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おかえりなさい(3)

 カツン、カツン。

 自分の立てる足音が、広い廊下に反響して次々と暗黒の中へ飲み込まれていく。

 カツン、カツン。

 あれ、そう言えばこの状況って。

 メファーナはふと、食堂で時雨から語り聞かされた胡散臭い怪談話を思い出す。少し肌寒くなって思わずテンションが下がった。話の中に登場する兵士と違って、自分は既に汗を洗い流したあとだが、ここまで場の雰囲気が似てると流石に気味が悪い。もたもたしていると、重たいものを引き摺るような例のあの音が本当に聞こえてきそうだ。

 若干歩調を速めて自室へ急ぐ。最後の角を曲がったところで、

 ドンッ。

 突然進行方向に現れた何かと正面からぶつかった。

「きゃあぁあぁあーー!」

 確かにかなり驚いたのは事実だが、これはメファーナの上げた悲鳴ではない。

「あんにゃあはぁらぁみぃたぁじー、なんまいだぶなんまいだぶ!」

 低い位置から震えた声が聞こえてくる。床にへたり込んだまま何やらおかしなお経を唱え始めたのは、どうやら爪が剥がれた血まみれの指と眼球の抉られた暗く虚ろな双眸をもった戦死者の怨霊などではなくて。

「お願いだから呪い殺さないでぇぇえ」

「愛子、さん?」

 尋常ならざる恐怖に打ち震え、手を合わせてただただ拝み続ける菊岡愛子がいた。

「ふぇ? メファ……?」

 恐る恐るといったていでこちらを見上げてくる愛子の顔はそれはそれは悲愴で、溢れんばかりの涙を溜めた瞳は思わず同情を誘わずにはいられないほど痛々しいものだった。

 ――

 ――――

 ――――――……

「全部あいつのせいよ、あんの割り箸バカが食堂でヘンなこと言うからっ!」

「まぁまぁ。今は怒ることより、一刻も早くブリッジに辿り着く方が先決ですよ」

「そ、そうよね。ありがとメファ」

 愛子は、ブリッジのオペレーター席にうっかり自分のブレスレットを忘れてきたのだそうだ。その事に気がついたのはちょうど就寝前。血相を変えて部屋を飛び出したものの、廊下は見ての通り得体の知れない別世界。

 一歩一歩進むにつれ、メファーナと同じく雰囲気から時雨の怪談話を連想した愛子は、思わず全身を竦み上がらせる。刹那、すぐそこにある曲がり角の向こうから何者かの足音が近付いてくるではないか。恐怖のあまり逃げ出すどころか両脚が震えて動かなくなったという。

 ここだけの話と執拗に念を押しながら、メファーナと正面から衝突したときに失禁してしまいそうになったことを愛子は顔を赤らめながら白状した。

 恥をかいてまでわざわざ打ち明けてくれなくてもいいのに。そう思ったが、しかしそれは

「凄く恐ろしい瞬間を体験したけど遭遇したのは知り合いだった」という不幸中の幸いから彼女が見い出したある光明を実行に移す為の、足掛かりとなる話術であったことをすぐに思い知らされる。

「これ以上ひとりでいたら、わたし心臓マヒで死んじゃうよ。メファーナお願いっ。ブリッジまで一緒に来て!」

 オペレーターという職業柄か、愛子は会話の組み立て方がとても上手い。この流れから懇願するように泣きつかれては、やっぱりメファーナには断れなかった。

 果たして、メファーナの背中にぴったりとくっついて絶対にそれより前には出ないよう歩きながら時雨の陰口を叩きまくる愛子を何度も宥めつつ、ブリッジを目指して再び暗い廊下を歩いているこの奇妙な状況が出来上がったのである。

「何かまたムカついてきた。割り箸燃やしてやろうかしら」

「まぁまぁ。ここは穏便に行きましょう」

 それにしても。愛子はあんなに怖い思いをしたにも関わらず、もう夜も遅いので今日のところは諦めることにする、という選択肢はなかったのだろうか。

「そのブレスレットはよほど大切なものなんですね。もしかして、誰かからプレゼントされたものですか?」

 ちょっとしたロマンスを期待してそう問い掛けたメファーナに、

「うんそうなの。元カレにもらったやつ。まだお金に替える前だっていうのに……夜のうちに盗み出されでもしたら大変だわ!」

 実に逞しい台詞が返ってきた。

「この時間にブリッジへ入れる人は限られていますし、中には監視カメラがありますよ」

「もの凄いハッキング能力の持ち主かもしれないわ。それに犯人が覆面してたらどうするのっ」

「考えすぎですよ」

「ダメよそんな甘い考えじゃ。今の時代を生き抜くには、金目の物に少々がめついくらいが丁度いいんだって」

「はあ」

「それにね。次の係留地にある商業都市のマップをデータベースで検索して、もう目ぼしい質屋をピックアップしてあるの。出来るだけ高値で売りたいから何軒か回る予定だけど、メファも付き合う? 何か美味しいもの奢ってあげるよ、う、うん」

 実のところ、怖い思いを誤魔化す為に今まで声を出していたのか、愛子のお喋りが段々上擦ってくる。こちらは段々ワンパターンになっていく相槌を返しながら、彼女から預かったIDカードで幾つかの隔壁を開いて進み、ようやくブリッジの大きな扉の前に辿り着く。

「それじゃあ開けますね」

「お、お願い」

 愛子がメファーナの背中から前に出ようとしない為、例のごとく自分が右手のカードをリーダーに通してIDをセキュリティに認証させた。ブリッジの扉が中央から割れて左右へスライドしていく光景が、矮小な人間二人を飲み込まんとする魔王の口にでも見えたのか、愛子は肩を強張らせながらメファーナの背中に隠れる。

「何も居ませんよ」

「ホントに?」

 時雨の陰口を叩いたり金目の話をしていたときとは打って変わり、しおらしい口調で問い返してくる彼女の仕草に内心微笑する。

「はい。中に入りましょう」

 あらゆるシステムが省電・待機モードに移行したブリッジの内部は想像通り冷暗としていたが、電子機器の僅かなLEDがあちらこちらで三々五々に輝きを放っている為、フロアの形状やシートの配置が把握できる程度には明るい。

「ライトをつけましょうか?」

「だ、大丈夫。メファが傍にいてくれるから。それに照明つけると記録が残っちゃうでしょ。あとで割り箸バカにからかわれるのは癪だし」

 強情だなぁ。怖いなら無理しなくていいのに、と思いながらも、自分が誰かの役に立っていることが凄く嬉しかった。表情を緩ませたまま愛子に腕を掴まれて、彼女のオペレーター席へと引っ張られていくメファーナである。

 電子キーボードを展開させる出力ユニット。その下部に存在する収納を、メファーナの返したIDカードを使って愛子が開封する。中に、暗がりで微かに煌めくシルバーの輪っかがぽつんと置かれていた。装飾の少ない細くシンプルな構造のブレスレット。

「あったあった」

 あまりにも出来すぎたタイミングだった。

 それは、愛子がブレスレットを手に取ろうとしたまさにその瞬間に起こる。

 アラートにも似た、けたたましい電子音。

「ひぃゃぁぁっ!」

 突如として鳴り始めたそれを真っ正面から浴びせ掛けられて死ぬほど驚いた愛子は、甲高い悲鳴を上げながら盛大に腰を抜かして尻餅をついた。

 愛子からしてみれば全く冗談ではない。人間、自分の願いが成就する直前には必ず心のどこかに小さな隙が生まれる。増してや彼女の最も苦手としているこの雰囲気と、ホラー映画のようなそのタイミング。もはや誰が彼女の狼狽と醜態を責められようか。

「た、助けて神さまっ。アーメンソーメンチャーシューメン!」

「愛子さんどうか落ち着いて、それは私たちが食べた晩ごはんのメニューです!」

 鳴り響く電子音は、間違いなく愛子が使用するオペレーター席の端末から発せられている。

「それにこの音、霊的なものだと捉える必要はないと思います」

 何度か深呼吸をして自分を落ち着かせたあと、のろのろと立ち上がった愛子は、恐る恐る端末を覗き込む。はりつめた緊張がこちらにも伝わってきて、メファーナは口を閉じてそれを見守った。数秒の沈黙……。

「これは――救難、信号?」

 電子音に愛子の大きな溜め息が重なる。彼女は先程の醜態を取り繕うようにコホンと一つ咳払いをし、シートに座ってディスプレイと電子キーボードを起動。その上に指を走らせ始めた。

「メファ、ライトつけて」

「あ、はい」

 ブリッジを照らすライトの操作系は、出入口付近のタッチパネルか艦長シートのコンソールに設置されている。メファーナは取り敢えずここから近い艦長シートを選び、コンソールの傍らまで行ってスイッチを押した。ブリッジ全体にゆっくりと光が注ぎ込まれ、視界が急激に色を蘇らせていく。

「やっぱりそうみたい。でも一〇年位前から何もないこんな荒野のど真ん中で?」

 長いあいだ暗闇にいたので少しばかり目が眩んだが、愛子の下へ戻るころにはもう慣れていた。

「まあ何処かの戦場から逃げ延びて来たと考えるのが妥当でしょうけど」

 そう呟いた愛子と視線がぶつかり、さらに数秒の沈黙を経て思わず互いに吹き出す。最初からライトをつけていれば、愛子をここまで驚かせたりはしなかっただろう。彼女に頼られて気を良くし、そこのところを失念していた自分の責任だ。メファーナは申し訳ない気持ちになった。

「こんなにビックリさせてっ、全くどこの落武者よ!」

 愛子は複雑な怒り笑いを浮かべながら、信号からさらなる情報を引き出すべく今一度電子キーボードを叩き始める。メファーナもまた、彼女の隣でそれを見守る姿勢をとった。

 電子音の正体が判明したと言えど、まだ油断は出来ない。救難信号を送った兵士が致命傷を負っていたり、一刻を争うほど重大な敵軍の情報を抱えている可能性がある。

「NFAの所属は――、え、え?」

 人間が、心の底から信じられない光景と遭遇した場合、実は絶叫したり泣き喚いたりすることはまずあり得ない。何故なら真に想像を超える恐怖や驚愕に全てを支配された時、人間は体が止まってしまうからだ。ふと愛子の表情を見た瞬間、メファーナは然とそれを実感した。

 魔法で時間を止められたかのようにディスプレイを見つめたまま動かなくなった愛子の、しかしその横顔が、みるみる冷たい蒼白に凍り付いていく。顔中の筋肉がほとんど使いものにならなくなったせいかろくに開かない唇の隙間から、辛うじて聞き取れる震えた声が、

「うそ。本物の、幽霊……」

「愛子さん」

「だって、この機体コードは――――」

 メファーナの視線がディスプレイの一点へ収束する。

 愛子はまだ動けない。

 その中で、

 一ヶ月前に止まってしまっていたメファーナの世界だけが、時間を掌握する魔法をうち払って静かに動き始めた。


「どうか私にっ、私に行かせて下さいキャプテン!」

『落ち着けメファ、冷静になれ。ひと月前をよく思い出すんだ。あの戦況で、彼女が生還出来たとは到底考えられない。本当は君にも分かってるんだろ?』

 分かってる。

メファーナにも分かっているのだ。一ヶ月前の戦闘をシミュレーションで幾度となく試行した。配置を変え、パターンを変え、藁にもすがる思いで、何度も、何度も。だがコンピューターが弾き出す生還確率は限り無く零に近いものだった。認めたくなくて、心のどこかで否定し続けて、今日まで生きてきた。

 もうたくさんだ。

「一パーセントでも可能性があるなら、諦めたくないんです!」

『敵の罠かもしれないんだぞ』

「それでも確かめる価値はあります。もう見殺しにするのは嫌なんです。お願いです、私に行かせて下さい!」

 口を開けば考えることなく声が勝手に言葉を紡ぎ出す。今まで閉じ込めていた感情が、胸の奥から一気に溢れ出してきそうだ。

『兎に角早まるな。現在も慎重に議論が進められているから、正式な回答が出るまでは耐えるんだ』

 心を囲う檻が軋んで音を上げた。外界から射し込んできた強烈な光が、メファーナの感情を熱くたぎらせている。

「時間は待ってくれないんです。一晩議論して何も答えが出なかったのに、これ以上待つなんて出来ません!」

『もし罠だったら、通信回線を開いた瞬間に強力なコンピュータウィルスを送り込んでくることが予想される』

「スタンドアローンの状態で接近します」

『次はNFA本体に大量の爆薬が仕掛けられているケースだ。類似する過去の記録や戦術・戦略データから推察すれば、想定し得る最大の破壊力は都市をまるごとひとつ消し飛ばせる規模だ』

「私が罠を仕掛ける側の人間なら、貴重な爆薬を、〈クインハルト〉一隻しか標的に出来ないような場所と状況で起爆するなんて効率の悪い真似はしません」


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