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明けない夜明け(1)




【彼】は道に穴を空けた。

 穴の底に炭火を仕掛ける。罠に掛かって落ちた者を丸焼きにする為だ。

 やがて現れた【彼】の義父がこの罠に掛かり、炭火の炎によって焼き殺された。

【彼】は自らの義父を抹消し、この世界で初めての身内殺しとなる。

 神々は怒り狂った。

【彼】を蔑み、憎み、迫害し、糾弾する。

 その渦中、十二神の王ゼウスは【彼】の罪を浄化し、【彼】を神々の晩餐ばんさんへ招き入れた。

 しかしあろうことか【彼】は、再び陰惨で凶悪な謀略を巡らさせる。

 ゼウスの后、ヘラを誘惑し、たぶらかし、我がものにしようと言葉巧みに言い寄ったのだ。

 主神ゼウスは怒り狂った。

 ヘルメスの鞭により【彼】を断罪し、タルタロスの火焔車により【彼】を永久の苦しみへと縛りつけた。

 永遠に廻り続け、その身を焼かれ続ける火焔車の炎の中で、【彼】は何を思い馳せるのか。

 世界の掟と律を破り、神に対する熾烈な裏切りを行使した愚者。

【彼】は愚者。

 その愚者の名は――。

【イクシオン】


 見渡す限り一面の荒野が広がっている。何もなかったはずの場所から、光が生まれた。空気を脈動させる青白い閃光。空間を歪ませながら世界に干渉し巨大化する閃光の力場は、ドーム状を成した状態から急激な波動の起伏を生み不安定に瞬いた。それは、本来あってはならないはずの赦されざる力。この世界の自然法則、物理法則を跳び越える――まさに神への裏切り。永久を灼き舞う火焔車の灯。

【イクシオン】

 力場が収束へ転じ矮小化。光の中心に姿を現した巨大な機人は、〈ジールヴェン〉である。


 瞼の向こうに静けさを感じて、健吾は恐る恐る瞳を開いた。

 GPS作動――座標特定。

「帰ってきた。やっと……」

 傍から聴こえるユイの感慨深い声。モニターに映る光景は地平線の向こうまで続いているのではあるまいか、と錯覚してしまう程のだだっ広い荒れ果てた大地である。画面の上端に座標数値らしきものが表示されたが、自分にはちょっと読み取れない。

「明美、健吾、体に異常はない? 痛いところとかある?」

「ううん。私は大丈夫」

「俺はちょっと腰にキてる」

「それくらいなら大丈夫そうね」

 自分と肩を合わせてひっしりと寄り添っている健吾を見て、ユイは思わず「ぷっ」と吹き出した。

「何で笑うんだよー」

「ふふ、ごめんなさい。あんまり一生懸命にくっついてるものだからつい」

「ユイがくっついてって言ったんだろ」

「そうだった。でもほら、敵はもういないから離れてもいいわ」

「えっ! う、まぁ、うん」

 虚を突かれたように慌ててユイから体を離す。

「うぅ」

 これはかなり残念だ。柔らかくて暖かいユイの身体の感触を、もう少しのあいだ味わっていたかった。断っておくが、この気持ちは純情であって、決して欲情ではないのである。

「これからどうするの?」

 明美の言葉に一端頷いて見せ、ユイはコックピットのコンソールに利き手を伸ばすと機械慣れした滑らかな指捌きでそれを操作する。心地いいリズムの電子音が鳴り響き、ヘッドアップディスプレイに『system online sending signal〔wait〕...』の文字が表示された。

「今、友軍に機体コードと信号を送ったわ。通信可能な距離に味方の鑑が入ればすぐにでも応答があるはず」

「敵に見つかったりしないよな?」

 不安げにそう訊ねると、それを笑い飛ばすように彼女は明るく答える。

「平気よ。一〇年前はここも戦場だったらしいけど、幸い今は同盟軍の国領内になっているから滅多なことじゃ発見されたりしないわ。それに〈ジールヴェン〉が搭載する通信システムの識別機能は優秀なの。ECMだってそれなりに信頼度は高いし」

 なるほど。それは頼もしい限りだ。命を脅かす危険は一時的にしろ本当に去ったという訳か。へなへなと肩の力が抜ける。けれど、安心と同時にくやしい気持ちを抱いている自分もいる。何故ならば〈ジールヴェン〉の性能について語るユイは、とても嬉しそうであり、そして何より楽しそうだから。ジルハムと無力な己と比較して、健吾はまた少し嫉妬した。

 愛機の自慢を終えて満足げに頷いたユイが、再びコックピットのコンソールに指を重ねてこう言った。

「外に出ましょう。ぐずぐずしていると日が暮れてしまうから」


 時刻は既に日の入りに向かっており、外は綺麗な夕陽が輝いていた。文字通り世界の壁を越えて、ユイの背中に再びこの手が届いたことへの実感が、その光景を通じてようやく健吾の心を満たしていく。

 俺はやったぞ!

 勢い余ってガッツポーズを取りそうになったが寸前のところで自分を抑える。もはやこれは運命ではないか、とすら思う。ユイと自分との間に強い人生の交わりを感じずにはいられない。

 確かに、一度自分は彼女にフラれたし、先ほどのように今はまだ〈ジールヴェン〉にも勝てそうにない。それらの事実は潔く受け入れよう。しかしユイは「他に好きな人がいる」とは、ひと言も口にしなかった。もし恋人の存在――もちろんNFAではなく人間の――を理由に自分の求愛を断ったのなら、律儀な性格上、彼女は必ずその旨を打ち明けてくれたはずだと健吾は推察する。

 ユイと一緒に世界を渡ったんだ。彼女のそばにいれば、またアタックする機会はきっと巡ってくる!

 ――顔だって、あなたが思っているほど悪くないわ。

 胸に刻まれたユイのこの言葉が、図らずも健吾の恋心を再び燃え上がらせている要因となっていることに疑いの余地はない。

 するんだ。もう一度、告白。

「こらー、そこー。サボるなぁ」

 背後から野次が飛んできた。

 誰だ新たな決意に満ち溢れたこの崇高なる独白に水を差す輩は、と振り返る。すると大量の缶詰めを両腕いっぱいに抱えた妹が、それを落とさぬようにとおっかなびっくりな歩調でこちらへ向かって来た。突っ立ったままの健吾を見て、口をへの字にひん曲げながら不平を漏らす。

「早くテント組み立ててよー」

 ああ、ここには明美もいるんだったっけ。余計なオマケがついてきたもんだ。

「缶詰め、投げるよ?」

 可愛らしく小首を傾げ、怖いくらい満面の笑みで明美は言った。声に出してもないのに相変わらず鋭い。彼女の戦闘能力なら、例え小さな缶詰めひとつでも脅威の殺傷兵器と化すだろう。ここは血が流れぬ内にとっとと謝ったほうが得策である。

「ご、ごめん」

「よろしい。さ、日が暮れる前に何とか寝床を確保しないとね」

 健吾はユイから任された野営の準備――すなわちテント張りの作業を再開する。明美がその辺に缶詰めの山をおっ立て、塞がっていた自分の両手を空けた。慣れないテント張りにアタフタする兄の不甲斐なさに見かねのだろう。健吾の隣に腰を下ろして作業を手伝ってくれる。支柱となる何本もの金具を伸ばして固定し、厚い革を重ねて作られたダークブルーの幕を広げて小屋を組み立てていく。


 膝立ちの状態で駐留させた〈ジールヴェン〉。その脚部の収納スペースから取り出した残りの食料パックと水ボトルを肩に担ぎ、更に大量の資料を脇に抱いたユイが二人のところへ戻った頃には、既に立派なテントが完成していた。素人が組み立てたにしてはなかなか見てくれのいいテントに少し感心して、

「あ、全部してくれなくて良かったのに。ありがとう」

 疲れた表情で座り込む健吾と明美に労いの言葉を掛けた。

 二人は何もテント張りに全力投球したせいで疲れ果てたのではないだろう。直前の戦闘に巻き込まれた事が精神的、肉体的な疲労を極端に増長させていた。平和に溢れた【蒼穹世界】の日本で育った二人にとっては文字通り死ぬ思いをしたに相違ない。戦闘に関してはユイにとっても同じであったが、戦場で半生を送ってきた自分との判然たる適応力の差が出たのだろう。

 ユイは三度二人を巻き込んでしまった行為への罪悪感に駆られた。一瞬が生死を分かつ戦場で、自分が下したあの選択はやむを得ないものだった。だがそんな兵士としての常識も、二人を【暁世界】に連れてきてしまったという大きな罪の意識を打ち消し相殺するほどの効力はもたない。

 足元に視線を落とす。人の原型を嘲笑うかのように細く長く伸びる暗い影が、まるで自分にかけられた重たい呪いのように感じる。安っぽい悲劇のヒロインを気取っているのでは断じてない。何故ならば【暁世界】で起こる激しい戦火により健吾と明美が命を落とすその確率が、覆しようのない強固な正数を以てこの現実に存在しているからだ。この現実を、二人の両親は、親族は、友人は、どう思うだろうか。

「ユイ?」

 明美の心配そうな声を聞いて我に返り、無理に笑顔を作る。

「何でもない。もうじき気温が急激に下がってくるわ。中へ入りましょう」


 テントの間取りは四畳ほどで三人が入るには少々窮屈な広さだが、食事をして睡眠を取るだけだと考えればさして不自由はないだろう。

 天井の据付ライトと床のランタンに柔らかく照らし出されたテント内は、視覚的な刺激を一切持たない平穏な雰囲気に包まれている。数時間前の目まぐるしい戦闘が嘘だったかのようなゆっくりとした時間が流れる中、プラスチックのフォークを片手に少し遅い夕食を摂る。

 乾パン。

 鯖肉。

 クラッカー。

 フルーツ。

 ミネラルウォーター。

 質素な非常食ばかりで食感は味気なかったものの、こういう食事はやっぱり楽しい。中学高校時代、学習キャンプや修学旅行の夜に、隠し持って来た軽食やお菓子を頬張りながら、同班の友人たちとあれこれ語り合ったときの多感な思い出が微かに蘇る。

「あ。トイレどうする、やっぱ順番に外だよな」

「こらっ、いま食事中なんだからそんな話しないで」

「ふふ。生理現象だもの。仕方ないわ」

「バカなんだからもう。それより重要なのはお風呂だよー」

「お風呂……だって? なぜだろう、今この場で聞くその言葉には、とても甘美な響きを感じる」

「黙れエロガッパ」

「しばらくはお湯で体を拭くしか出来ないと思う。我慢してね」

 健吾が下らない話を振り、

 明美が鋭い突っ込みを入れ、

 ユイが小さく笑って答える。

 絢爛けんらん反語の晩餐が緩やかな時を刻む。子供たちだけの愉しい団欒だんらんは疲労を空腹へと置き換え、周囲に転がる空きの缶詰めがひとつ、またひとつと増えていく。そんな食べ散らかされた容器をちらりと一瞥し、ユイが思索に耽っている姿を健吾は見逃さなかった。

 在庫が心配になっているのだろうか。【蒼穹世界】の日本政府からユイに支給された食料は、成人男性が約一〇日間生活できる蓄えに相当する量だと聞いた。【暁世界】帰還作戦の発令に際し作成されたマニュアルに基づき、当然これは一人分の摂取量を算出したものである。それをユイと明美と自分で更に分ける――ざっと概算すると三日と少し保てば御の字といったところだろう。

「食料大丈夫か?」

「ん。そんなこと心配しなくていいから、たくさん食べて」

 ユイは口許をほんの少し綻ばせてそう言った。憂いの面持ちで答えたように見えるのは果たして健吾の思い過ごしだろうか。

 何だよ、いきなりお荷物になってるじゃん俺。

 無力な自分だけれど、ならばせめてユイの憂いを取り払ってあげたい。せめて彼女を本当の笑顔にしてあげたい。場を和ませようと口をついて出た言葉は、

「ごめんな。うちの妹がバクバク食べるもんだから……」

 であった。

 すまん妹よ。ユイの微笑みを取り戻す為に今一度お前の存在を頼らせてくれ。

「ほっほぉー。ケン、どうやら君は命が惜しくないと見えるな」

 明美は目を細めながら鼻で笑うと健吾の挑発に乗ってきた。

「ユイ、辞書みたいなのある?」

 雷に打たれたかのようにビクッと全身を震わせる健吾。

 しまったそう来たか!

 英語事典から繰り出される惨たらしい殺劇の数々が、不動なる過去の経験則として胸中を巡る。軽い気持ちで振ったはいいが、流石にこれはやばいと焦る。額に変な汗が滲み出てきた。

「辞書? 戦術指南書ならあるけど」

「あ、それでいいよ」


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