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「あの闇医者はね、貴女のような年頃の女の子や男の子を切り刻んで売り物にしていたのよ」
だから死んで当然なの。
貴女が気に病むことなんてないわ。
私の専属運転手であり、グラフィティを調律する技師である沙夜が耳元で囁く。
組織が抱えるマンションの一室。ホームだなんて呼称している殺し屋の住居に送られてから、どうにも記憶が曖昧だ。
ああ、頭が痛い。
服を脱いだ気がする。
その後でシャワーを浴びた気がする。
二人で
それから
それから……
ああ、そうだ。
彼女に手を牽かれてベッドに入った。
そっか。
そうだった。
私達は抱き合っているんだ。
裸で。
ベッドの上でお互いの熱を感じているんだ。
仕事が終わった後の一時。
〝調律者〟である彼女の治療。
殺人のストレスを生の実感で発散させるんだって言っていたのを思い出す。
彼女が私の首に唇を寄せると、身体に甘い痺れが走った。
くすぐったかった。でも、それを不快になんて感じなかった。
優しくて柔らかな暖かさ。蕩けてしまいそうな感触に、ぼぉっとする。
私の身体に、彼女の唇が触れていない所はない。
全身、余すところなく、私は私を彼女に捧げた。
痛みから逃れたくて。
助けてもらうために全てを受け入れている。
そして彼女は私を口にした。
嫌な顔ひとつせずに。
寧ろ、それを望んでいたと嬉しそうに微笑んで。
だから私は彼女にあげた。
全部。
全部。
恥ずかしい気持ちも
ちょっぴりの怖さも
全部あげた。
私のために尽くしてくれる彼女。
じゃあ私は、彼女に何をしてあげられるだろう。
言われた通りの殺しだけなんて、寂しいもの。
そう思ったから、私は身体の他に、心もあげた。
好きにして良いよって。
私はせめて彼女が喜ぶようにと、何もかも委ねた。
嬉しそうに彼女は微笑んでくれて、ああ、良かったなってちょっぴり幸せな気持ちになる。
そして私はすっかり、食べ尽くされてしまった。
唇も。
あまり自信のない胸の膨らみも。
自分で触るのが、少しだけ怖い足の間も。
私は全部あげた。
もうあげられるところなんて、一つもない。
なのに
それでも彼女は
嬉しそうに
楽しそうに
私を味わっている。
初めての時は、どうだったかな。
肌を重ねる度に、私は最初を忘れてしまった気がする。
彼女とは何時からこの関係が続いているんだろう。
私が殺し屋だと自分を自覚した時からだったかな。
それともグラフィティがもたらす、頭痛のセーフティーを意識した時からだったかな。
思い出せない。
どうでもいい。
今はこの甘い微睡みに浸っていたかった。
血の滑りも
腸の匂いも
火薬の香りも
全部
全部
忘れてしまいたかった。
今だけは
今だけは、頭痛を感じたくない
生きている実感だけが欲しかった。
私は生きている
生きてて良いんだって思いたかった
必要とされているんだって感じられれば
私はまた人を殺せるから。
沢山
沢山
殺せるもの
どんな人だって
私を必要としてくれるなら誰だって殺せるから。
「……〝律〟……律……」
ああ、まただ。彼女は昂ってくると、いつも誰かの名前を呼んだ。
追い詰められているような声で。私の身体にしがみついていないと、どこかへ落ちてしまいそうな声で。
私は彼女の髪を撫でて上げた。寒い季節の色合いを思わせる、ライトグレーの髪を。
高級なシャンプーの匂い。それが、重なる肌の匂いと交じる。
蜜のような濃密さ。私達はそこへ沈んでいこうとしている。
私はこの感覚がいつも少しだけ怖かった。人を殺す時の感じに、びっくりする似ているから。
落ちていく。怖かった。私は彼女と一緒に吐息を荒げる。
泣きながら。子供みたいに泣きながら。「怖い。怖い」と言いながら彼女にしがみついて。
私も、彼女がいてくれないと落ちてしまうんだ。
真っ暗な、冷たい穴の底へと。
それは墓穴
私が落ちていく場所
私だけが
落ちていく世界。
身体が強く震えた。スタンガンを押し付けてきた人達と同じように仰け反って。
熱い吐息が耳元にかかる。途切れ途切れの喘ぎ。
名残惜しそうに、彼女はそれを耳元に吹き付けてくる。嬉しそうに笑って。
「……素敵だったわ。……奏。貴女は本当に素敵……」
泣いている私の頬に口付けし、彼女はするりとベッドから下りた。一人にされる気持ちを、知らんぷりして。
「朝食、食べていくでしょ?」
問い掛けに、私は涙を拭うだけだった。真っ白な天井をぼぉっと見つめ、人形みたいに置かれている。
生きているという実感。
ただ、それだけを意識して。
「できたら、呼んであげる……」
微笑み。慣れた態度。
私に
じゃない。
私を
通した
誰かへの
囁き。
私は今日も生きている。
知らない誰かの代わりとして。