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私は私の心を塗りつぶす。
今までも。
これからも。
誰かが言っていた。
心というのは真っ白なページを束ねたノートだって。
そこに人は一生をかけて経験を書き連ねていく。
そしてそれを必要な時に紐解く事が学習なんだって。
だとしたら
私の心には
殺戮の情報だけで埋め尽くされている。
めくる度に浮かび上がってくる人殺しの知識。
どうやってこの人を殺そうか?
私の中にはそんなやり方がたくさん書き連ねてある。
私は自分に問い掛ける。
頭に刻まれた、たっぷりの殺人知識を紐解いていく。
こうやって近付いて。
この武器を使って。
こんな風に殺せば良いんだよ、と。
淡々とした味気のない情報の束。
ノートに刻まれているのは血文字の群れ。
私の心は真っ赤に濡れていて。
めくる度に血生臭さが溢れてくる。
嗅ぎ馴れてしまったその臭い。
鉄っぽくて。
ほんのり甘いような。
そんな香りが私に殺しの記憶を甦らせる。
乱雑に。
無節操に。
脈絡もなく。
まるで落書きのような。
その心の有り様が私の存在価値を証明する。
血で綴られた殺しの記録が、私を生き残らせている。
殺戮のグラフィティ。
脳科学としての刷り込み。
私という殺し屋を造り上げた組織の技術。
私のアイデンティティー。
残酷に。
冷酷に。
何処までも無関心に。
人を容易く殺められる無機質な感情を持った存在。
それが私。
奏と名前を与えられた私の生。
だから、血塗れで息絶えた人の姿だって前にできる。
後悔や苦悩の想いが浮かび上がったりなんてしない。
ターゲットであった闇医者の最後。
肝臓と腎臓を撃ち抜かれ、悶え苦しんだ男性。
さっきまで、ひきつって痙攣していた手足。
それがマネキンの様に今は硬直している。
奇妙な昆虫みたいな死体。
私は、虫を殺すのと同じ様に人を殺した。
人の命と虫の命が同列であること。
それに私は何も疑問を抱かなかった。
そう教え込まれたせいなのか。
それとも私の心が感受性を喪って、麻痺しているのか。
私には判断ができない。
ただ、これだけは、と。
確かな物が胸の内にある。
私の心は殺しに順応しているんだって。
私の肉体は刷り込まれた知識に同調して、最適な動きを果たす。
全ては私という殺し屋の機能。
機械だって、その性能があるから重宝される。
当然という前提があるから、人に使ってもらえる。
息をするように。
心臓が脈打つように。
愛している人に「ありがとう」と口付けするように。
息をしなくなるように。
心臓が脈打たなくなるように。
愛した人に「さようなら」と別れを告げるように。
私が人を殺す感情は、それにとても似ていた。
もし、それが出来なくなれば、私はただの屑。
ガラクタの様に。
壊れた機械の様に。
捨てられるだけ。
唯一の存在意義を喪った私には、何も残らなくなる。
それが嫌だから。
それがどうしようもなく悲しくて。
耐えられそうにないほど辛く思えるから。
私は言われるがままに人を殺す。
良い子でいるからって。
愛されたくてすがり付く子供の様に。
私は私を生み出した人に愛されたくて人を殺している。
ふと、頬を拭う。
返り血に混じって涙の雫があった。
何故?
何故、泣いているの?
私はちゃんと出来たじゃない。
愛してくれるわ。
きっと頭を撫でてくれる。
髪にだって指を通してくれる筈よ。
そうよ、愛してくれるわ。
私は良い子だから。
良い子であり続けるために、人を殺せるんだから。
なのに指先が。
指先がハンドガンのグリップに張り付いたままだ。
固く凝り固まった指。
引き剥がすのにもう片手を使った。
その手も震えている。
どうして?
私は自分に問う。
その問い掛けに答えはない。
頭の中のグラフィティは応えない。
引き剥がされたハンドガン。
それがフローリングに音を立てて落ちる。
同時に崩れ落ちた私の膝。
項垂れると涙が溢れた。
それは震える手の甲を打って、弾けている。
流れる涙の意味。
それが理解できない。
どうして?
どうして?
どうして?
誰も答えてはくれない。
それを問いかけた私自身ですら。
私はきっと壊れていくんだろう。
無自覚に。
無意識に。
自分ですら気付かないまま。
私の心はゆっくり朽ちて。
朽ち果てたそれを、最後まで抱き締めながら。
人を沢山、沢山殺していく中で。
私は死ぬ。