名残の雪が咲く頃に
ちらり、はらり。
雪が舞う。ひとひらひとひらが蒼天より降りて融ける。
私は紙風船を放り投げては受け止める。かさりとしたその感触と、単純な色合いが好きだった。
「あなた、浴衣で寒くないの?」
「大丈夫よ、お母さん」
「じゃ、も少し火鉢の傍にいらっしゃい」
私は母に言われたように、赤い金魚柄の浴衣姿のまま、火鉢に近づく。火鉢は白い陶器で、青の染付がしてある。山水画のようだ。母が黙っていても私の肩に半纏を着せ掛ける。私はされるがままにしている。部屋の隅を黒猫が横切った。その琥珀色の目は鋭い湾曲を描き、嘲笑しているかのようだ。美しい斜線が猫の通ったあとに出来る。それは私の目の錯覚。私は母が立ち働く姿をぼうと眺める。
「お母さんは寒くないの?」
母は笑った。
「あなたと違って頑丈なのよ。あなたと違うから」
繰り返す。その理由を私も知っている。母は私を追い返すでもなくただ迎えてくれた。何くれとなく世話を焼き。
ちらり、はらり。
また雪が舞う。雪で化粧をするのだろうか。
外には火鉢に描かれた山水画のような光景が広がる。ここの春は美しいのだろう。そう腑抜けた頭で考えていたから、母に抱き締められた時には不意を突かれた。
「もういい。もういいのよ。戻りなさい」
「お母さん」
「あなたは私と違うから、大丈夫」
「お母さん」
頬を涙が伝う。私は母の温もりに縋り幼子のように泣いた。黒猫がまた横切る。
「おかあ、さん」
目を開けるとそこは病室だった。看護師が目を見開き私を見ている。それからは気が付かれたんですね、お名前はわかりますか、今、医師を呼んできますの矢継ぎ早。そう、私は車に轢かれそうな黒猫を助けようとして、自分も巻き込まれた。黒猫は、結局助けられなかったのだろう。だが母に逢えた。臨終に間に合わなかった母は朗らかに笑って「あちら」にいた。赦してくれた。
「――――おかあさん」
しばらく枕に顔を埋める。
随分長いことそうしてから、窓の外を見る。
ちらり、はらり。
名残の雪は桜の花びらへと変わっていた。