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おかえりなさい(4)

『確かにそれも一理あるが、しかしな、その予測を逆手にとった純粋なサボタージュだという可能性も、』

「だから私がひとりで行くんです!」

 揺るぎない意志を乗せて発した言葉。一瞬だけ、通信相手の口をつぐむ気配があった。

『……先の戦闘から、どうも胸騒ぎがして仕方ないんだ。やっぱり許可できない』

「〈ソルダーニャ〉の使用を許可して頂けないなら、せめてジープを一台貸して下さい。それだけで充分ですから」

 ジャラジャラと音を立て、黒い鎖がメファーナの胸を締め付ける。だが同時に、この痛みがあるからこそ、目前に曇りのない世界が広がっていた。自分のやりたいこと、やらなければいけないこと、今はその全てがはっきり見える。

 可能性がほとんど無くたって構わない。それがゼロでないのなら幾らだって、何だって賭けられる。沈んでしまった未来のひとつを、失してしまった大切なものを、取り戻せるかもしれない。

 自分の命なんか、これっぽっちも惜しくはなかった。

〈クインハルト〉NFAハンガー。

 搬入ゲート前の壁面に設置された通信端末。ブリッジと繋がったそれがホログラフィによる光学モニターを形成し、低い声を上げて熟考する時雨の姿を映し出している。彼と真っ直ぐに向き合ったメファーナは、端末のコンソールに置いた手のひらを強く握り込んで拳に変えた。

「どうかお願いです。私に発艦の許可を。今度は、今度こそは、何もしないままで諦めたくなんかないんです」

 消えかかった声に混じって滲む嗚咽。もう自分でも抑制が利かない。活動を再開したマグマのようにどうしようもなく突き上げてくる強い思いに、己の身を小さく震わせた。

「メファ嬢……」

 メファーナの心身を案ずるリプリーの声が右隣から掛けられる。周囲には、この場に集まった十数人の整備スタッフたちが、固唾を呑んでことの成り行きを静観していた。

『勘違いしないでくれ。〈ソルダーニャ〉の使用許可が出せないのは、NFA一機の損失を惜しんでいるからじゃない。メファーナ、俺達は君という一人の仲間を失いたくないんだよ』

〈クインハルト〉最高責任者として、艦内の非常事態とクルーの逸りを鎮める為の方便。彼の発言をそう捉えることも出来るだろう。しかしメファーナは知っている。この変わり者のキャプテンが、そんな上手い気の使い方が出来るほど器用な人間でないことを。

 リプリーも時雨も本当に優しい人だ。それでも、譲れない思いと動じない決意が今の自分にはある。メファーナが口を開きかけたそのとき、

『お取り込み中のようだけど、少しよろしいかしらキャプテン』

 モニターにマルチタスクで展開したもうひとつのウィンドウ。自室で軽く腕を組んだ智世の姿が視界に飛び込んできた。

「母さん?」

『たった今、会議の結論が出たわ。調査隊の派遣を許可するとの仰せよ』

 これこそ自分の望む展開だったが、余りに予想外な事態急変を受けてメファーナは一瞬呆気に取られてしまう。代わりに声をはり上げたのはモニター内の時雨である。

『嘘だろ!』

『事実ですわ。この決定については、エルムご夫妻の打診に拠るところが大きかったようね。飽くまで救助隊ではなく調査隊という辺りにいやらしさを感じるけれど』

『ったく何考えてんだ、あのヘンタイ夫婦……!』顔に手を当てそう吐き捨てる時雨と、「流石は父上に母上!」嬉しそうに飛び跳ねるリプリーである。

 智世はさらに語を継いだ。

『何しろお二人は“あの機体”の設計者ですから』

 それじゃ答えになってないだろ、と不貞腐れる時雨だが、間もなくハッと何事かを思い出したような表情になって身を乗り出す。

『何で俺より早くあんたに情報が行くんだ』

『あらお忘れ? 私は今でもまだ本部の研究員よ』

『あーそうだったな。最近籠りっきりで何も言ってこなかったから、ついそれを忘れてしまうところだったよ』

 時雨がちょっと拗ねた。 艦長の自分を差し置いて機密情報を入手してしまう学者に嫉妬しているらしい。一方の智世は、画面内でむくれる時雨を意に介することのない実に涼しい顔である。

『もちろん行ってくれるわねメファ』

 敬愛する母からお許しを頂けた。これほど心強いことかあるだろうか。鼓動が脈を打って高鳴る。

「はいっ。お任せを。ぜひ私に先頭を務めさせて下さい!」

『いい返事です。よろしい、あなたに与えられた任務をしっかりと完遂しなさい』

 ますますむくれていく時雨が、最後の抵抗とばかりに口を挟む。

『二人とも俺がキャプテンだって忘れてないよな。というか調査任務なら、機体の特性上〈ウィングラッサ〉の方が適任――』

『キャプテン、野暮なこと言うな』

 三つ目のウィンドウが開いてフランツが姿を現した。その背景には光点の灯る精緻な端末群と、背後にあるNFAハンガーの機械的で無機質な壁面を映したディスプレイが確認できる。通信が繋がっているのは〈ウィングラッサ〉のコックピットだ。

『もし罠なら、あれが囮に使われている可能性もある。俺は上空から周囲を警戒しつつ、メファのバックアップにあたる』

『だぁあっ、分かったよ、みんな好きにしろよもう!』

 一喝して時雨が通信を切る。今度はちょっとではなく完全に拗ねてしまった。きっと艦長席に体操座りをし、コンソールの外枠を人差し指でツツーと女々しくなぞっているに違いない。そして向こうのオペレーター席で、いい気味だざまあみろと愛子がほくそ笑んでいるであろう事実はもっと間違いない。

 時雨は、もうどうなっても知らないからな、とは決して続けなかった。〈クインハルト〉の作戦行動、その全責任を背負う立場の人間として当然だろう。しかしメファーナには、それがどうしても彼の優しさに思えてしまう。

 キャプテン。フランツ。母さん。みなさん、本当にありがとう。


 空と地平線を溶かして揺らぐ蜃気楼が、この世界の混沌を連想させた。幻影を強引に意識から切り離す。すると見えてきたものは、まさに無を象徴する荒野だった。

 逸る気持ちの裏側で、空虚という言葉が思考に歪みを走らせる。自分がこの先に願って止まぬもの、それがどれほど夢にも等しい光景なのか。心に影を落とす暗く淀んだ負の痛みを、ひと月に渡って味わってきた。その反動が拭いきれない不安となって重くのし掛かっているのかもしれない。

 それでもメファーナは、グリップを握る手を、コンソールに触れる指を、フットペダルへ掛ける足を、緩めたりはしない。送り出してくれたクルーたちの厚意を無駄にしたくない。そして何より、自分自身が諦めたくないから。

 NFAの反応を確認。

 心臓が早鐘を打つ。

 距離。一二〇〇、九〇〇、六〇〇――。

 光学映像、最大望遠で展開。

 思わず息を呑む。

 走査。倍角。拡大。視覚補正。

 バイザーディスプレイに投影された機体。巨躯な胸部と肩部、大腿部。スマートな腕部と腹部。紫と群青を彩る全身にあらゆる銃火器を兵装し、単騎で敵拠点を制圧するという熾烈な使命を与えられた機人。右腕部の一部が破損しているが、見紛うはずがない。メファーナにとって、それは力の象徴だったもの。

 捕捉した生体反応は、三つ。

「三人……?」

 バイザーディスプレイが展開した光景。それを視界に入れた瞬間、心臓を射抜くような鋭い衝撃が走った。全身が総毛立ち、血潮が逆流していまいそう。

『人質交渉、には見えないな』

 目標のNFAとその周囲を警戒領域に捉えた状態で上空を旋回する〈ウィングラッサ〉。通信機を介し、ゆっくりと諭すような口調でフランツは言った。

『お前はこのひと月よく耐えた。何かあったら、俺が必ず何とかしてやる。だから、あとはもうお前の好きなようにすればいい』

 メファーナの衝動を、これから起こそうとしている行為を、フランツは全て悟っている。

『お前の信じるものを、俺も信じるさ』

 心を囲んでいた檻が、風を受けた砂の城が如く崩れ去る。もはやメファーナの思考に歪みはなかった。コックピットの開閉装置に手を伸ばす。

 夢じゃない。

 これは、夢じゃないんだ。

 降り立った大地の、ザラッとした感触。

 構わずメファーナは歩き出す。

 ――下ろし立ての靴下も、

 身体が、軽い。どんどん歩調が早まる。

 ――愛用していたシャープペンも、

 嫌疑や後悔や罪悪。心に課していたあらゆる枷を振り払って、前へ前へと向かう自分の気持ちに引っ張られて脚を動かしていく。

 ――お気に入りのリップクリームも、

 ギリギリと音を立て、この胸を締め付けていた黒い鎖を引き千切りながら、メファーナは進む。

 ――三九ドルと二五三六円の入った財布も、

 失してしまったはずの大切なものへ、沈んでしまったはずの未来のひとつへ近づいていく。

 ――みんな戻ってこなかった。

 立ち止まる。

 ――なのに、それなのに。

 足元から視界の果てまで続いていく枯渇の大地が世界の遠近感を曖昧にする。メファーナの心とは打って変わって、ここは驚くほど静かだった。〈ウィングラッサ〉の推進器が上空で風を切る音だけが耳に届いて――。

 目の前に「あの子」がいた。

「……ユイちゃん」

 彼女は風になびく黒檀の長髪を片手で軽く抑えながら、美しい青銀をした大きな瞳でメファーナを見据えている。

「メファ。迎えに来てくれたんだね。ありがとう」

 まるで鈴音のように凛と響く澄んだ声。もう何年も聴いていなかったと錯覚してしまえるくらいに懐かしい声。

「あの、後ろの二人は?」

「私の命の恩人。私がこうして生きてここに帰って来られたのは、この二人のおかげなの」

 彼女の背後で、遠慮がちにこちらへ視線を向けていた二人。メファーナより少し年上なくらいの男の人と、メファーナより少し年下に見える女の子。二人はお互いに顔を見合わせてキョトンとする。

 その向こう。

 片腕の一部を失ってなお、悠然と強固な存在感を放つ力の象徴。

 NFA〈ジールヴェン〉

 彼女の愛機。

「本当に、本物の、ユイちゃん……?」

 彼女は微笑して、羽織っていたコートを僅かに開くと、メファーナの視線を自分の穿いているジーンズへ導くよう顎を引いた。それから顔を傾けて、上目遣いにもう一度微笑む。

 脚、あるでしょ? という意味だろう。

 ああそうだった。これがユイちゃんだ。いつも自信に満ちていて、頼り甲斐があって、優しくて、凛々しくて、でもやっぱり可愛いところもあって。

 視界が滲む。胸を締め付けていた黒い鎖は、もはや存在しない。決壊したダムのように感情が吹き出してきて、気がついたら彼女の胸に飛び込んでいた。

「うぁぁ、ユイちゃん、生き、生きて、生きててよかった、ほんとう、よかった!」

 抱き止められて、彼女の手が頭の上にそっとのせられる。

「ほら、泣かないで。メファは私より歳上なんだから、しっかりしないと」

 その手で優しく撫でてくれる。

「だって、だって、もう会えないんだって思って、私、」

 嗚咽が止まらなくなってしまって上手く喋れない。

「もう大丈夫だから、ね? ここに来るまでキャプテンといろいろ揉めたでしょう?」

「うん、うん、いろいろ、」

「ごめんね」

「でも平気です。やっと、ユイちゃんに会えたんだから」

 まるで迷子になった子供が、ようやく母親に辿りついたときのような、あるいは自分の存在を見つけ出してもらったときのような、そんな光景だった。但し本来ならば彼女が迷子の子供で、メファーナこそが母親のはずだ。これでは立場がまるっきり逆である。

 だがある意味ではこれは正しいのだろう。メファーナは彼女を失くしてしまったと思うことで、望んでいた道標のひとつを見失っていたのだから。

 やっと見つけた。

 ようやく会えた。

 これでまた、自分は戦うことが出来る。死なない為の戦いではなく、生きる為の戦いを、もう一度。彼女と共に。

「フランツにもお礼を言わないとね」

 そう言って彼女が見上げた空。涙で濡れそぼった瞳を擦って視線を追う。推進器の低い唸り声。太陽の逆光を浴びて明けない夜明けを飛翔する漆黒のNFAが、その速度を上げながら垂直に翻った。

「それから〈クインハルト〉のみんなにも」

 私たちの元に戻ってきてくれたんだ――。天の暁に掛かる彼女の声は、そんな思いを強くメファーナに抱かせる。

 戦場から戻ってきたとき、母が優しく迎えてくれたあの言葉を、今度は自分が言ってあげなくてはならない。

「ユイちゃん」

「ん」

「おかえりなさい」

 ただいま、と彼女はもう一度だけ微笑んだ。


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