和彦たちの通う学校のゾーンに入る。

 最初に姿を現すのはスピカの絵。

 もはやこれは評価や表現をするまでもない。和彦自身がよく知っている絵だ。だが、そこに群がるおじいちゃん・おばあちゃんたちが「この絵綺麗ね~」「昔、こんなきれいな星をよく見たものだ」と感想を言い合っているところを聞いていると作者ではない和彦もどうしてか嬉しくなった。

 その隣、それがおそらく天音の絵。そう思っていた。というのも宮ノ森学園の作品は二作品しか展示されておらず、その先は鶴鐘高校の作品になっていたから。

 だが、スピカの隣に並べられていたのは、和彦の座った姿などではなく、壁ドンをされて胸ときめかせる女性の絵。

 しかも絵画というよりも漫画タッチなその絵は確かにこの展覧会の中では異色さを放っていたが言葉変えれば展覧会をなめているようにしか思えなかった。

 出展者名は宮ノ森学園美術部。だが、こんな絵和彦は一度も見たことがない。となればおそらくこの絵は、天音に気を使いながら美術準備室にいてくれた部員たちが暇だからと作ったものなのだろう。

「あれ……」

 という事は天音の作品は無いという事になる。

 焦った和彦は入り口で配られたパンフレットに目を通す。もらったときは特に開くこともなかった代物を血眼になって上から順に出展作品をなぞる。

 ただ、何度見直しても天音の名前は無かった。

「赤星さん……」

 結局あの絵は完成しなかったという事だろう。そう思うと罪悪感でいたたまれなくなる。和彦があの部屋に出入りして邪魔さえしなければ、こんな事態にはならなかったはずなのに。

 天音は「今年こそ高橋さんに勝つ」とこの大会に力を入れていたのに。

 優勝候補の一角が消えた大会で和彦が記録用紙に書く作品など決まっていた。いや、決まっていたのは和彦という男の一票だけではない。

 この大会における審査そのものが決定していた。優勝はぶっちぎりだったという。

「おめでとうスピカ」

 審査も、賞状や田舎らしい小さなトロフィーの授与も終わったあと、和彦は彼氏としてスピカの事を公民館の前で待っていた。

「ありがとう」

 スピカも満足そうな顔で降りてくる。

「ねぇ大事な話があるからちょっとそこの公園に来てよ」

 大会終了直後で疲れているはずなのに、スピカは和彦をつれ、併設される市の公園まで。

 市の公園と言ってもそこまで広いものではない。滑り台やブランコ、シーソーなど必要なものをとりあえず揃えただけの小さな公園。昼間は小さな子供とお母さんたちの憩いの場になっているこの場所。けれど五時の「帰りなさい」を促す放送がながれてから三十分も経った今、公園には誰もいなかった。

「座って」

 スピカに促され、和彦はその公園にあるベンチに腰掛ける。

 だが、スピカの方は立ったままで、座る和彦と立っているスピカという変な構図に。「座らないの」と促してもスピカは「ううん」と首を振った。

「スピカは大丈夫。すぐ帰るから」

 その言葉に凄い違和感を覚える。でも、その正体は次の言葉が来ても理解しきれなかった。「ねぇ別れよっか」

 あまりにもスピカの言葉はあっけなかった。

「ねぇ帰ろっか」とでも言っているくらいあっさり。

 そのあっさりさが、逆に和彦にとっては怖かった。何かの聞き間違いなのではないかとスピカに問いかけなおす。でも、スピカから返ってくる言葉は同じだった。

 ちょっと待て。まだ付き合って一週間も経っていない。三日だ三日。作品の提出とか手続きとかがあって忙しいとこの三日間はほとんど会っていないし。

「なんで……急に……?」

 何か悪いことをしただろうか。何かスピカの気に障るようなことをしたのだろうか? だけどいくら考えても思い当たる事はなかった。辛うじて言えば告白したその時に泊まりを断ったくらいだが、スピカはそんなことで別れを切り出すほどの淫乱な娘だとは思っていない。

「『なんでか』か~。ん~難しい所だけど、端的に言ってしまえば目的を果たしたからかな」

 小悪魔のように首をかしげる可愛らしいスピカにはなんの変わりもない。ただ言葉が悪魔的になっただけ。

「目的?」

「なはは。な~に言ってんのかず君。今日達成した目的なんて一つしかないじゃん」

 スピカの笑う姿も等しく変わりないし可愛い。だけど、目のハイライトは、告白した時に笑っていたあのキラキラ感はどこにもない。

「え? 何その驚いた顔? まさか本当にかず君みたいなキモオタ童貞がスピカなんかと付き合えるとか思ってた?」

 それはクラスを席巻するギャルのようで。性格の悪いいじめっ子のようで。家畜を臨むようなその瞳は明らかに和彦の知っているスピカではなかった。

「あんたの相手すんのすごく大変だったんだからね。女子慣れしてないからめっちゃきもいし、話長いし。星なんて興味ないっつ~の。あ、でも、唯一本心から笑ったときもあったな~」

 手を口の前に当て、ニタリと不気味な笑みを浮かべながら言葉を続ける。

「告白の時。まぁ告白しに来たんだろうなって事は分かってたけどまさか頭下げて手を出してくる? マジであれ爆笑だったんだけど。あの時の笑いはホントだよ。つい、告白オッケーする前に本性さらけ出して「キッモ」って言いそうになっちゃったしね~。いや~あの時はよくスピカも耐えたわ」

 すぐに理解できるような頭を和彦は持ち合わせていなかった。何がどうなっているのかさっぱり分からない。これは悪い夢か、それとも茶番だという事しか考えられない。

「じゃあ、なんで告白にはオッケーして……」

「そりゃそうでしょ。あの時はまだシェルアート展覧会で賞を取ったわけでもないし、締め切りまであと一日あったし。あそこで断って何かの手違いで赤星が本気出したらどうするのさ」

「じゃ、じゃあ今日赤星さんの作品がなかったのは……」

「いらない勘違いしないでよ。スピカが直々に何かをしたわけじゃない。むしろしたのはあんたの方でしょキモオタ」

 いちいちその語尾に刺されるような思いがする。ちゃんと好きになったはずの相手なのに。その想いがボロボロと崩れ落ちていく。

「まぁスピカとしてもここまで上手に踊ってくれるとは思わなかったけどね。赤星が参加辞退とかできすぎでしょ。今日の展覧会チョ~余裕だったわ」

 あんまりにも豹変したスピカを見て、和彦も次第に冷静ではいられなくなってきた。次第に今のスピカは何者かに取り付かれて操られているようにも思えてくる。

 和彦はとっさに立ち上がり、大会用だろう綺麗なドレスの襟もとをつかんで必死に訴えかける。

「ふざけんなよ! 今までのスピカをどこにやったんだよ! 俺の大切なスピカを返せよ。お前誰なんだよ」

 思いっきりスピカの体を前後に揺らし、誰もいない夕方の公園で泣きわめく。

 けれど和彦の心の中にみっともないといった感情は一切ない。スピカを正気に戻す事だけが頭の中を占拠していた。

「お、おい、ふざけんなキモオタ! 服が汚れるし、汚い涙とか鼻水散らすなカス」

 だが、必死な揺さぶりもスピカには何一つ届かない。

「返せも何もない! これが本当のスピカ、高橋スピカ。あんたのために媚びへつらってあんたの好きそうなキャラを演じて、あんたのために自然な感じでキラキラ輝くように見えるカラコン入れてたのは全て展覧会のため。いや、赤星天音を潰すため」

「嘘だ! そんなの絶対嘘だ。俺は人を見る目だけはあると思ってた。スピカはそんな奴じゃない」

「は? あんたにスピカの何が分かるってのよ! たかがちょっと一緒にアトリエに居て時間を共有したくらいでスピカのすべてを知った気にならないで! あんた見てると反吐が出そうになるのよ。それでもあんたのために素敵で可愛らしい女の子を演じてあげた」

「じゃあなんで俺だったんだよ。なんで俺を標的にしたんだよ!」

 スピカは「あんたいきなり質問を百八十度変えてくるのね」と困惑しながらもその答えははぐらかした。

「マジでかず君鈍感なんだね。まぁ無理やりにも好意を寄せる女の子演じてたから、鈍感なのは知ってたけど。でも、あんたをスピカの物にしないと最優秀賞を取れる確率が五十パーになっていたからよ」

「意味わかんねぇよ」

「そういうのを鈍感っていう。とはいえ本当に出展できないほどのダメージを負うとは思ってなかったけど」

 そう言いながら邪悪な笑顔でスピカは微笑み「じゃあね」と。手を頬の横で振っているのに、大好きだった数日前とは全くもって印象が違う。

「あと、金輪際スピカにアプローチしてこないでよ。キモオタとかマジ無理だから。元通りの生活でもして楽しみな」

 何が元通りだ! そう言いかけたけど言葉にはならなかった。スピカは振り返る事も無く一歩ずつ確実に和彦のもとから離れていく。とはいえ和彦にスピカを追いかける気力などかけらも残ってなかった。

「どうして……どうしてこうなるんだよ……」

 やっと彼氏に、リア充になれたと思ったのに。頑張って告白してスピカを手に入れたと思っていたのに。演技? じゃあそれに踊らされていた俺っていったい何だったんだよ。

 初恋の相手は思いも告げられずどこかいなくなってしまうし。一年近く片思いした相手は和彦に興味持ってくれないから思いを告げる以前の問題で終わるし。やっと思いを告げた相手は「演技だから。あんたの事なんて好きじゃない」って逃げていくし。

「マジで俺ってなんなんだよ……」

 和彦は無気力のままベンチに座り込んだ。

 何も考えられないし、考えたくない。今日スピカが優勝したらお祝いに取れたてのトマトでもあげようかと思って持って来たのに、なんの意味もないじゃないか。

 でも考えてみればスピカは一国のお姫様のような存在。下民の和彦に手が届くなんていうほうが妄想だった。

「アホだ……」

 自分で自分が嫌になる。高校生にもなって一人で何をしているのだか。

 あんな風に啖呵を切って沙織と喧嘩して選んだ結末がこれかよ……。

 スピカに踊らされて天音の夢を壊したのも和彦。何もかもが空回りしてすべてを不幸にさせた気がする。

「もう、俺が生きている意味なんて無いんじゃん?」

 和彦がいなければ沙織は不快な思いを抱かなかった。もしかしたら六年前に家出をすることすらなかったかもしれない。

 和彦がいなければ天音はシェルアート展覧会に出展出来た。天音の才能があればもしかしたらスピカにも勝って最優秀賞が取れたかもしれない。

 和彦がいなければスピカはあんな演技をしてまでキモオタの相手をする必要がなかった。

「多分俺は存在しない方が世のためみんなのためなのだ」和彦はベンチに座り俯きながらずっとそんな事を考えていた。

 国道沿いに隣接するこの公園からは、自動車がスピードを出して走る音がひっきりなしに聞こえてくる。

 あそこに飛び出せば今なら死ねる。辺りも暗くなってきているし、公園から男が一人飛び出したくらいで田舎道を勢いよく走る車はそう簡単に止まらない。

「楽になれるかな。みんなを幸せに出来るかな」

 そんな妄想をしているといくらか心が楽になる。和彦が死んだところで困る人間はそういないだろう。多分お母さんやお父さん、野菜たちには迷惑をかける。でも、俺が死ぬことで沙織や天音、スピカたちは救われる。

 野菜と人間を比べたら重いのはどっちだろう。

 ずっと考えて考えて。何度も死ぬために立ち上がろうとしては辞めて。多分こういう意気地の無い所も和彦の良くないところなのだろう。

 でも、いつまでもここにいるわけにも行かない。

「みんな幸せになってくれ」

 そう願いを込めて立ち上がろうとしたその時だった。「鷲崎君?」と久しぶりに甘い声を聴いたのは。

 顔を上げるのすら億劫なその相手。声だけで誰かは分かる。和彦が夢をボロボロにしてしまった相手だ。

「こんなところでどうしたの……」

 心配そうな声を出しながら天音は和彦に近づいてくる。

 ここから立ち上がって死のうと決意までしたのに、天音の登場に今、目の前で走り去っていき車と衝突することすら許されなくなった。

 今それをしてしまえば確実に天音に迷惑をかけてしまうから。

「ゴメン。俺のせいで展覧会ぶち壊しちゃって……」

 和彦は自分の罪を謝る。殴られる覚悟もスピカのように罵られる覚悟も出来ていた。それくらい天音の夢を潰したというのは大罪なのだから。

 けれど天音は和彦に危害を加えるようなことは一つとしてせずにそっと和彦の隣に腰を掛ける。

 救いの天使や女神なのではないかと錯覚してしまいそうなその振る舞いに、むしろ和彦の中では疑念の方が強く湧き上がってきた。

「なぜ殴らない! なぜ怒らない!! 俺のせいで何もかもぐちゃぐちゃにされたっていうのに」

「でも、今傷ついているのは鷲崎君でしょ」

 天音は何一つ動じることなくそっと答える。勢いで強い言葉を吐きながら立ち上がった和彦の方が馬鹿らしく。一瞬で頭が冷めた。

 違う。別に天音にキレたかったわけじゃないのに。

 八つ当たりだ。と自覚して和彦は咎められた幼稚園児のようにスッとまた天音の横に座りなおした。

 和彦は改めて思い知らされる。天音は何一つ変わらない天使のようにいい子だ。沙織の言葉も間違ってなかったし、和彦一人がバカな行動をしていた。

「俺って昔からこんなんでさ」

 さっきまで一人、頭の中をグルグルさせていたことを口にしていく。死ぬことさえ許されなくなった和彦にとっては心が勝手におこなった防衛策なのだろう。

「沙織は幼馴染で昔からずっと一緒に居た。何をするのも一緒で共に成長してきたと言っても過言じゃない」

 赤ちゃんの時は二人で横になって転がり、三歳くらいから積み木遊びなどをするも大体沙織に壊される。

 六歳くらいには畑を駆け回る沙織を必死で追いかけて「怒られるからやめようよ」と説得する和彦。だけど要領の良さはいつも沙織の方が上で、和彦ばかりが怒られていた。

 あの頃の「してやったり」というしたり顔とピースサインは今も忘れない。

 でも、そんな風に笑う沙織はテレビに映る子役なんか相手にならないくらい可愛かった。

「俺は次第に沙織の事が好きになっていたんだ。俺も知らないところで」

 小学生に上がってしばらくしたころ、和彦は星に興味を持った。きっかけは小学三年生の時に学校で行われた「天体観測会」。近くの高校に通うお兄ちゃん・お姉ちゃんを招いて星の魅力を実際に観察しながらお話をしてもらうという慈善事業。

 高校生の人たちが気を使って多くの子供に分かりやすく話してくれたこともあって会は大成功。

 もちろん和彦も楽しかったし、沙織も笑顔を見せていた。

 でも、本当に和彦の心に刺さったのは講師としてやって来てくれたお姉ちゃんの言葉。

「星ってね線で結んでいくと色々な形に見えるんだ。その想像力は無限大でいつかは自分だけのオリジナルで線を結んでみたら、みんなが君たちの名付けた名前で呼んでくれるかもしれないよ」

「あと、光にも速さがある関係で今見ている姿が同じ姿じゃないってこともあるんだ。説明はちょっと難しいんだけど、例えばみんながいつも見ている太陽も本当は八分前の太陽だし、もっと遠い星――例えば、あの宙にあるオリオン座の一番きれいなベテルギウス。あれは六四〇年前の姿だから、今この瞬間にベテルギウスが大爆発しても私たちから見える姿には何の変哲もないし、生きている間は爆発したなんて知る由もない。ニュースで流れて『へ~爆発したんだ。まだ普通に綺麗な状態で見えるのにね』って感じになるんだ」

 確かに小学三年生で理科も習いたてな子たちが理解するには少し難しい話だった。でもお姉ちゃんはそれらすべてを綺麗にまとめてくれる。

「星はパレットにもタイムマシンにもなるロマンであふれたものなんだ。これを研究し尽くせばまだ誰も知らないようなことがたくさん見つかるかもね」って。

 そんなお姉さんの口車に乗せられたと言っても間違いではないかもしれない。とにかくその経験を境に和彦は星について目一杯図鑑やインターネットを使って調べるようになったし、詳しくもなった。

 それから時が少し過ぎ小学五年生。星は調べれば調べるほど面白い事実がたくさん出てきて、この面白さを沙織とも共有したいと和彦は考えていた。そこで、和彦は沙織を誘って七夕の夜に家の近くにあった高梨山に登って天体観測をすることにした。

「でも、その日から俺の人生は百八十度変わった」

 何があったのか和彦に記憶は残ってない。楽しく星を観察していたはずなのに、翌日には沙織は「どこか遠くに」いなくなった。

 いつもなら当たり前のように隣にいた沙織が和彦に何も告げることなくいなくなったのだ。

「でも、日常から沙織を失って初めて気が付いたんだよ。あぁ俺、沙織の事好きだったんだな~って」

 沙織がいなくなるまではウザいとかうるさいとか元気良すぎなんて感想くらいしかなかったけど、失うことで日常の大切さを知った。

 星を教えたかったのも、沙織に星のロマンを知ってもらいたかったからではない。沙織と色々な星の話を共有し、語り合いたかっただけ。

 でも、幼馴染の事が好きだなんて一緒に居る間は心が認めようとはしなかった。小っ恥ずかしいし、学校ではからかわれるって分かっていたから。

 そんな面倒くさい人間関係になる事を避けて、和彦は沙織に対する恋心を無意識のうちに封じ込めていた。

 その結果、本当の気持ちに気が付いた時にはもう手遅れだったという事だ。

「そこからしばらくは沙織の事ばっかり心に残って女の子を恋愛対象としてみることは出来なかった」

「でもそれを変えてくれたのは――」紛れもなく今隣に座っている天音だ。

「赤星さんとリレーの練習をして、はじめはなんとも思っていなかったけど、赤星さんの人の良さには好感を持っていた」

「でも、その好感度が最高潮になったのはあの昇降口で泣いている赤星さんを見つけた時。あの時に俺は「この子(赤星さん)を守ってあげたい」って赤星さんの事が好きになった」

 けれど物事は自分の思い通りにはいかない。今度は沙織みたいな後悔をしないために自分の心に嘘をつかないようにしようと思っていた。

 だけど、体育祭以降接点というか会話がほとんどなくなってしまって、自分から話しかけることでキモイと思われたりするのが怖くて声がかけられなかった。

 赤星さんも自分と同じ気持ちなら何らかのアプローチをしてくれるだろうし、それから動き出そう。意識もしていない相手から声を掛けられるのは赤星さんがかわいそうだ。

「でも、これだって今考えなおせば逃げだった」

 本当に赤星さんが好きで自分の物にしたいならどんどん自分から話しかければよかったのだろう。それでキモイと思われて、相手にされないならそれは縁がなかっただけ。

 でも、和彦はそんな風に割り切れるほど強い人間ではなかった。沙織の事がたまにちらつくから、赤星さんから嫌われたら、次いつになったら好きな子が出来るかさえ分からないから。

「でも、好きな子は意外にもすぐできた。スピカだ」

 赤星さんが好きという感情とスピカが好きという感情が平等になったのはスピカと天体観測をしたあの日。

 自分の好き度合いは同じだった。ただ二人の女の子では完全なる違いがあった。

 天音の和彦に対する好感度が低かったのに対して、スピカは高かった。

「だから俺はまた逃げた。自分の事を好きでいてくれたスピカに。一種のリスク管理勘定が働いたんだと思う。スピカを選んだ方が自分の負うダメージは少ない。脳がそう判断して天音が好きという感情に鍵をかけた」

「自分の好き度合いは同じだった」というのももしかしたら体のいい言い訳なのかもしれない。本当は依然として天音の方が好きだったけど、天音に告白してもボロボロに砕かれるだけと思っていた。だから、スピカの告白を正当化するために脳が勝手にスピカの評価をあげていただけ。

「で、ふたを開けてみたらこれだ。俺はただ騙されただけだった。しかも本当に自分が好きだった人を壊すことに利用されたとかいう最悪な結末」

 話をして、自分のすべてを聞いてもらって、どこか心が落ち着いたと同時に、当事者にたいしてなんて話をしているんだという一種の冷静さを取り戻す。

 もしかしたら今度こそ「ふざけないでよ!」って怒られたり、殺されたりするかもしれない。でも、それはそれでよかった。天音が和彦を殺すならそれは天罰だ。どんな報いだって受ける腹積もり。

 さて、どんな言葉が来るのか、一通り話し終えた和彦は顔を上げ、今日初めて天音の表情を確認する。何を考えているのかは分からなかったけど、涙さえこらえるような神妙な面持ちだった。

 そんな天音から発せられる言葉はやはり憤りの言葉などではなく優しい同情の言葉。

「私も一緒」

 はじめは何を言っているのか分からず、和彦も「え?」と聞き返してしまったが、天音は丁寧に説明をしてくれた。

「私もね好きな人がいたんだ。すごく真面目で、優しくて、ちょっと不器用な男の子。でも根暗とかいうわけじゃなくて男の子の友達と楽しくしゃべってたり、声を掛けられれば女の子とも普通に話す。そんな男の子が私なんかの事相手にしてくれるわけないよな~って心に鍵をかけた」

 意外だった。これまで天音の事は勝手に観察しているつもりだったが、そんなどこぞの男に対して好意の眼差しを向けていたことには一切気が付かなかった。でも、それは同時にやっぱり天音に告白したところでダメだったという事だ。

「でもね、ある時その男の子が別の女の子と仲良くし始めたって噂を聞いてね。さっき普通に女の子と話もするって言ったけど、その男の子、女っけは全然なくて。だからどこか見ているだけでも安心していたのかもしれない。それを急にひっくり返されたの。それで私は焦った。そしたら信じられないくらい何も手がつかなくなっちゃってね。勉強も絵もその男の子と会話するにしても何の話をしたらいいか分からなくなっちゃって。その子と二人っきりの時間だってあったのに何も会話できなかった」

 天音は自分のつらい話であるにも関わらず和彦を元気づけるためか、淡々と話を進めてくれる。

「で、結局その男の子は別の女の子に告白しちゃっておしまい。しかも後から聞いた話だとその子も最初は私の事好きだったんだって。でもお互いに勇気がなくて遠慮してたらこんな結末に……」

 その話を聞いて思う。現実はあまりにも残酷だと。お互いに想い合っていたとしても歯車一つ合わないだけで上手に結ばれない人が世の中どれだけいるのだろうかと。

 ましてやそんな過去を乗り越えた天音が生きる意味さえ失いかけている和彦を元気づけるためのエピソードとして話してくれるなんて。どれだけ出来た人間なのだか。

「なんで赤星さんはそんなに俺に優しくしてくれるの」

 それでも天音の優しさは和彦の身には余り過ぎている。どうしても聞かずにはいられなかった。

 だが、その質問には天音も「え? えぇ……。う、ううんっとねぇ」と曖昧な言葉ばかり漏らしながら引きつった表情でどうにかして答えを出そうとする。

「私もほら、例の運動会の時、鷲崎君に助けてもらったじゃん? その恩返し的な?」

 目を丸くしながら指を立て明るく答える赤星さん。本当に優しすぎる。

「そんな小さな事で俺のために。自分の方が無茶苦茶にされているにもかかわらず助けてくれるのか……」

 感心というか尊敬の意味で漏らした言葉だったが、どうしてか天音の琴線に触れてしまったらしく、「小さな事って言わないで!!」と。おそらく今日の天音が発した言葉の中でも一番強い反論がきた。

「私にとってはあの体育祭での出来事は全然小さな事じゃないから。鷲崎君がそう言うのだけはやめて」

 もしかしたら今日一番どころか、出会ってから一番大きな声だったかもしれない。

「でもね、私だって全然優しくはないよ。実は昨日下駄箱の中に一通の手紙が入ってて。多分この手紙を見てなかったら私も今ここにはいなかったと思う」

 手紙? そう問い返しながら訝し気に天音の方を見つめると、天音はカバンの中から本当に質素な何のデコレーションもない手紙を取り出した。



赤星天音さんへ

 私は鷲崎和彦という男をよく知るものです。最近鷲崎和彦の様子がおかしくなっているのはあなたも気付いているのではないでしょうか?

 彼は心優しくて繊細ですが、その分流されやすくて厄介事や辛い事からは逃げる傾向があります。

 だから今高橋スピカというクソ女に魅了されているのも一時の気の迷いです。赤星天音さんにとっては凄くつらい事かもしれませんがどうか鷲崎和彦の愚行を許してやってくれないでしょうか。

 あの男にはあなたのような素敵な女性の力が絶対に必要なのです。



「短い手紙で、送り主の名前もなかったんだけど」

 天音はその手紙の全容をすべて読んでくれた。一体誰がこんな手紙を。

 和彦も「知ったような口利きやがって」と一瞬言い返してやろうと思ったが、書かれている内容があまりにも真実すぎて、未来の和彦が置いていったラブレターのようにさえ感じてしまう。

「ロマンチックなことしやがって。劉生か?」

「私も結局この手紙を書いたのが誰なのかは分からなかったけど、この手紙がなかったらさっきも言った通りここには来なかったと思う。だからお礼は私じゃなくてこの手紙の送り主に言ってあげてほしいな」

 でも、誰かもわからぬ相手だ。それ以上どうしようも出来なかった。

「いや、でもこの手紙を見て、本当に必要だった時に助けてくれた赤星さんにも感謝してる。ありがとう」

 天音も和彦の表情を見てか、ある程度何かを悟り、にっこりと表情を緩めて、謙遜することなく素直に「うん。ちょっとでも力になれたなら良かった」とほほ笑んでくれた。

 これだけ素敵な女の子を捨てようと思った自分がアホみたいだ。天音に好きな子がいて振られるにしてもちゃんと告白しておけばよかった。

 ただそれだけが心残りだった。


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