この空よさらば(3)
空母甲板上を荒れ狂う鉄塊と爆炎が、〈ジールヴェン〉の機体から放たれた青白い強烈な閃光によって滅却する。声なき声を上げ、〈ジールヴェン〉が咆哮していた。空母に広がる地獄を屠るカタルシスのようにその閃光が周囲の空間を脈動し、湾曲させていく。
光に包まれたコックピットで健吾と明美が激しく狼狽する中、
「爆発かっ?」
「どうなってるのこれぇ!」
乱数演算を繰り返すヘッドアップディスプレイを、ユイは強靭な意志の宿った双眸で注視する。
「大丈夫。必ず勝つから、守ってみせる」
サブモニターにウェポンプラットホームが突如として復元、データ更新の信号群が津波のように画面を支配した。ユイは本能的に理解する。射撃制御ソフトのプログラムが信じ難い速度で書き換えられていく事実を。機体の兵装スペックが変貌を遂げ、一五〇ミリ粒子ビームランチャーの出力と最大射程が一気に一桁跳ね上がる。
〈ジールヴェン〉の異常な形態変化を至近距離からメインカメラに捉えた〈リンドエア〉が、推進剤を噴かせ減速、機体を翻す。ヘッドアップディスプレイに映る乱数表示が瞬時に散開、再び集約した光点が、〈リンドエア〉の軌道を追う画面中央にターゲットサイトを形成した。
「もう逃がさないっ。今度こそ命中させる!」
相対速度、距離補正。
インサイト。
ユイはトリガーを絞り込む。
青白い閃光が、右腕部の先端へ集約。異常なまでの高出力によってプラズマ熱流を纏わせたフォトンの収束弾が、狂暴な銃声を轟かせて空へ撃ち放たれる。一五〇ミリ粒子ビームランチャーの砲口が発射と同時に溶解して吹き飛び、極限まで叩き上げられた熱量を冷却し切れず〈ジールヴェン〉のラジエーターが悲鳴を上げた。規格外に肥大化したビームの光軸が、射線上の空間を灼き払いながら上空の〈リンドエア〉へ向かって爪牙を剥き出す凶獣が如く襲い掛かる。
即座に反応して回避運動に入る敵機だが、常軌を逸した驚異の弾速で追従してくるビーム光を凌くことはもはや不可能であった。斜め下方からの強烈な一閃が〈リンドエア〉の両脚部と背部を喰い破り消し飛ばす。錐揉み状態で急降下。機体を立て直そうと、残された腰部のサブスラスターを噴射しながら海面ぎりぎりを低空飛行する。しかしジェットエンジンを削り取られた背部の溶断面が機体全身に電撃とショートを迸らせ、遂にはコントロールを失った。海面を数回バウンドしたあと、〈リンドエア〉が海中にその姿を沈める。
――爆発。高度一〇〇メートルを優に超える水柱が空を舞い上がって散逸し、海に大きな水紋の華を咲かせた。
やがて刹那の自由が潰え、重力に囚われた花弁は海に還り、一部が陽光を反射する鋭い輝きを纏った雨へと姿を変えて周囲に降り注いだ。
〈リンドエア〉撃破。
だが〈ジールヴェン〉の放つ光は降り注ぐ雨をも滅し、途絶えることはない。
『あの青い光は……!』
『作戦が始まったのか?』
無線装置から自衛隊の怒声が飛び交う護衛艦旗艦の通信フロア。眩い閃光を放つ空母滑走路を最大望遠で映し出すモニター群と向かい合った北村が、神妙な面持ちで口を開く。
「発動しましたね」
援護射撃の強化についてあれから更に口論した結果、乃木は北村からネクタイを掴み上げられ何度も身を揺さぶられる羽目になった。すっかり乱れてしまったその服装を坦々と正しながら小さく咳払いをした後、彼は憮然とした態度で言葉を返す。
「ええ。まだ中枢から漏れ出すほんの残光に過ぎませんが、間違いないでしょう」
それを耳に入れた北村が、青白い輝きを映すモニターから視線を逸らすことなく、小さく、そして敢然とした声で――――
「【イクシオン】」
確かにそう呟いていた。『敵機の完全な撃破を確認。救護班は空母に回れ、大至急』
空母の船体が噴き上げる爆発の熱風に煽られ、体勢を倒しながら旋回する自衛隊ヘリ。
『駄目だっ。また爆発が起こり始めて目標に近づけない!』
その眼下。原型を崩しつつある空母は側部壁面を破壊し尽くされ、露呈した骨格の束が獰猛な焔で包まれている。誘爆によって内部構造が煩雑と分解され、鉄の刃を四方に撒き散らす。滑走路上に確認出来る〈ジールヴェン〉の機体は、放熱機構より放つ青白い閃光を不安定に瞬かせながら震えていた。光の幕が周囲の空間を歪めている為に全身が超蠕動を起こしているようにさえ見える。
「倒したのか、あいつ」
「ええ。何とか勝てたみたい」
「助かったの? 私たち」
「そうね。でも――」
通信システムが復元、北村の声が飛び込んで来る。
『ユイ、応答して頂戴!』
「北村監督官?」
『ああ良かった。回線が戻ったようね』
焦燥の声色を乗せたまま、北村は一気にまくし立てた。
『早くそこから離脱しなさい! 救護班を向かわせているのだけれど、爆発が壁になってヘリがそちらへ取り付けそうにないの。あと僅かでその空母は沈むことになるわ。急いで!』
至極真っ当な意見だとユイも思う。出来れば自分もそうしたい。しかし言わなければならないことがある。
「それが、」
『何?』
「機体の制御が利きません」
『……』
「……」
『……』
「……」
爆音と震動が轟く中、息の詰まるようなこの沈黙に耐えかねたのか健悟が突っ込みを入れてくる。
「ここはボケるとこじゃないだろ」
「ボケてなんかないっ。どうして私がこんなところでふざけなくちゃいけないの!」
健吾の言葉にむっとして、グリップとそこら辺のコンソールをがちゃがちゃいじり倒す――――〈ジールヴェン〉の反応はない。
「ほら!」
「いやほらって言われても」
などと言いつつ、〈ジールヴェン〉のことになるとこうしてすぐムキになるユイの仕草に並々ならぬいじらしさを感じ取ったらしい健吾は「でも今のユイちょっと可愛かったかも」と鼻の下を伸ばした。
「ご機嫌斜めなのかな〈ジールヴェン〉は」
明美のこの指摘にユイはハッと何かを悟ったような顔になり、彼女と二人して疑念の視線を健吾に投げかける。
「何でそこで俺を見るの?」
「ケンがジルハムとか言うから」
「今関係ないだろそれっ」
閑話休題。制御不能のまま、機体の放つ閃光によって青く浮かび上がったコックピット。緊急脱出機構の制御系は完全なスタンドアローンである。マニュアルで炸裂ボルトを起爆してコックピットハッチを吹き飛ばすか――。
しかし外に出ることが出来たとして、健吾と明美が自衛隊に無事回収される保証はない。むしろ空母の爆発と沈没に巻き込まれて命を落とす可能性の方が遥かに高いだろう。いや、〈ジールヴェン〉の形成した力場に触れて肉体を消滅させられるかもしれない。
「俺達の人生、このまま終わってしまうのかな――」
「私はこの青い光に乗って、【蒼穹世界】に渡って来たの」
その言葉を耳にした健吾の瞳が大きく開かれる。ユイと出逢った夜に裏山で見たあの光と、今コックピットを照らすこの光が脳裏で重なったに違いない。
海に沈むのが先か。
【暁世界】への転送が先か。
大きく溜め息を吐いた。
「確認するわ健吾。【暁世界】に渡る覚悟があるのね?」
急な呼び掛けと強い語調に一瞬肩を竦ませた健吾だったが、言葉の意味を咀嚼したのかすぐに落ち着きを取り戻す。
「もちろん」
「本当にある?」
「本当にある」
「本当の本当にある?」
「本当の本当にある!」
「……そう。分かったわ」
今度は明美に向き直って優しく声を掛ける。
「巻き込んでごめんなさい、明美。あなたも私の世界に連れて行くことになりそうなの。覚悟を決めて欲しい。一緒に来てくれる?」
明美は――数秒の沈黙を置いて「うん」と頷き、
「この際しようがないなっ。もうこうなったら一蓮托生でしょ」
気持ちのいいくらいサバサバと言い切った。スカッとする爽快な笑顔である。
「分かった。ありがとう」 そこで健吾がもの凄い勢いで挙手。
「超ハイパーミラクル異議あり!」
お前はどんだけ異議の申し立てがしたいんだ、と眉を顰めて面倒くさそうな表情を作ったユイは健吾を叱咤する。
「何っ? 切羽詰まってるから手短に」
「俺には三回も確認を取ったのに何で妹は一回なんですか。このえらい待遇の違いを説明して下さい先生」
何だそんなこと、とでもいうように小さく溜め息を吐き、キッパリこう言い捨てる。
「信頼度の違いです」
「っ!」
健吾は肩を落として「ひどい。これはひどい。告白したばかりなのに」と盛大にしょげ返り、明美はそれを嘲笑うかのように「ふふん」と得意気にふんぞり返った。
『あなたたち、全員で【暁世界】へ渡るつもりなの?』
〈ジールヴェン〉の通信システムと【蒼穹世界】のそれを同調させる事が出来なかった為、ユイは明美に持たせていたあの無線機を北村に渡している。
通信回線からの北村の声に明美は、あっけらかんとこう言った。
「はい。そういうことなので私達の親や学校には北村さんから説明をお願いします。ちゃんと説得力のあるやつをよろしくです」
『そんな無茶な――』
「そこをお国の力で何とかっ」
両手を合わせていじらしくウインクする明美。音声のみで映像は向こうに送られてはいない。しかし彼女のこの何とも憎めない仕草と雰囲気だけは届いたのか、こんな言葉が返ってきた。
『……ふう。こういう事態に陥ったのには私にも責任があります。善処しましょう』
「ありがとうございますっ」
コックピットを交叉する青の粒子が、強引に軌道を切り替え流れを変えた。上方へ向かって光が遷移し、
「もう時間がないみたい」
ユイのその声を絡め取るかのように振動して場を満たした。
腹部が、熱い。
不安定な閃光を成していた〈ジールヴェン〉の放つ力場が、美しいドーム状へ整形してさらに大きく成長――空間の歪みが、外部風景を視認出来ない程にまでその曲率を上昇させ、周囲のエントロピーが増大する。
通信回線の途絶する寸前だった。北村の柔らかい声が、
『行ってらっしゃい。【暁世界】に帰ったら、私の娘と孫によろしく』
「え、」
しかしユイがその真意を問い返すことはもう出来なかった。
――消失。
この言葉以外にそれを表現し得るものは存在しないだろう。
〈ジールヴェン〉がこの世界から消えた。
青白い閃光が絶えたのちに訪れる、瞬間の静寂。機体の転送に空母の飛行甲板と中層部が飲み込まれ、それらを構成していた物質が球形に消滅、巨大な空洞を作っていた。まるで世界からその一部分だけを切り離し、抉り取ったかのよう。空洞が重心の位置エネルギーを根刮ぎ奪い去って船体を大きく分断、空母の原型を完全に崩壊させた。圧倒的な質量をもつ無秩序へと姿を変えた合成金属の孤島が、耳をつんざく断末魔の叫びを上げる。インディペンデンス級航空母艦、その成れ果てが、日本海の大波に抱かれて沈んでいく。
「あの兄妹のご両親には何と説明するおつもりですか北村監督官。下手をすれば民事訴訟で裁判沙汰でしょう」
乃木の声に怒りはなかった。疲労と困憊、窶れた表情が彼を年相応に老け込ませたように見える。
「今の時代に神隠しなんて流行りません。防衛省が民間人を誘拐したとなれば、内閣は血相を変えて隠蔽にかかる。お上の方々が今度は責任の擦りつけ合いに獅子奮迅の活躍を見せてくれますよ」
全く以て冗談には聞こえないが、そこでまた口の端を釣り上げて乃木はこう付け加える。
「明日の幕僚会議は騒がしくなりそうです。今夜中に耳栓を用意しておいた方がよろしいですかな?」
どうやらこれは彼の癖らしい。
北村は同じく窶れた表情で苦笑し、開き直ったような口調で答える。
「全力で対処します。あの子に『善処しましょう』と約束してしまいましたから」
「それは頼もしい限りです。しかしそれよりも……、犠牲となった自衛隊員の遺族の方々に、何と言って頭を下げればよいのか、私には検討もつきません」
乃木の瞳に浮かぶものは、【蒼穹世界】の尊い人命を削ってしまった現実を鑑み、慈しむ悔恨の揺らぎ。
太陽が、西へ向かって緩やかに歩みを進める。このまま地平線に沈んでも、明日には再びその顔を見せるだろう。そしてこの世界を照らし、空を大気の蒼に染める。何故ならその事実こそ、ここが【蒼穹世界】であるという証明だからだ。