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明けない夜明け(3)

 好きな女の子が自分を護ってくれた。男としては情けない話かもしれないが、健吾は気にしていないし、そんな余裕はなかった。

 そして命を賭して戦ったのは、ユイだけではない――立ち止まる。

「よっ、ジルハム。眠れないからちょっと付き合ってくれないか」

 世界を彩るものは宵闇の髄へ溶け込み、枯渇の大地を青暗く塗りかえている。健吾の色を浸蝕せんと降りる夜のとばり、その片鱗で、〈ジールヴェン〉は揺るぎない存在の形を彼に示した。機体装甲の表面を張り巡る結露が、月明かりの袖を受けて淡く美しい燐光を放つ。

「あーあ。俺もお前みたいにユイから愛されたいよ」

 苦笑と共に漏れ出た呟きは白い吐息となって、微かに奔る夜風にさらわれていった。

 ところで今さらな話だが、機体脚部のくるぶし辺りから缶詰めやらテントやらが出て来るのを目の当たりにした時はさすがの健吾も頭に血が昇り、「夢を壊しやがって……謝れっ。地球上にくすぶる一〇〇億のロボ好きに謝れっ」と怒鳴りつけた。すると半眼の明美に、「いや人類の総人口、六〇憶だから。それに収納があった方が何かと便利じゃん」と女性目線の建設的な意見を諭され、後から冷静に考えてみれば、なるほど機能のひとつとしてはそんな悪いものでもないなと思い直す。

 新世界の開拓者として全人類から多大な羨望と賞賛を集める稀代の宇宙飛行士だって、ずんぐりむっくりオムツを穿いてスペースシャトルに乗り込むのだ。戦闘メカに缶詰めテント入りの収納くらい充分目を瞑れるサブリミナルではないだろうか。自分が機械に強い超インドア派だという事実を差し引いても、NFAとは実に興味深いマシンだと思う。

「ジルハムよ……」

 健吾は何時になく真剣な眼差しで、

「ところでNFAって何の略だ?」

 割かしどうでもいいことを訊いた。

 自慢じゃないが、自分はゲームの主人公名を入力する画面で二時間くらい延々と悩み抜けるほど件のネーミングには拘りがある。加えてロボットアニメが大好きなだから、これは気にするなと言う方が無理だった。

 斯くして健吾は、何らかの頭文字を取った略称と思しきNFAの正式名称に考察を馳せる。ネオファイティングアーマーか。ニューフィジカルアクションか。ナチュラルファイナルアグレッシブか。

 大変お気の毒なネーミングセンスだった。

「で、どれなんだジルハム」

 まるでこの中から選べ、と言わんばかりの酷いこじつけである。

 健吾が見据える〈ジールヴェン〉の頭部カメラは、人の双眸をモチーフに設計された光学式のデュアルアイセンサーだ。その瞳に宿った哀愁漂う藍染の光沢に、答えが返ってくるはずのない泰然な沈黙が重なり、「知るか。そんなのユイに訊けよ」というジルハムの無言の訴えのように思えて健吾は軽く吹き出した。

「ごめんごめん。機嫌悪くしないでくれ」

 呼吸を整え、わざとらしく咳払いをすると改めて〈ジールヴェン〉と俯仰を構える。再びの真摯な眼差し。

「その、何だ、お前に言いたいのは本当はそんなことじゃなくて、えと」

 呟いて健吾は〈ジールヴェン〉の機体を視線でなぞる。苛烈な戦闘機動を耐え抜いた脚部、迫る熱量を受け止め分散させた肩部、中枢たるコックピットを守護した胸部、パイロットの眼を担った頭部、度重なる白兵戦を支えた左腕部。

 そして。未知なる力の集約と放出、強大なエネルギーの濁流を受けて先端が消滅した右腕部――可変機構が欠損し、マニピュレーターは失われた。その姿はまさに戦場で片手を失した兵士である。我が君主への徹底的な忠誠と献身の先で、使命の完遂と引き換えにこうむった代償。

「ごめんな、痛かったろ?」

 まるでユイのような物言いが自身の口から零れ出たことに自分でも心底驚いた。気恥ずかしさから頬を掻く。それから健吾は、〈ジールヴェン〉に向かってぺこりと頭を下げる。些か角度が物足りないが、不慣れな為そこはご容赦願いたい。形だけではない、本心からの謝礼をこうして体で表現したのは何年ぶりだろうか。

「ユイと一緒に、俺と明美を護ってくれてありがとう」

 これは絶対に言わなくてはいけない、そう思った。

「お前がいなかったら俺たちは確実に死んでた。本当にありがとう」

 頭を上げる。

 ――認めよう。

「ああ、お前は最高にカッコいい奴だよ」

 ジルハムの動き回るアニメがあるならDVDは予約で全巻揃えるし、ジルハムを再現したフィギュアがあるなら喜んでこねくり回す、ジルハムの設定資料集があるならそれをおかずにご飯が三杯いけるだろう。

 以前の自分ならば。

「でも」

 現在いまはもう違う。健吾はそんなものより、もっと重大な感情を自分の中に見つけた。

「ユイを諦めた訳じゃないから。いつかあいつを俺に振り向かせてみせる」

 グッと〈ジールヴェン〉に拳を突き出す。

「俺と勝負だ……!」

 男の宣戦布告である。

 もちろん返ってくる言葉はない。代わりに、周囲を一陣の風が吹き抜けた。肌寒さを感じて身を震わす。

「寒くなってきたな。俺もう戻るわ。付き合ってくれてさんきゅ」

〈ジールヴェン〉の頭部カメラへにかっと笑いかけたあと、健吾は踵を返した。砂と小石の重奏を乾いた空気に響かせながらテントに向かって歩いていく。


 健吾は〈ジールヴェン〉のIDパスワードを知らないし、セキュリティシステムに生体データを登録している訳でもない。つまりはユイの存在なくして機体のコックピットに搭乗する術をもたないのである。

 故に彼は知る由もなかった。

 待機モードによる省電機能を従順に継続するモニター群の暗がりで――――アビオニクスを掌握した〈ジールヴェン〉の人工知能が、集音機構と音声認識プログラムを起動し、ヘッドアップディスプレイに三節のある英文を表示させていた事実を。

 Noid:Flexibility―Arms=NFA

 You are welcome.

 A competition!


「ねぇ、そろそろ起きて健吾。七時間以上の睡眠は、将来的に脳細胞の死滅を早める結果になるわよ」

 一日の始まりを告げる言葉にしては相当バイオレンスだが、寝起きは悪い方ではないらしい健吾は「ふまぁ」とか言いながらミノムシ化した自らの身をよじり、目脂でカチカチの瞳をパチパチさせた。

「おぉはぁよぉ」

「おはよう。外にペットボトルの水を用意してあるから、顔を洗ってきて」

「ぁい」

「あまり水を使い過ぎないで。飲む分には構わないけど」

「うぃ」

「あと、私のジャケット触ったでしょ」

「うぃ――えっ!」

 さり気なく耳に飛び込んできた不意打ちの一言に目が冴えたのだろう。健吾は裏返った声を上げて狼狽した。

「昨日私が記憶してるのと位置が少し変わってる」

「んっと、それはその、うぅ」

 ジャケットに触れた理由を必死に搾り出そうとしているのか下唇を噛み締めながら唸る彼を、ユイは少し慌てて制する。

「あぁ、いいの。別に責めてる訳じゃないの。そういう意味じゃないから。ただ――」

「ただ?」

 教師から叱られた小学生のような表情で首をもたげて聞き返してくる健吾に、優しく言葉を返す。

「ううん、やっぱり何でもないわ。気にしないで」

 彼を無駄に不安がらせて自分は一体どうしようというのか。「そういう周囲の些細な変化に気づけないと、これから先は生き残っていけないかもしれない」ユイは喉まで出掛かったこの言葉を飲み込んだ――。

「ふぅ。サッパリした」

「ケン水使い過ぎ」

「何言ってんだよ、ちゃんと節約してただろ」

「あれのどこがっ。男ってほんっと雑、信じらんない」

 食料庫に見立てた一画で缶詰めの小山を物色していたら、洗顔を終えた健吾と明美があーだこーだいつもの言い争いをしながらテントの入り口をくぐって来た。

「おかえり。昼食はもう食べる? 見ての通りこういうのしかないけど」

 その台詞のどこかに激しい違和感を覚えたらしい健吾が一瞬怪訝な顔をするも、すぐに表情を戻して何気なく話しかけてくる。

「でもあれだよ。実は俺、昨日二度寝した筈なのにこんな早い時間に起きれるなんて驚いた」

「それ私も思った! 昨日はすっごい疲れたから今日は夕方くらいまで起きれないかと思ってたよ」

 健吾に同意を示すように明美も興奮気味にそう言い添えた。

「どうやら土曜深夜アニメから日曜早朝アニメへのスムーズなシフトを目論んで編み出した秘技、『遅寝早起き二度寝シーケンス』が更なる高みへ昇華したようだな。ふふ、自分の才能が恐ろしい」

「何その日常生活に全力で必要ない秘技。別に表へ出さなくていいから。ずっと秘めてていいから。てかただの不規則でしょそれ……。私の場合は、部活の朝練に励んだ賜物かなぁ」

 そんな二人のやり取りを、ユイは苦笑という意味とはまた少し違う、困っているような、笑っているような、大変に複雑な表情をこしらえて眺めた。

「ん、何?」

 俺の顔に何かついてるか的なニュアンスの口調で問いかけてくる健吾に、

「今の時刻は一四時を回ったところ。お昼はもうとっくに過ぎてるの」

 ユイは恭しげに言葉を発した。幼い子供の間違いを正し、真実を諭す優しい母親のように。

 健吾と明美は、

「…………」

 さっと押し黙る。そして何かを思い出したように二人仲良く回れ右をし、スタコラとテントを出て行った。

 待つこと数十秒、

 ドタバタと凄い勢いでテントへ駆け戻って来た健吾と明美は、外を指差しながら開口一番、声を揃えてこう叫ぶ。

「空がっ――――、空が青くない!」

【蒼穹世界】に渡って初めての朝に自分も同じようなことをやっていた事実を華麗に棚に上げ、ユイはクスっと微笑んだ。

「そうね。青くないわ」

「本当にお昼過ぎてるの? 今」

 明美の呟きにそっと首肯すると二人の間を通り過ぎ、テントの入り口前で立ち止まって小さく手招きをする。

「あなたたちに話さなければいけないことがたくさんあるの。この世界について、私が知っている事実をこれから話すわ。外で。できれば空の下で聞いて」

 健吾と明美は確かめ合うかのように少しのあいだお互いを見つめ、それから再びユイへ視線を戻すと、ゆっくりと頷いた。


 ――青はない。

 淡い黄金が支配する黎明。

 ――青はない。

 地平線上を光塵が躍る東雲。

 ――青はない。

 大気の明暗が交わる誰彼時。

 ――青はない。

 世界を敢然と謳歌する曙光。

 空は暁。ユイと、健吾と、明美と、〈ジールヴェン〉を見下ろす雄大な黄金こがね

「【暁世界】へようこそ」

 比喩や形容ではない。ユイの言葉はこの世界を代弁する。

【暁世界】へ、ようこそ。

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