花束を
僕は花屋に足を踏み入れるのに、すごく緊張した。僕はこの二〇年間彼女なんていたことなんてないし、ましてや何の花を選べばいいのか、わからなかった。
雨で重たくなった服のまま店内をひたすら歩きまわって悩んでいると、それに見かねたのか店員さんがタオルを貸してくれて話しかけてくれた。
「どなたに送られるんですか?」
店員さんは笑顔で接客してくれたけど、確かにどなたになんだろう。僕は亡くなった新入生のことなんて全く知らないし、ましてや数時間前に亡くなった子に仏壇にあげるような花は少し違う気がする。正直にただの思いつきで亡くなった子に花を贈ろうとしている、なんて言ったらきっと引いた目で見られることは間違いない。
僕は店員さんからの質問に答えられずにいると、目に留まった花があった。
「あの、これ、ください」
咄嗟に黄色い花を指さすと店員さんは微笑んだ。
「フリージアですね。ちょうど今の時期のお花なんですよ」
店員さんに本数を聞かれたから五本買うことにしたけど、単色でどこか寂しかったから
「この白いポンポンした花もお願いします」
「カスミソウですね。かしこまりました」
慣れた手つきで店員さんがカウンターで花束を作ってくれている間に、僕は店内の花をじっくりと見ることにした。さすがの僕でも薔薇くらいは知っていたけど、薔薇以外はすべてわからなかったし初めて見る花もあった。形も色も様々で名前を覚えるのは大変そうだな、なんて定員さんを見ると目が合って。
「おリボンは何色になさいますか?」
リボンの色見本を見て、僕は直感で青を選ぶと丁寧に結んでくれた。
お会計をしようとレジへ向かうと、打ち込まれた金額が意外に高いことにびっくりして二度見したのは多分定員さんにはバレてないだろう。
花束を受け取って外に出るといくらか雨は弱まったが、服が濡れるほどの雨であることには変わりなかった。僕はフードを深く被りなおしてお店を出ようとドアに手をかけたとき、定員さんが僕に声をかけ、カウンターの奥からビニール傘を取り出した。
「この傘、よかったら使ってください。お客さんの忘れ物なんだけど、もう3年も持ち主現れないから」
僕は遠慮がちにその傘を受け取ってお礼を言うと定員さんは優しく微笑んだ。
「喜んでくれるといいですね」
またのご来店をお待ちしてます、と僕がお店を出るまで見送ってくれた。
定員さんには申し訳ないけど、喜んでくれるか僕は知る由もない。だって、僕が今から渡しに行く相手は数時間前に亡くなっているし、名前も顔も知らない。本当に全くの他人なんだ。
(僕は何をしてるんだろう)
そうは思っても、僕が花を供えに行く決意は固かった。花を供えなきゃ後悔するような気がした。赤の他人なのに、後悔なんてするはずないのに。
定員さんがくれた傘を被って事故があった交差点へと近づくと、通行人の人たちが僕をチラチラと見て、あぁ事故か、と納得するような眼をして僕とすれ違った。
交差点へ着く頃には雨はだいぶ弱まりポツポツと静かな雨がビニール傘に音を鳴らした。実際に事故があった場所は僕がいる場所ではなくて信号を渡らなければならなかったが、歩行者信号が点滅したため僕は渡らず、次の信号で行くことにした。
信号が変わるのを待っている間もほかの通行人から視線を感じ、僕は居心地が悪くて早く信号変わらないかな、と向こうの信号を見た。
すると、一人の女の子が雨の中傘もささず、たくさん供えられた花束や供え物の前に立って悲しそうな、悔しそうな顔をした。
どこかで見たことがあるような顔立ちだったけど、大学に通っていれば誰かしら目にするから、きっと講義か学内のどこかで無意識に見たことがあるくらいだろう。
女の子は泣いているようにも見えたけど、傘もささず雨に打たれていたから泣いていたのかは定かじゃなかった。
通行人は亡くなった人の友人か家族かを察しているのか、誰一人として声をかける人はいなかった。
(亡くなった子のお友達か家族かな)
やがて信号機が青に変わり、僕は横断歩道を渡ると女の子は花束を供えようとした僕に気がつきゆっくり振り向いた。
「......そのお花」
女の子は僕が持っている花束を見て目を大きく見開き少しびっくりしていた。というか僕もびっくりした。まさか話しかけられるなんて思ってなかったし、すでに供えられている花は仏壇にあげるような花ばかりで、僕が買った花は完全に場違いだった。
「君の友達に完全に場違いな花選んじゃった、ごめんね」
僕は女の子の横にしゃがんで花束を置いて手を合わせた。
(どうか安らかに)
そんなことしか言えなかったけど、きっと十分だ。なんせ僕は知りもしない人に手を合わせているんだから。
隣にいる女の子は小さな声でありがとう、といった。なんだか女の子の声は聞いたことがあって僕は顔をもう一度見ようと思ったし、傘を貸してあげたいと思った。
「そうだ、傘を…」
僕は女の子に傘を貸そうと隣を振り返るとそこにはテレビのリポーターがマイクを持って僕に声をかけようとしているところだった。
「あれ、さっきの女の子は…?」
「えっと…女の子、ですか?」
僕の言葉に困惑するリポーターを無視し、僕は立ち上がって周辺を見回したが、帰宅ラッシュの交差点だけあって、たくさんの行きかう傘の群れや列が切れることなく走行する車の大群で女の子を見つけるのは厳しかった。
(いた!)
見つけたのはいいが、女の子はもうすでに交差点の向こう側に渡ってしまっていて、人波に紛れて今にも見失いそうだった。
「あの、少しお話を伺っても」
「すみません、僕急いでるので」
僕は女の子を追うか迷ったけど、ここで追いかけなければ二度と会えない気がした。話しかけてくるリポーターを断り急いで傘を畳んで、点滅する信号をダッシュで渡り切り、傘の群れの間を縫ってやっと女の子の元にたどり着いた。
「あの、」
僕の声に女の子は困惑した顔で振り向いた。その顔はまさに、見覚えのない人に突然話しかけられてびっくりした顔だ。
「......すみません、人違いでした」
女の人はそうですか、と一言言って歩き去った。
僕は確かに先ほどの女の子を追いかけたはずだ。なのに僕が話かけた人は、髪型と服装が似ているだけで、顔も雰囲気も全くの別人だった。おまけに傘も持っていたし。
(疲れてるのかな)
昼から事故現場を見て、人生で初めて花屋に入り、知らない子に花を供えて、ましてや今、さっきの女の子を追いかけたはずなのに全く知らない人に話しかけるという奇行だ。
きっと疲れてるんだ、と思うことにして僕は傘を被り直し来た道を戻った。
(でも確かに見たことのある顔だった)
傘に叩きつける雨の音をぼんやりと聞きながら、たった今青になった信号を信号待ちしていた人達と渡り、先ほどまで女の子がいた場所に立ってみた。たくさんの花やお供え物が雨に濡れ風は吹いていないものの、叩きつける雨粒によってたくさんの花びらが落ちてしまっていて、なんだか可哀そうに思えた。
僕は生乾きのパーカーのフード被ってそっと傘を置き、その場を後にした。