1.旅のはじまり
空は青い。そして果てしなく広がっているように見える。
今日も快晴だった。そして昨日も一昨日も快晴。
「こうも暑い日が続くと参ってしまう」
「ああ、そうだな」
振り返るとそこには一夜がいた。いつも暗い表情を顔に張り付かせて佇む一夜は、なぜか存在感を感じさせない。
出会った日から何も変わらない。どこか儚さを感じさせて、それでいて柔らかい雰囲気がある。不破一夜は不思議な人間だと思う。
それでも、感謝をしていることには変わりないが。
「今日はどうする?」
六蔵が訊ねると、一夜はそうだな……、と悩み始める。
「食料が必要なんじゃないか?」
少しの間続いた静寂をぶち壊すように会話に入ってきたのは桜庭楓だった。
「またそれか……」
「桜庭がバカみたいに食べるからなくなったんだろう」
一夜が呆れたようにため息をつく。対照的に六蔵は咎めるような視線を楓に向けた。
「また配給でも受けにいかないとダメか?」
「おいおい、第三セーフエリアまで戻るってのか?」
楓のお気楽さには六蔵も呆れるしかない。
「ところで、アークはどうした?」
六蔵は一夜の方を見てそう訊ねた。一夜はテントの裏側を差す。
「アークなら川の方にいるはず。顔を洗うと言っていた」
「そうか」
ありがとう、と残し六蔵も顔を洗おうと川に向かう。ついでにアークの怪我の具合も聞いておきたかった。
川辺に着くとアークは脛のあたりまで水に突っ込んで顔を洗っていた。
「アーク、怪我はどうだ?」
「かすり傷、大丈夫。六蔵の処置がよかった」
アークは元米兵だったが、とても流暢な日本語を喋る。それは彼の才能だと思う。
「軍から貰えた鎮痛剤がよかっただけだよ」
「そんなこと。六蔵は軍医として優秀だっただろう?」
「そうでもない。マニュアル通りに薬を打ち込むだけさ。大したことはない」
川の水を両手ですくって顔に打ち付ける。冷たくて気持ちがいい。いい感じに顔の脂が流れていく。
「でも六蔵は立派な軍医だ」
「買い被りすぎだよ。確かにこのチームには僕は必要かもしれないけど」
そんなこんなでタオルで顔を拭き、テントに二人並んで戻る。
一夜は六蔵とアークにも長方形のクッキーのような携帯食料を手渡す。どうやらこれが本日の朝食のようだ。
「え、これだけ?」
いつの間にか起きていた楓が携帯食料を片手にそう呟く。
「そうだよ。誰かさんのせいでな。今日は一本だけだ」
一夜は小言を並べたげにしていたが、六蔵はそれをなだめて、携帯食料を頬張る。
本当はあと二本は食べたいのにと一夜は呟く。意外とお腹が空いていたのだろうか。
「文句ばかり言っていても仕方ないが」
そう一夜は続けた。
「そうそう。一本でも食えるだけ感謝しないと」
「楓、お前が言うな」
相変わらず空気の読めない楓にアークが突っ込んでいたが、何はともあれ朝食が終わっていく。
その後、テントを畳んで旅支度をする。
「今日はどこを目指す?」
「この先にある第四セーフエリアでも目指すのはどうだろうか。あそこは旧大学を中心としたコミュニティになっていて、そこそこの規模もある。食料も分けてもらえるだろう」
「さすが一夜。情報通だね!」
「よし、決まりだな」
そして男達は荒野へ踏み出す。
× × ×
外は相変わらずあばら家の並ぶ廃墟街で、白っぽい土煙が時々舞い上がっては顔に打ち付けてくる。
「食べれる草でも探したいなぁ……」
「楓、頼むから変な気は起こさないでくれ」
「わーってるよ、一夜」
このチームは相変わらずだった。過酷な前線に出ていく軍人ほど精神的安定を保つために軽口を叩きやすくなるとは噂に聞くが、終末の世を生きるこのチームにも同じことが言えるのだろうか。
「ちょっと待ってくれ」
アークに言われて立ち止まる。指の先には巨大な足跡。
「どうした?」
「……いるな」
超変異体が。
その言葉に誰もが凍りつく。
超変異体になんて並大抵の戦力では勝てないのだから。
「マジかよ……」
「ツイてねえな」
一夜も楓も、口々にそう言う。
きっと彼らも過去に超変異体と遭遇しているのだろうか、と六蔵は思考を巡らせる。
「このまま進むのは危険だろうか」
「いや、だけど今から戻るのも時間がない」
「日が暮れてしまうからな……」
一夜はしばらく考えて、隠密で通り抜けるしかない、と言った。
「見つかったら即死だな。超変異体相手なんて」
六蔵が言うと、楓はなんとかなるっしょと言い、アークは無言。
「だが、超変異体を恐れていても仕方がない。行くぞ」
歩を進めた一夜に続いて、一行は進んだ。
× × ×
超変異体の足跡を避けるように進んだ。あばら家からあばら家へと渡り歩き、崩れた壁材を踏みながら進む。
こんなことをしたって超変異体に見つかったらあばら家ごと破壊されるのが精々だろう。それでも先に進むしかない。食料不足で餓死するのは嫌だ。その気持ちはみんな同じ。
そんな死に方をするくらいなら変異体に殺された方がいい。ここはそういう世界なのだ。
日射しが疎らに入ってくる穴だらけの廃墟の中を四人は進む。
こういう時はだいたい一夜を先頭に楓、六蔵、それからアークと続く。一列になって進む様は小学校の遠足を思い出す。
現実は遠足どころではないのだけれど。周りは見てくれのおかしいゾンビ野郎どもが闊歩する終末の世界だ。
廃墟街の真ん中を巨大な足跡が続いている。轍のように。
「この感じだとあのゾンビ野郎は街の外まで出て行っちまったかもな」
「……ってなると街を抜けた旧水田地帯で交戦になりそうだな」
「引くか」
「いや、進もう。これじゃ安心して昼飯も食えない」
「結局俺らメシのことばっかだな」
「楓ほどじゃない」
立ち止まっていると、正面から激しい銃声。あばら家の建ち並ぶ廃墟街の先、旧田園地帯からだった。
「おいまさかアレと戦闘が始まったんじゃないだろうな」
アークは咄嗟にあばら家の隙間を抜けていき、向こう側の様子を見て戻ってきた。
「……そのまさかだ」
「あぁ、やっぱりか」
一夜は頭を掻く。それからアサルトライフルを握り直して、俺らも行くぞ、と言い放った。
× × ×
地獄。六蔵たちの前に広がっていたのはまさしく地獄の入り口だった。
廃墟街を抜けた先にまず見えたのは上半身と下半身が完全に切り離され腸が引きずり出された人間の死体。
「相変わらずひでぇな」
楓は思わずといった感じで呟きを漏らした。
「一撃でやられてるな」
一夜も冷静にそう言った。
「油断せずにいこう」
アークはそう呟いて、真っ先に駆けていく。無論、六蔵も後に続く。震える手をホルスターに掛けて、拳銃を掴む。やはり慣れないのだ。戦闘には。
やがて超変異体が見える。その右手には引きちぎられた人間の首が見えた。
「いやだ、助けてくれ!まだしにたくな……」
そんな声も超変異体の腕の一振りで掻き消されてしまう。それから超変異体は声にならない雄叫びをあげて、こちらを向いた。
「ちっ、やるしかねぇ!みんな散れ!」
一夜に従って行動する。六蔵は後方にて待機。楓とアークは前に出て、超変異体へと銃弾を放っていく。集中砲火。
超変異体は素早く横に跳び回避、そしてアークに腕を振り下ろす。アークは跳躍して超変異体の腕に乗る。そのまま駆け上がって顔面に蹴りを入れ、間髪入れずに眼球に発砲。
超変異体は仰け反り咆哮を挙げる。
アークは地面に飛び降りクールに着地。
「効いたかっ!?」
楓が叫ぶ。まだ油断するな、と一夜も叫んだ。
超変異体はすぐにまた動き出し、アークに手を伸ばす。
アークは三発の弾丸を放ったが、全て超変異体に手のひらの厚い皮膚に弾かれてしまう。
アークは後方に跳躍。
刹那。
超変異体の腕が肘の辺りから切れて地面に落ちた。