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走るメタファー(1)




「おはよう〈ジールヴェン〉。昨日は会いに来なくてごめんなさい」

 裏山で、大量の草木に覆い被されたジルハムを見上げて語りかけるユイ。と、彼女が何の前触れもなくこちらへ振り返った。

「いい加減出てきたら? 私たちに、何か言いたいことがあるんでしょう」

「っ!」

 彼女が今日、必ずここに来るだろうと考えて張り込んでいた。気づかれていたのか――声の感じからして、覗き見をされていたことに対して別段怒っている訳ではなさそうだ。くさむらの影からいそいそと這い出して、顔色を窺いながらユイの隣に並ぶ。

「あなたたちには色々と迷惑を掛けているわ。ごめんなさい。本当に」

 視線は機体に向けたままだが、今度は健吾に謝っているらしい。

「いいって、別に」

 張り込んでいたことがバレた気恥ずかしさから、ついぶっきらぼうになってしまう。こんな可愛い女の子を隣にして、自分はいったい何を言えばいいのだろうか。

「この半月足らずで色々分かったことがあるの」

 そうなんだ。

「この世界って本当にいい所ね」

 ……ちょっと待て。何だって? 今、何て言った?

「平和で、みんな心が優しくて、穏やかで。誰からも敵意を向けられることはないもの」

 まさか。そんなことは有り得ない。

 ――絶対根暗だよね。気持ち悪い。

 ――まずあの存在自体からして有り得ないから。

 他人に蔑まれるあの視線が、敵意ではないなんて。

「欲しいものはすぐ手に入るし、自由で、どこへだって行ける」

 違うだろ。人には、生まれたときから予め定められた限界がある。いくら欲したって手に入らないものや、いくら努力したって到達できない領域がある。

「本当に羨ましい」

 沸々と起きる、負の感情。大嫌いな全てから健吾を解放する為に、ここではない「特別」な何処かへ連れて行ってくれるはずのユイの口から、こんな世界に対する賞賛の言葉など聞きたくない。この地球上で、自分ひとりだけが知らない生物になったかのような疎外感が、健吾の胸に忍び寄る。

「あなたもこの世界が、この場所が好きでしょう?」 そこでユイはこちらを向いた。ジルハムへ向けていたほどのものではないにしろ、それでも充分に眩しい微笑みをたたえて。ゆえに決定的だった。

「そんなわけ、ないだろっ……!」

「え、」

「こんな世の中、好きな訳ないだろ」

 口に出したからにはもう止まらない。

「もっとよく周りを見てみろよ。どいつもこいつも自分のことしか考えてないバカばっかりだ!」

 空気に苦味が混ざる。

 喉の奥が急激に熱くなる。

「人には優しくしようなんて、口先ばっか」

 溜まりに溜まった世の中に対する不平、不信、不安が、醜い怪物に姿を変えて健吾の心を鷲掴む。

「だいたい環境汚染の地球代表な人類なんてこの星で最も生きてる価値のない生き物だろ」

 いきなりスケールがぶっ飛んだ。言いたいことをとにかく全部出してしまおうとする、人前で語ることが不得手な人間特有の未熟な心理が働いて、話があらぬ方向に広がっていく。勢いづいて聞き手を置いてけぼりにしたまま言葉が暴走する。

「むしろ人類は癌細胞だね、つまり惑星癌。今はステージ2Bくらいの。さらに進行して月や火星に遠隔転移する前に人間は全員死んだ方がいいでしょ」

 待て待て。こんな唐突に何を言ってんだ俺。キャラ違うだろ。イタすぎるだろ。聞くに耐えない稚拙な弁論だ。気づいた時には更に手遅れで、もう口が止まってくれない。

「人間同士で戦争起こして殺し合うのが一番おあつらえ向き――」

 言葉を遮るように、乾いた音が山林を駆けた。同時に左頬に熱が走る。平手打ち。殴られるまで気がつかなかった。

「何するんだよっ!」

「信じられない。何で殴られたのかも分からないの?」

「せっかく倒れてるとこ助けて、うちに二週間も泊めてやってるのに……!」

「最低ね。自分の非を省みる前に相手の弱点を探そうだなんて」

 ユイが両の拳を握り締めて震えている。

「私は、確かに〈ジールヴェン〉でたくさん人を殺してきたけど」

 目前で悲痛に歪む表情。大きな怒りと重い哀しみを訴える彼女の姿に、ついたじろいでしまう。

「それは、平和になって、そこで暮らす人達にそんなひどいことを思ってもらう為じゃない」

「な、何カッコつけたこと言って――」

「あっ、二人ともやっぱりここにいた! 大変だよ大変っ。かなりの一大事」

 尋常ならざる慌てようで健吾とユイの間に飛び込んで来たのは、明美だ。妹はすぐに二人の不穏な空気を感じ取って、

「あれ。もしかして告白の最中だったり?」

 しかし全く見当違いなことを言った。

「違うっ」「違うわっ」

 咄嗟とっさに発した言葉がユイのそれと重なって、「あっ」という顔で互いを見つめ合う。ユイ本人の気持ちはともかく、自分が抱いていた好意まで否定されたかのようなひと言に瞬間的な怒りを覚えるも、気まずさには勝てずすぐに視線を逸らした。

「声を揃えて怒鳴らなくても」

 お前が変なコトを言うからだろうに。明美は一体何をしに来たのか。

「それより何だよ、大変なことって」

「そうだった大変なのっ。街のど真ん中にデカいロボットが現れたって、今そこら中で大騒ぎになってる」

「!」

「数と特徴は?」

 二人の驚愕は一瞬、すかさず聞き返したのはユイである。

「実際に見た訳じゃないから詳しくは分かんないんだけど、聞いた話をまとめると多分一体だと思う」

「分かった。この子のシートを剥がすから手伝って」

「えっ! オ、オッケー。ほら、ケンもぼさって突っ立ってないで」

 避難という選択の真逆を表すユイの発言に、一瞬戸惑いを隠せなかった様子の明美だったが、「この子」と言ったユイの視線の先にあるものを了解し、すぐにその意志に従って健吾を促す。

「俺は――!」

「別にそれでもいいわ。けれど、」

 再び重なった自分とユイの視線。息が詰まりそうになった。生まれてからの一九年、これほど強い眼差しを向けられたことがあっただろうか。続く彼女の言葉は、健吾の胸を大きく騒がせた。

「いつまでもそんな考え方で生きていたら、いつか必ず後悔する日が来るわ」

 真正面からぶつけられたそれを、今はまだ自分の中に受け入れることが出来ずに、尻の穴がかゆくなってくるような思いを味わう。何かこの一〇分足らずの間にもの凄い恥をかいた。そんな思いを誤魔化そうと、反射的に言葉を投げ返す。

「わ、分かったよ。手伝えばいいんだろ手伝えばっ」


 コックピットの全てのモニターが輝きを取り戻す。プログラムを始動してOSを立ち上げる。システム起動。動力炉、反応開始。CIF同調。データ群の流れるヘッドアップディスプレイとサブモニターを視認しながら、右手でタッチパネルを、左手でコンソールを操作する。待機状態をチェック――、異常なし。モード移行、プライオリティ正常値へ。前方左右に展開した大型モニターが、機体頭部のメインカメラが捉える外部の光景を映し出す。

「あなたの力が必要なの。さあ立って〈ジールヴェン〉」

 四肢に電流が通い、低音で無機質な駆動音を響かせながら〈ジールヴェン〉が立ち上がる。

『すごいっ……! ホントに動くんだこれ』

 明美が興奮気味に呟くのが聞こえる。傍らの健吾が僅かに口を動すのが見えた。流し視線の捉えたそれに、無意識が読唇術を駆使する。彼の漏らした言葉は「夢じゃない、すげー」であった。

 彼に対して手を上げてしまった。もしあの信じ難い仮説が事実であるならば、自分と彼は住んでいる世界が違うのだ。価値観をたがえていて当然かもしれない。

 でもだからといって、自分の考えが間違っているとは絶対に思わない。ユイのいた世界の人々が、いくら欲しても手に入らない命と平和。それをあれほどまでに酷く軽んじおとしめる彼の言葉は、ユイにとって決して許せるものではなかった。さらに彼の感情の奥には、無知や甘えがあったように思える。また同じ世迷い言を言ってきたら、自分は何度でも反論するだろう。例えそれで彼から嫌われて家を追い出されたとしても。

 しかし今は、そのことを思索する前にやらなければならないことがある。広範囲レーダーの走査開始。反応あり。半径三キロメートル以内にNFA一機を確認。データ照合中――、

「近い。〈ジールヴェン〉には一応申し訳程度のECMが機能しているけれど、向こうの電子性能によってはすでにこちらも探知されている可能性がある」

 照合終了。機体の熱紋及び周波パルスから【DGI―024】、あるいはその系統に類する機種であると暫定。

「この機体コードは〈ミシア〉か」

 通信システムをオンに。機体の収納に保管していた無線機を先ほど明美に渡した。周波数は合っている。

「明美、聞こえる?」

『あ、聞こえるよユイ』

「これから街に出現したNFAの元へ向かうわ。戦闘になるかもしれないからあなた達は出来るだけ離れた場所へ避難して」

『私たちに他に出来ることない?』

「ありがとう。大丈夫よ。もし何かあったらその無線で連絡して」

『りょーかい』

 スラスターの制御ステータスをサブフライトシステムへシフト。〈ジールヴェン〉は全高一五メートルの巨体を垂直方向に浮遊させた。スラスターの巻き起こす旋風に髪の毛をあおられながら、機体を見上げている健吾と明美の姿が見える。

 時間差を置いて各部のサブスラスターを噴かせる卓越した姿勢制御で、目的の方角へと軸を向けながら上昇。直後メインスラスターを出力して前方に飛翔、機影を彼方へいざなう――。


 雄々しい発進。いや、出撃と言うべきか。明美は瞳をきらきらと輝かせてうっとりする。

「やばい、ユイ格好良すぎ。わたし惚れちゃいそう。百合やばい」

 全身が震える壮観だった。ジルハムはやはり本物だったのだ、とユイへの対抗心を忘れて感嘆してしまった。だけどまだ認めたくない、自分を完膚なきまでに否定した彼女のことを。胸の奥で、羨望と嫉妬がせめぎ合っている。何とちっぽけなプライドか。

「くそ。ほっぺたがじんじんする」

 頬の痛みが、募る敗北感に焦燥を乗せて加速させる。居てもたってもいられなくなって、

「ちっくしょう。このままで終われるかよ……!」

「ちょっ、どこ行くのケンそっちはダメだってばっ」

 健吾は〈ジールヴェン〉が飛んでいった方角に向かって全力疾走を開始した。ここ最近ろくに運動をしていない自分の体が、ユイに追いつくまでもつかどうかは全く頭になかった。

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