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もうひとつの朝(2)

 彼と自分との間に他人以上の絆があるとするならば、それはやはり友情だ。戦友という名の友情。

 戦友。

 ひと月前に失してしまった友人もまた、戦友だった。

 ジャラジャラと音を立て、黒い鎖がメファーナの胸を締め付ける。思考が濁り視界の焦点を揺らす。体が、重い。

 ――苦しい。

 ――振り払いたい。

 とにかく何かに焦点を合わせたくて手元の紙コップを覗く。沈んでいく心に反して炭酸が泡を吹いて昇ってくる。大好きな食後のメロンソーダが、敵に回ってしまったかのような錯覚に陥って顔を歪めた。

「忘れろよ。あいつのことはさ」

 頭に降ってきたフランツの言葉にハッとなって顔を上げる。憤りを感じて今度こそ反論を返そうと口を開き、

「忘れるなんてそんな言い方っ――」

「あいつの意志だったんだろ」

 すぐに遮られた。

「どんなに引きずったって、どうせ戻ってこないんだ」

 彼の言っていることは正しいのだろう。頭では理解できても、心が事実の承諾を拒絶している。

「いい加減、楽になれメファ」

 ライトグリーンの瞳が僅かに揺れていた。それが無愛想なフランツの、滅多に見せることのない含みなき「優しさ」や「気遣い」の具現であると、果たしてこの艦にいる何人の人間が気づけるだろうか。彼が厳しい現実を突き付けて自分を苦しめている訳ではないことくらい分かっている。反論を出し切れず、け口を失った悲哀の熱が喉元に渦巻く。

 これ以上心配をかけてはいけない。悲哀の熱を、残ったメロンーダと一緒に飲み下した。


 リプリーは艦に所属するチーフメカニックだ。彼の存在をひとことで表すなら、ずばり「人間ではない」である。

 この「人間ではない」とは、決して中傷を含んだ揶揄ではない。正にそれは彼の人間離れした高い整備技能を暗喩するもの……なのだが、それも飽くまで一重。

 何しろリプリーは本当の意味で、正真正銘、「人間ではない」のである。

 ペタペタというスリッパの音が近づいてくる。艦内の整備ハンガーに繋がる巨大なエレベーターの扉の前で、メファーナは音のする方へ振り向く。

「メファ嬢。おはようござんす」

 愛用のスリッパを鳴らしながら隣に並んだリプリーが、頭部の複眼を明滅させるとコンピューター声帯らしからぬ流暢りゅうちょうな合成音声でそう発した。

「おはようございます。リプリーチーフ」

 アンドロイド――というにはそのシルエットはコミカル過ぎた。アンテナの延びた丸い頭が乗っかった立方体形の胴体、そこから長い手と短い足が生えている。腰部はないがもちろんそのことに突っ込みを入れてはいけない。

「昨晩はよく眠れましたか?」

「うむ。こう見えて小生、寝つきはいい方なのだ」

 こう見えて? メファーナは傍らに立つ自分よりも背の低いリプリーを俯瞰ふかんする。

 如何にも「ぼくロボです」な体型と風貌から相応の無機質さを感じないのは、彼自慢のファッションが外見印象に大きな影響を与えているからだろうか。

 入力端子や外部端末が剥き出しになった胴体を覆っているのは、エキゾチックなウェーブ模様のアロハシャツ。胸ポケットにはご丁寧にサングラスが引っかけられている。

 表面に微細なセンサーが張り巡らされた長い腕、こちら側から見える右の手首にはピンクの糸で「WORLD WIDE LOVE」と刺繍された白いリストバンドが。

 ペンギンかよ、な短い両脚の行き着く先にはスリッパ。そうスリッパだ。足の甲に張り付いた、漫画みたいなウサギの讃える笑顔が何ともニクらしい。

 全く困った話だが、リプリーはロボットのくせしてロボット扱いされることに心穏やかではない。何も完璧な人間扱いをしろなどと贅沢は言っていない。せめて一個の人格として、一個の生命として、自分をみてほしい。そう願ってやまないのだと彼は訴える。

 艦に着任して間もない頃、そんなこととはつゆ知らないメファーナは、これから世話になる彼に囁かな贈り物をとガソリン燃料を渡そうとして「こんなこってりしたもん飲めるかっ!」とスリッパで頭をはたかれた。乾いた痛撃をさすりながら、あれは彼への侮辱だったのか、稚拙な先入観に駆られ自分は何と愚かしい真似をしてしまったんだろうと強い罪の意識に苛まれる。

 しかしその日の夜。照明が落とされた人気のない整備デッキの片隅で、何かをすするような音を立てる小さな背中を発見。心配になって声をかけたところ、尋常ならざる挙動で振り返ったアロハシャツが「いやっ、コレはあの、小生は決して、つまりはそのっ、」とココナッツオイルの入った中瓶を抱えて裏声を上げる姿を見たときの衝撃は、今でも忘れられない。

 回想に浸っていると、リプリーのアンテナが突然に伸び上がり、その半分から先がぐるんと回ってパラボラと化す。そしてピコピコ点滅する両目。たぶん整備デッキのメカニックたち――彼の手前あまり大きな声では言えないが、向こうは人間である――と通信しているのだと思う。

 こんな短距離でパラボラアンテナって……と突っ込みを入れたくて心の底がムズムズしてきたメファーナに再びリプリー、

「とこんでメファ嬢はマシンの具合を見に来たのかいね?」

「えと、はい。そのつもりでしたが、ひょっとして今はお邪魔でしょうか?」

「うむむのむ。邪魔という訳ではないなコレが。しかしながらいま小生の忠実な部下達と交信を行ったところ、先程ちょうどインターフェース周りの最終チェックに入ったと報告を受けたのですたいコレが。

 いや決して、お嬢が邪魔だなんてことは、ないないのないでござーすが……」

 リプリー節は語調がトリッキー過ぎて時々ついていけなくなるものの、彼の言わんとしていることは何となく汲み取れた。

 現在のところ仕上げの整備工程が進行中で、自分が近くに寄ると差し支えがあるということだろう。システムの微調整くらいなら手伝える自信は勿論ある。しかしコックピットの広さには限りがあるし、作業効率と正確さを優先するならプロフェッショナルに任せた方がよいとの判断は自明の理。

 リプリーは如何にメファーナの気分を害さずしてそれを伝えようかと頑張ってくれているのだ。下手をすると、この艦のどの男達よりも紳士な彼の態度に思わず表情が緩んでしまう。

 初対面でスリッパかましておいて今さら紳士も何もない気もしないではないが、チーフはそれを補って余りある大きな優しさをもったいい「人」だなぁとメファーナは感じた。

「そんなに気を使ってくれなくても大丈夫です。少し様子を見ようかなと思ったくらいで、重要なものではないですよ」

 他にも用事がありますから、と言い繕ってその場を後にする。別に嘘ではなかったが、「遠くから眺めるくらいなら全然オッケーなんだけれどぉー?」とか申し訳なさそうな声を掛けてくるアロハシャツが、到着したエレベーターの扉に隠れて見えなくなるまで何となく後ろ髪引かれる思いをしたのも確かだった。


 佐原智世さはらともよは艦に所属する遺伝子学者兼物理学者兼医療責任者だ。彼女の存在をひとことで表すなら――、

 メファーナは智世をひとことで表す事が出来なかった。

「変な子ね。そんなところに突っ立ってないで中に入りなさいメファ」

 母親なのに。

「――はい」

 瞳の色も。髪の色も。血筋も。胸に秘めた思いも。眼鏡を掛けているという共通点以外の何もかもが自分と違う智世を、メファーナは憧憬と畏敬の念を以て心から愛している。

 智世の存在を「母」と淀みなく言い表せなかったのは、彼女にその資質の有無を問うたからではない。自分にこそ彼女の娘と誇れるだけの資格があるだろうか、そう自身を疑ったのだ。

 身を預けた椅子を回転させ、智世がこちらに向き直る。彼女は漆黒の瞳を瞑ると、左手で眼鏡を押し上げ、右手の親指と中指で両の目頭を軽く揉む。疲れているのだろう。

 先程まで体を向けていたデスクには、びっしりと文字が詰め込まれて余白の見えない論文が散乱していた。耳を澄ませば微かに聞こえる静謐せいひつな機械音――脇に設置されたパソコンの薄型ディスプレイは、メファーナの知識域を遥かに超えた極めて難解な数語式を綴っている。

 智世の役職は前述の通り、遺伝子学者兼、物理学者兼、医療責任者である。一見、二つの「学者」という肩書きは、「医療責任者」という本位に対する付属品のように思える。しかし真実は全くの逆だ。「医療責任者」という肩書きこそ、本位である「学者」が艦内に居座ることの整合性を保つ建て前に過ぎない。

 その証拠に、智世は医療チームの長であるにも関わらずちっとも白衣は着ないし、あろうことかこれっぽっちも医務室に顔を出さない。最近はこの自室に籠もって、何かの研究や調査に躍起になっている。

 食堂にも来なかったので朝食もここで摂ったのだろう。デスクの上をもう一度よく確認すると、論文の下敷きとなった軽食用トレイの円い角っこが紙束の影からちらりと覗いている。

 これほどまで私生活を犠牲にして研究に没頭する彼女の姿は、本当に格好いいと思う。まさに「学者」の鑑だ。

 だが当然のことながら、既に実戦配備のなされた戦闘艇に「学者」が乗艦しているという事実はとても奇妙なもの。けれど自分は知っていた。彼女がここにいる本当の理由を。

 智世は、メファーナがひと月前に失してしまった大切な友人――「あの子」の為にこの艦に乗っている。

 よく知っている。「あの子」はとても特別な女の子で、メファーナが出来ないことを何だってやってみせた。自分より一歳年下なのにすごく強くて頼り甲斐があって、今でも智世と同じくらい憧れている。

 そんな「あの子」に対して、智世は「医療責任者」ではなく「学者」という本位を駆使して熱心に接していた。娘としての自信が持てないが故に、自分よりも多くの時間を智世と共有していたはずの「あの子」に嫉妬の感情を抱いたことはない。

 ただ気になることはあった。「学者」という立場とはいえ、あれほど気にかけていた「あの子」がいなくなってしまったというのに、目立った動揺もないまま平然と過ごしているひと月前からの智世。メファーナは大きな戸惑いを覚える。

 智世は「あの子」のことを本当はどう思っていたのだろう。そして私の事はどう思っているのだろう。娘として、見てくれているだろうか。衝動的な感情が突き上げてくる。

 母さん。どうしてお気に入りの優秀な「あの子」じゃなくて、戦災孤児で駄目な私なんかを養女にしたんですか?

 唇が微かに震えていた。答えを訊くのが恐い。メファーナの苦渋を違う意味に捉えたのか、智世は小さくかぶりを振り「やれやれ」と呆れ顔を作ってこう問いかけてくる。

「また何か失したのかしら?」

 その言葉が胸を打つ。これで恐い思いをしなくて済んだという安心と、真実を知る機会をまた逃してしまったという焦燥が、心中を蠢いて迷走する。でもこのまま黙っているのだけは駄目だ、何か言葉を返さなくては。

「……め、眼鏡ケースを、失してしまったんです」

 辛うじて発した言葉が、何とか会話に矛盾を発生させることのないものだった幸運に胸を撫で下ろす。もはやこの瞬間に真実を知る機会がないのなら、余計な不安を気取られるのは嫌だった。それにこうして彼女の部屋を訪れた理由は、まさしく眼鏡ケースに他ならない。ようやくそのことを思い出して気持ちを落ち着かせる――と同時に、失しものをしてやっぱり迷惑をかけているじゃないですかどうしよう、とビビり直す。

 そんな感じでひとしきりあわあわしていたら、智世がデスクの引き出しからスペアの眼鏡ケースを掴み取って立ち上がった。手を伸ばしてそれをメファーナへ差し出す。

「はいこれ。今度は失さないように」

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