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蒼穹世界と暁世界(2)


 何かの映画でみた気がする。

 着ている服を全てむしり取られ、鋼鉄の椅子に体を拘束され、冷水を浴びせられ、爪を剥がされ、鞭で殴打され、焼石を押し付けられ――。

 さぁ、知っていることを洗いざらい吐くんだ。貴様に人権などありはしないっ。長く苦しむより早く吐いて楽になった方がいいぞっ。もっとも、それではこの俺様が楽しめないがな! ぐわははは。

「どうしたの。随分と顔色悪いけど」

「し、仕方ないだろ。何されるか分かんないんだから」

「だからついてこないでって言ったのに」

「それとこれとは話が別だ」

「あなたって本当に呆れた人ね。でも、拷問の順番を待たされているようには見えないけど?」

 そう言ってユイが辺りを見回した。よく磨き上げられた汚れひとつないタイルの床、黒光りする高級皮のソファー。壁面には穏やかな海辺を描いた絵画、見事な双角を持つ鹿の剥製はくせい。あらゆる調度品が絶妙な等間隔で配置され、入室者に閉塞感を与えない工夫が見て取れる。非常に手入れの行き届いた応接室である。

「分かってるけど緊張するんだよ」

 健吾が、薄い橙の縞模様が入った大理石のテーブルの上から、老舗メーカーの和菓子の包みを手に取ろうと腕を伸ばしたそのときだ。二人の座るソファーの上座から斜め前に見える部屋の扉が不意に開かれた。ビクッとなって思わず手を引っ込める。

 部屋に入って来たのは、右手の携帯電話を耳に押し当てながら、左腕に膨大な資料を束ねたファイルを抱えるスーツ姿の中年女性。

「動画静止画を問わず全てCGによる合成で通しなさい。報道規制はそちらにお任せします。……分かっています」

 彼女は健吾とユイに軽く会釈すると、扉を閉めて再び携帯電話に話し掛ける。

「しかしだからこその情報操作でしょう? ええ、ええ――、目撃者の名前と住所を今日明日じゅうに割り出してこちらへ送ってください。くれぐれも漏れることのないようお願い。……長官には私から話を付けます」

 携帯電話を切って折りたたみ、胸ポケットへと仕舞う。

「申し訳ないわ。あなたたちを長い間待たせてしまったようね」

 そう詫びると二人に近寄って握手を求めてきた。ユイが立ち上がり、それに応じる。健吾もユイにならって慌てて立ち上がる。

「いいえ。こちらこそお忙しいところ時間を取らせてしまって」

 ユイの言葉を聞いた女性が、柔和な笑顔をつくった。

「あら。とても礼儀正しいお嬢さんね」

 白髪交じりのオールバックと、整った細もての顔立ちが、高潔で威圧的な雰囲気を彼女に纏わせていたが、こうして笑うとなかなか愛嬌のある人だ。二〇年ほど前はさぞかし美人だったに違いない。

 ひと通り握手を交わし終えると、女性はスーツの内ポケットから名刺を二枚取り出してユイと健吾に手渡した。

【防衛省特査管理局 対策部 監督官 北村千秋】

 ――なんじゃこりゃ。

 政府の構造構成に対して含蓄がんちくある知識を持っているわけではないので具体的にどこがおかしいのかは指摘できないが、あまりに聞き慣れない響きのする言葉に少なからず異質さを感じる。まさか、ドッキリやインチキではないだろうか。

「私はユイといいます」

「あ、相原健吾、です」

 健吾は面と向かって自分の名前を名乗るのが実に苦手である。そのせいかイントネーションが若干おかしくなってしまったが、北村は特に気にする様子もなく承知の意として小さな首肯を返してくれる。

「掛けてちょうだい二人とも」

 三人は向かい合う形でソファーに腰を下ろした。

「さて。何から話しましょうか。私も実際、あなたの存在に驚嘆を禁じ得ません」

 ――まあ、そりゃそうだよ。ロボットに乗ってきたんだもんな。俺も最初は驚きました。

 北村は、ゆっくりとため息を吐くかのように次の言葉を紡いだ。

「まさか。このタイミングで、NFAに乗って【蒼穹世界そうきゅうせかい】に渡ってくるなんて」 

 ――そうそう、NFAで蒼穹……、ん? 何だ、この違和感。

「向こうの世界は一体どうなっているの」

「NFAを知っているんですかっ!」

 荒ぶる剣幕でテーブルを叩いて立ち上がるユイ。その反動でソファーが揺れ、健吾はバランスを崩しそうになる。しかしそれで健吾にも違和感の正体が理解できた。

 この女性、北村千秋はNFAの存在を知っている……?

「こっちの世界にも、私の世界のことを知ってくれている、理解してくれている人がいるんですか!」

「なかなか難しい質問ね。情報を知っている、という意味では政府の中でも数十人。だけど『それを本当に信じていたか』というはかりにかけると、私を含めてもさらに一桁に絞られるでしょう。もっとも今回の件で、その認識は覆ることになる」

 ――あの。話についていけないんですけど?

「とにかく落ち着いて座って頂戴、ユイ」

 北村に促され、困惑の表情を浮かべたまま再び腰を落とすユイ。視線を外すことなく北村は語を継ぐ。

「それに。単独でこちらの世界に渡ってきたということは、あなたのNFAには【あれ】の試作型が積んであるとみて間違いないわ」

 たった今、理解の範疇はんちゅうを超えた存在として強く印象づけられたこの北村千秋という人物を、ユイは忽然と眺めながら問う。

「【あれ】とは何のこと? あなたはどうしてそんなことを……。あなたは一体何者なんですか」

 名刺に記された役職を問うているのではない。北村千秋が放つ得体の知れない何か、その片鱗へんりんをこの手で手繰り寄せ、実態を見極めたい。そんな思いがユイの表情から読み取れる。

「現段階で、あなたがそれを知る必要はないと判断します。どうやら今の私の使命は、無事にあなたを【暁世界】へ送り届けることのようだから」

「どうやって……」

 呟きにも等しいユイの問い掛けに北村は、

「実際にやってみなければ分かりませんが、我々にはたったひとつだけ、その手段を用意することが出来ます」

 と言い放つ。さらに。

「その為にはユイ、もちろんあなたと〈ジールヴェン〉の力を借りなければいけないわ」

 愛機の名前をささやかれて、ユイの瞳が再び揺れる。本来ならば未知の世界にやってきた彼女は、その不安定な状況から抜け出そうと、北村のこの言葉に光明を見出して然るべきだろう。しかしどこか腑に落ちない居心地の悪さを感じているのか、ユイは放心に近い状態で声をなくしていた。〈ジールヴェン〉。その機体が秘めるというオーバースペック。パイロットであるユイを差し置いて、北村は〈ジールヴェン〉の本当の能力を理解しているというのか。

 ――何だよ、この人。

 計らずも健吾のその心境だけは、ユイの反応と同じようなものであった。この状況は明らかに変だ。どうしてユイの方が、この女性ひとの言葉にいちいち動揺しているのか。こういうのは普通逆だろうに。

【蒼穹世界】と【暁世界】

 急にそんなこと言われても困る。というか、何の伏線もなしにこんなキャラ出してくんな。シナリオが破綻する――と、相変わらず「機械に強い超インドア派」的解釈で事象を計る健吾であった。

 この不穏な空気をどうにか払拭したい。今まではどうしていただろうか。ちょっと思い返してみよう。

 ――あれは確か、家に連れ帰った直後にユイの処遇に困り果てていたとき、

「うぃーす! 昨日借りた辞書返しに、」

 ――あれは確か、裏山に横たわる〈ジールヴェン〉の傍らでユイと大喧嘩して険悪なムードになったとき、

「あっ、二人ともやっぱりここにいた! 大変だよ大変っ。かなりの一大事」

 明美っ。そうだ明美だ!

 さあ、妹よ。今こそお前の力が必要だ。ここはまさにお前のタイミングだろう? いでよ我らがムードブレイカーっ!

 ……。

 無理か。考えてみれば当然である。彼女の携帯に「当分のあいだ帰れないと思うから親に適当に言い訳しといて」とメールを送ってしまったのだ。残念だが諦めるしかない。

 そのとき、北村の胸ポケットに仕舞われていた携帯電話が、プルルルという変哲のない着信音を室内に響かせた。

「失礼」

 ふた折りの携帯電話を再び取り出して展開させ、通話ボタンを押す。

「私です。……誰も通さないようにと伝えてあるはずですが? え。そう、そうなの」

 そこで北村は一瞬、横目で健吾の顔をちらりと窺ったような気がした。

「――分かりました。お連れして頂戴」

 ぱぁん、と両開きの扉がぞんざいに開け放たれる。

「やっと見つけた! ケンにユイ」

「明美っ!」

 突然応接室へ姿を現した明美は、息も絶え絶えにぜぇぜぇ言わせながら、ズンズンとユイの元へ歩み寄る。

「こ、これ、返しにきた」

 突き出した手に握られている、無骨で物々しい軍備端末。

「あ。無線機」

「それからひと言。わたし、小さい頃から、除け者にされたり、仲間外れにされるの――、」

 盛大に空気を口の中に吸い込みながら溜めに溜め、一気に解き放つ。

「だいっキライだからぁっ!」

 天井が抜けるんじゃないかと思った。

「彼女、あなたの妹さんよね? 例の現場であなた達の名前を叫びながら探し回っていたらしいのよ」

「あースッキリした。取りあえず水を――てケン、何で泣いてるの?」

 明美。

 お前って奴は、

 お前って奴はなんて、

「なんてよく出来た妹なんだ!」

「きゃあっ。くっつかないでよ、走り回ったせいで只でさえ暑いんだから」

「俺は信じていたぞ、お前のことをっ」

 ついさっき一度諦めてしまってたような気もするが、そこはこの熱い妹愛に免じて無かったことにして頂きたいと思う。

「もうっ、いい加減離れてよー。いくら実の兄とはいえ、その鼻水垂れてる顔をアップで迫られるのは精神的にキツいんだってばっ」

「照れちゃって。全く可愛い妹だなお前は」

 迷惑だと言わんばかりに腕の中で暴れまわる明美に構わず、抱擁ほうようと頬擦りを続行する。そんな健吾たち兄妹の姿を傍で見守っていたユイが、大きく溜め息をつき、それから小さく笑った――。

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