最前線(3)
続けざま右グリップを押し込んだ。〈リンドエア〉の肩口に突き立てた〈デュランダル〉を力業で斬り下ろしながら〈ミシア〉砲撃戦タイプの頭上へ落下、敵機同士を衝突させる。急激な落下加速の太刀と衝突のダメージを受けた〈リンドエア〉の機体は、フレームを完膚なきに破壊されてバラバラに砕け散った。〈デュランダル〉の太刀筋は勢いを保ったままとどまることなく〈ミシア〉砲撃戦タイプの胸部に達し、無慈悲な長刀がコックピットを裂いていく。
敵機を斬り伏せると同時に〈ソルダーニャ〉は着地を終える。ショックアブソーバー稼働。落下と着地の衝撃を緩和するコックピット外郭壁のセミフローティング構造が、静かにメファーナの全身を揺らす。
――〈ミシア〉のパイロットは、最期の瞬間まで〈リンドエア〉ごと〈ソルダーニャ〉を撃ち抜こうとしなかった。砲身の冷却が間に合わなかったのか。照準が定まらなかったのか。或いは仲間を撃つという行為に迷いが生じたのか。その迷いは、人間として決して間違ったものではない。しかし兵士としては致命的なミスだった。出撃前に彼らは酒を酌み交わし、この戦場から共に生きて帰ろうと語り合ったのだろうか。
妄想だ、メファーナは思考を振り払って両のグリップを握り直す。余計なことは考えるな。ここは戦場なんだ。敵に情など感じていたら次に命を落とすのは自分の方。
叫び続けるアラート。
上空より〈リンドエア〉がマイクロミサイルを撃ち込んでくる。建造物の影に隠れるよう愛機を移動させながらレーダーを確認。敵部隊の更なる増援に、簡易マップが敵ポインターのマーカーで染まっていく。
ミサイルが建造物の横腹へ次々と直撃し爆炎と衝撃波を生む。コンクリートの壁面をビームガンで撃ち破り、駐車場と思しき廃ビルの内部に侵入。置き棄てられた無数の廃車を粉々に吹き飛ばしながら直進で通り抜け、今度は左肩部のミサイルで壁面を破壊して反対側の街道へ出る。
刹那、巨大な砲声と震動がメファーナの五感に叩きつけられた。障害物として利用するつもりだった構造物の一棟が、砲弾に根元を破砕されて倒壊を始める。迫る大質量をサイドブーストで凌ぎ、衝撃に備えた。コンクリートの軋み崩れる轟音が戦場を駆け抜け、穢れた灰燼と土煙が宙を踊り狂う。
この口径と破壊力。NFAの携行兵器ではない。広範囲レーダーが巨大な熱源を探知する。敵艦による艦砲射撃――。
叫び続けるアラート。
大地が抉られ、廃ビルが薙ぎ倒される。巨大な主砲の洗礼によって、旧市街は消えない火焔に飲み込まれていった。機人たちの宴は終わらない。応射、跳躍、接地。燃え盛る戦場の炎をスラスター光圧で震わせながら〈ソルダーニャ〉は戦闘機動をとり続ける。
前方より〈ミシア〉重武装タイプがロケットランチャーを、上空より〈リンドエア〉が対地ミサイルを、後方より〈ミシア〉高機動タイプがサブマシンガンを、遠方より敵戦艦が滑空砲を、さらに接近する敵NFAのロックオン警告。〈ソルダーニャ〉の戦術AIが予測弾道を表示する。周囲の空間が、敵機の弾道で赤く埋め尽くされた。
「回避軌道が、ない……!」
だがメファーナの次なる判断は淀みない。ハンドカノンとサブスラスターの出力をカット、プライオリティをディフェンスシステムへ。〈ソルダーニャ〉は両膝とバックパックを覆う装甲をせり上げ放熱帯を露呈、エネルギーフィールド発生機構の稼動を以て主の命に応えた。空気中に散布される琥珀色の微粒子が、互いに干渉しながら濃度を増して機体周囲に安定還流。NFAが搭載する従来型のエネルギーフィールドは、機体前面一八〇度に半球状の防御力場を発生させるタイプが主流だ。対して〈ソルダーニャ〉のそれは、より高い出力と粒子圧縮率を発揮し、機体の全天周囲に完全球状の防御力場を形成することが可能である。
ロケットランチャーとマイクロミサイルが、琥珀色の光壁に弾頭を圧し潰され指向性を奪われたまま消し飛ぶ。サブマシンガンの銃弾は、粒子との干渉波を描きながら分解されていく。大口径の滑空砲弾が、僅か後方の地面に着弾。巻き起こる激しい衝撃波とコンクリートを抱いた爆風は、しかしフィールドに阻まれ〈ソルダーニャ〉の装甲に届くことはない。
フィールドジェネレーターオフ。切り開いた回避軌道に乗ってこの場を離脱、火線が周囲を追い抜いていく。熱波の奔流を機体に浴びながらメインバーニアを出力。戦術AIが算出する次なる予測弾道は、敵艦の砲撃が著しく精度を低下させている事実をメファーナに訴えた。
遥か後方から、〈クインハルト〉が援護射撃によって敵艦を牽制してくれている。
「みなさんありがとう」
戦闘開始から一五〇分が経過していた。満身創痍の友軍に後退を呼び掛けながら進み続けた為、戦域に〈ベオル〉の反応はない。ここで決着をつける。FCSのリミッター解除、エネルギーを右腕部へ集中供給し〈デュランダル〉を最大解放。
前方へ掲げた長刀が、ユニット全体を“展開”させる。パーツ群が外側へスライドすることで姿を現した〈デュランダル〉の内部機構は、粒子加速帯と思しき複雑な連動出力装置だ。
出力全開。粒子を迸らせながらユニット内部から雄々しく放射されたビームスレイヤーの束は、力場を固定すると瞬時にして〈デュランダル〉の刀身を光の槍剣へと変貌させた。巨大な剣が、ようやく堅い鞘から抜き放たれた瞬間である。
敵戦艦位置を再確認し、彼我の距離を計算。最適な侵攻ルートを割り出してフットペダルを踏み込む。メインバーニアの咆哮。〈デュランダル〉を猛らせ、接近する敵NFA部隊を迎え討つ。
死の宴は最終幕の開演を告げた。
〈ソルダーニャ〉の手繰る剣閃が、戦場に軌跡を描いて躍る。横薙ぎの袈裟を受けた〈ミシア〉は頭部と脚部のみを残して滅却し、振り下ろす一太刀を受けた〈リンドエア〉は機体そのものがこの世から消滅する。廃ビルの一部に身を隠しながら戦術ミサイルを垂直発射していた敵機を、建造物もろとも両断。全てを無へ帰す豪なる剣舞――ターンブーストの遠心力を乗せた太刀で、続く二機の敵を同時に消し飛ばす。巨大な光刃はもはや破壊力が、戦術レベルが、斬撃兵器の限界を超えていた。
握り絞めるグリップが恐ろしいほど熱い。自らが斬り伏せた機人の断末魔が、メファーナの精神を浸食していく。この世界で生き残る為には、戦うしかない。
――死なないで。メファ。
ふと「あの子」の声が胸に響いた。思い出すまいとしていたのに。酷く懐かしい声。彼女がいなくなってしまう直前に発した最後の言葉。幻聴だと分かっていても、心が引っ張られるようにそこへ沈む。私こそ、私こそが、「あの子」にその言葉を掛けてあげるべきだった。
戦場で生き残っても、失したものが戻ってくることはない。体が、重い。この苦しみから解放されたい。ここで死ぬのは簡単なことなのだろう。何もしなければいいのだから。しかし骨の髄まで染み込んだ戦闘技能が、メファーナに戦意の喪失と安易な死を許さない。
ジャラジャラと音を立て、黒い鎖がメファーナの胸を締め付ける。
「聞こえますか〈クインハルト〉。これよりポイント2065の敵戦艦を撃滅します」
低空から射撃体制へ入った〈リンドエア〉を薙ぎ払う。翼を生やした機械仕掛けの鳥人が、その姿を滅されていく。
――下ろしたばかりの靴下が、
鳶色の粒子を前面へ還流させ防御力場を展開した〈ミシア〉シールドタイプを、フィールドごと突き破る。敵パイロットの命とその機体は瞬時に蒸発、凄まじい余波で地面が黒く焦げ付いた。
――愛用していたシャープペンが、
鋭い低音を響かせて飛来した敵艦の大口径滑空弾を受け止める。爆発のエネルギーは〈デュランダル〉の光の巨槍へと還元され、僅かな痺れと震動のみが伝わった。そして〈ソルダーニャ〉の進攻を遮ることはない。
――お気に入りのリップクリームが、
灰燼を吐き出しながら倒壊してくる建造物を斬り裂く。中央を消滅させられ波状に吹き飛んだ建造物の巨大な断片が、数機の敵機を巻き込みながら爆発炎上して転がっていくさまは、生きてはいないはずの死都が、まるで我が身を削られる激しい痛みに阿鼻叫喚しているかのようだ。
――三九ドルと二五三六円の入った財布が、
超高速で接近する〈ソルダーニャ〉に対して、勇敢にも正面から砲身を向け射撃体勢に入った〈ミシア〉砲撃戦タイプを〈デュランダル〉の斬光で喰らい尽くす。
――大切な戦友だった「あの子」が、
機銃曳航、滑空弾道、光学射線、空間上に広がるあらゆる弾幕を斬り拓いて進撃。死の焔と闇に侵された景観と、敵機の断末魔が次々と後方へ飛び去っていき、やがて目前に巨大な影が姿を現した。
――帰ってくるはずはない。
最終撃破目標、敵戦艦〈ダートフォース〉。ホバー機動を主推進とし、起伏に富んだシンメトリーの構造が特徴的な艦影。その直上に跳躍した〈ソルダーニャ〉は、槍剣の矛先を艦橋部へ向ける。〈デュランダル〉を射撃形態へ移行。展開していたパーツの一部が閉じられ、光刃を一時的にカット、ユニット前部が伸張する。再展開。光の槍剣は、長銃身の中距離対艦砲と化す。
――だから「あの子」のいない今、自分が艦の皆を、母を守る。
右グリップを押し込み、トリガーを引き絞る。連動型の粒子加速帯が唸りを上げた。収束率変換。ビームスレイヤーを成す力場が剣の形状から解放される。加速帯より指向性を与えられたエネルギーの塊は、物質を灼き尽くす熱線となって空間を駆け降りた。〈デュランダル〉の放った巨大な光条が、敵艦の艦橋を貫通。莫大な熱流はその艦内を攪拌、蹂躙し、刹那に機関部へと達して本体を爆炎の渦で飲み込んだ。
轟音と爆光が奔り交う中空に、放物線を描いて〈ソルダーニャ〉は着地する。僅かな残光を漏らす〈デュランダル〉のユニットが、完全に閉じられた。それと入れ代わるように機体の右肩部が展開し、右腕部に蓄積した余剰エネルギーを一気に吐き出す。〈ソルダーニャ〉右肩部は〈デュランダル〉の冷却機構である。
激しい勢いで放出される大量の赤い鱗粉。その飛べない隻翼は、剣が吸い取った血と魂で成したものなのかもしれない。
「これで周辺の敵部隊は――」
アラート。熱源探知、急接近する残存敵NFAを二機補足。地上八時方向から〈ミシア〉、中空三時方向より〈リンドエア〉。
「しまった! まだ残って、」
何て愚鈍なミスを。メファーナは警戒と索敵を怠った自らの留意不足を叱咤、嫌悪する。恐らく敵機は、母艦の爆発に紛れて機体の熱反応を消しながら反撃の機会を得たのだ。迫る〈ミシア〉は両腕にエネルギーブレードを起動させた近接戦闘タイプ。
ハンドカノンはパワーダウンと弾切れで、既にビームガンとソリッドバルカンの双方を撃つことが出来ない。肩部ミサイルも同様。右腕の〈デュランダル〉は先程冷却に入ったばかりだ。左側面左後方から急所へ飛び込まれるこの間合いでは、長大な刀身を振りかざすことも不可能だ。
決死を囁くモーメント。
「これで、」
咄嗟の反応で左マニピュレーターのハンドカノンを〈ミシア〉へ向けて投げつけ、右腰部に収納されている補助武装のレーザーダガーを抜き放つ。ハンドカノンを左ブレードで切り裂いて、こちらに右ブレードによる切り払いを浴びせようとする〈ミシア〉の攻撃を、体勢を低める俊敏な動作で回避――限りなく人間に近い動きが可能な人工筋のなせる技だ――し、発振させたレーザーダガーの粒子刃で敵のコックピットを貫いた。
〈ミシア〉近接戦闘タイプを撃破。だが〈リンドエア〉が頭上からマイクロミサイルをロックオンする――もはや次の手は間に合わない。スラスター出力もフィールド出力も既になく、ここからあの距離へ届く攻撃手段は皆無。メファーナは死を覚悟した。
これで「あの子」の許へ逝けるだろうか。
母は、自分の死を悲しんでくれるだろうか。