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この空よさらば(2)


〈ジールヴェン〉が迎えてくれる。これでいい。やはりこの【蒼穹世界】に自分という存在は似つかわしくない。

 もう戦わなくてもいい。この場所で休んでもいいのだと、そう考えたこともある。しかし錯覚だった。市街地で制圧した〈ミシア〉に搭乗していたパイロットの死亡確認を聞いている。死因は神経にインプラントされた時限式の有毒物質。

 口封じ、機密保持でしょう。あなたのせいではないわ。気に病まないで頂戴。そんな北村の言葉に、ユイは納得などしていない。この世界に死を運んでくるのはもうたくさんだ。

 ほんの僅かな間だったが、存分に感じることが出来た掛けがえのない平和。その名残惜しい幸せを最後にもう一度だけこの網膜に焼き付けておこうと、ユイは平和の象徴たるこの空を見上げた。

 海を覆い尽すように一八〇度に渡って展開する壮大な青。雲がひとつとしてない美しい青。天空を熱して輝き照らすのは、この星のありとあらゆる光を燦然さんぜんと掌握する、“双子”の太陽――。

「馬鹿げてる、そんなわけないじゃない!」

 有り得ない。

 瞼の筋力を総動員して目を凝らす。大きさを不安定に変化させながら、もうひとつの太陽が震えていた。周囲の空間を脈動させる金色の強烈な閃光。形容し難い異質、奇怪、超常。天空に黄金の穴が空いて、ユイは驚愕する。何故ならその閃光が、人の形をした巨大な無機物を、この青い空に招き入れる瞬間を両の瞳に映したからである。

「健吾っ! 明美っ! 今すぐ伏せ――――」

 先に続く言葉は、頭上を旋回していた自衛隊のヘリが爆散する轟音によって上書きされた。急激な鼓膜の振動に五感を削られながらユイは、青ざめた戦慄の表情で上空を見上げる健吾と明美のもとへ疾駆。二人に飛びついてその肩を掴んで引き寄せ、強引に地面に組み敷くと自分の体を覆い被ぶせて低く伏せる。

 一瞬前までヘリコプターを成していた鉄塊が、無数の金属片となって空母の飛行甲板に降り注いだ。

 中空を、巨大な推進器の唸りが駆け抜ける。

 鋼の驟雨しゅううが止むと同時に、上体を起こして怒鳴り声を上げた。

「無事ね? 立って二人とも!」

「何、何なの」

「耳が、痛った……」

 頭上を仰いでユイは言い放つ。

「【暁世界】からの進撃。空戦型NFAよ」

 NFA〈リンドエア〉。空戦用に軽量化された全身のフレームと、縦軸に並んだ二基の巨大なジェット推進を背部に有する量産機。バックパック側面から左右に広がる逆三角形の両翼が空気抵抗を切り裂いて飛翔する姿は、まさしく“鳥人とりびと”を想起させる。

 推進剤による姿勢制御で琥珀色の機体を翻し、垂直に上昇していく。距離をとって誘導弾を撃ち込んでくるつもりか。脚部側面に武装されたウェポンコンテナの形状から対艦ミサイルは搭載されていないようだが、戦闘能力を持たない空母など僅かな時間で沈められてしまうだろう。

 北村から渡された記憶媒体が、自分の手中から消えていることにユイは気づいている。無我夢中で体を動かした際にどこかへ落としてしまったか。もしや爆風で吹き飛んで既に海の中かもしれない。どちらにしろ、今は応戦を行う方が先決だ。

「二人とも早くこっちへ!」


 護衛旗艦のブリッジに、張りのある高い怒声が響き渡る。

「局長! これは最悪の事態です、何故もっと前に出て応戦しないのですかっ。何の為の護衛艦なんです! 今すぐ航空部隊を出撃させて下さい」

 通信フロアで堰を切ったように乃木を攻め立てているのは北村千秋その人だ。

「監督官、どうか落ち着いて。貴方の身の上、取り乱す気持ちはお察しする。だが我々の戦力でNFAに対抗しようなど無謀です」

「子供がっ、子供が殺されかけているのですよ! それを黙って見ていろと?」

「既にこちらにも犠牲者が出ています。どうやら貴女はご自分の責務を軽視して、個人的な感情を優先しようとしている」

 乃木の細い目が、得も言われぬ強烈な眼光を宿して北村を射竦める。防衛省特査管理局、最高権力者。その威厳と覇気が表層へ浮かび上がった瞬間だった。

「最低限の牽制と援護は行うよう命じています」

「人の命を天秤にかけるのですか?」

「この【蒼穹世界】を護る為ならいくらでも」

 乃木は口の端を釣り上げてこう言った。

「しかしそれほど悲観的になるものでもありませんよ北村監督官。我々にはまだ〈ジールヴェン〉がある」


「ここが〈ジールヴェン〉のコックピットか」

「もっとくっついて。なるべく体を固定するように」

「お、おう」

 寄せ合った体をよじってさらに密着させる健吾。恥ずかしいのか耳が真っ赤だ。もごもご訊ねてくる。

「あのさ。敵の攻撃が来るんだよな?」

「そう。もうミサイル撃たれたから」

「えっ!」

 健吾が驚愕するさなか、息の長い警報がコックピットに鳴り響いた。

「それってこれのこと?」

 健吾とは反対側からユイと身を寄せ合った明美が指を差した先は――赤く明滅する警報ランプとサブモニター上に円形で表示された深緑色のレーダー。それに映るのは、上方から中央へと向かう四つの光点。

「ええ。護衛艦からの援護射撃がなかったら機体に乗り込む前に吹き飛ばされていたでしょうね……来るわ」

 上空、〈リンドエア〉脚部のコンテナから放たれた左右二発、計四発のマイクロミサイルが、空の青に白煙の軌道を奔らせて空母へ迫る。パイロットの技能か、あるいはFCSの性能か。護衛艦による機関砲及び対空機銃の斉射、これへの回避運動を行いながら発射した〈リンドエア〉のマイクロミサイルは、空母の飛行甲板上を正確に捉えていた。

〈ジールヴェン〉の戦術AIは演算する――X7934 Y1236 Z1285 X8524 Z7746 Y382 X9957 Z2089 Y546 X13368 Z3071 Y1011 X15758 ....弾道予測終了。着弾ポイント算出、誤差修正、許容範囲±35。

「動くわっ。掴まってて。 舌を噛まないように!」

 左脚のフットペダルをゆっくり踏み込むと、握り締めた左右のグリップを手前に引き寄せる。〈ジールヴェン〉の反応速度は、ユイの超人的な反射神経に追随するべく調整を受けている。刹那、横殴りのGがコックピットを鷲掴みにして大きく弄んだ。瞬間的にマグニチュード強の地震をその身に体感したのに等しい。

「きゃあっ」

 全身の内蔵が右へ寄ったかもしれないと錯覚するほどの激しい揺れに明美が思わず悲鳴を上げた。

 マイクロミサイルが空気を裂く鋭敏な飛行音を響かせながら空母滑走路に到達。対する〈ジールヴェン〉は、地面上の数センチを機動するホバリングで斜線移動とターンブーストを繰り返し、氷上を滑るようにこれらを回避する。直後に起こった幾重の爆発と震動は、滑走路の表面を灼いたものではない。機体の足元、対艦仕様ですらないこのミサイルが、飛行甲板を易々と刺し貫き、空母の下層部に侵入。そこで爆発を発生させて内部構造に誘爆を引き起こしている。

【蒼穹世界】と【暁世界】

 両の世界間における兵器レベルの相違、その圧倒的な火力の差をまざまざと見せつけられた瞬間である。

「うぇ」

「……す、凄い」

 吐き気を必死に飲み込んだ健吾と、爆発の大きな震動に驚嘆の呻きを漏らす明美。

「こちらからも攻撃する。反動に気をつけて」

 FCS解放――ウェポンプラットホーム展開、出力上昇。〈ジールヴェン〉の右腕部、その内部と外部が織り込むように反転して一五〇ミリ粒子ビームランチャーの砲塔に変形。銃口を天空へ掲げ、砲身の尾端となった右肘部に左マニピュレーターを添え射撃態勢を取る。

 ヘッドアップディスプレイのターゲットサイトが、地上の獲物にくちばしを向ける猛禽類もうきんるいが如く急降下を開始した〈リンドエア〉の機体を追う。相対速度補正、インサイト。ユイは人差し指を乗せていた右グリップのトリガーを押し込んだ。銃身内部の加速帯より指向性を与えられたフォトンの凝集弾が、空気を熱して放射される。目標に命中――せず。〈リンドエア〉の俊敏な軸回転によって光芒はかわされ、背景の青へ消えていく。間髪入れず二射目三射目のビームランチャーを〈ジールヴェン〉より撃ち放つ。

 対して〈リンドエア〉は左右へのバレルロール機動で見事これらを凌ぎ切り、空母飛行甲板に接近する。自衛隊ヘリを天の藻屑と変えた八五ミリ高機動アサルトライフルの銃口が、〈ジールヴェン〉の機体に向けられた。三点連射さんてんバーストで火を噴く。

 両肩のフレームを外側へ展開させた〈ジールヴェン〉のフィールドジェネレーターが、防御力場を形成するエネルギー障壁を出力。高機動アサルトライフルの銃弾がこれに阻まれ、光沢の干渉縞を中空に輝き散らせる。〈ジールヴェン〉が再びビームランチャーを射撃態勢に入れたとき、〈リンドエア〉の機影は既に空母を大きく迂回して距離を取っていた。空戦型NFAの特性を最大限に生かした一戦離脱の戦法――、ユイは敵パイロットの操縦技量を推し量る。

 飛び抜けたテクニックがある訳じゃないけど、戦場での経験値は私より遥かに上。

〈リンドエア〉の携行する、航空・高速戦闘に対応したアサルトライフルは、突撃アサルトの名を冠してはいるのものの、空対地戦を想定し、地上の敵との高低距離をカバーする為に通常のアサルトライフルに比べ極めて長い射程を有している。加えてあのミサイル攻撃。移動範囲を飛行甲板上に限定された状態で撃ち合うのはかなり分が悪い。ヘッドアップディスプレイから遠ざかる敵機を見送り、両のグリップを強く握り締めながら内心で毒づいた。

 ビームランチャーの命中精度はそれほど高くない。長距離砲のエネルギーキャノンが健在なら狙撃できるのに……。

 アラート。マイクロミサイルの接近を伝えている。

 フライトシステムを使う? いえ、訓練を受けていない健吾と明美を乗せたまま空中で戦闘機動なんて出来ない!

 レーダーに映る四つの光点。先程よりも発射のタイミングが遥かに早い。何故か――簡単である。目標が〈ジールヴェン〉ではないからだ。

 爆発。爆炎。震動。

 マイクロミサイルが空母の船体側面に直撃し、内部で、その身に与えられた火力と熱量を解放。破壊の限りを尽くす。空母を沈めてこちらの足場をなくす腹積もりだろう。〈リンドエア〉の猛攻。〈ジールヴェン〉の射程圏ぎりぎりで高機動アサルトライフルによるヒット&アウェイを繰り返し、機体に搭載した残り全てのマイクロミサイルを、長距離から空母のあらゆる支点に叩き込んだ。

 空母が煉獄の炎に包まれた。船底に数多の風穴を開けられ、海水が唸りを上げて押し寄せる。墨色の煙と深紅の火の粉を吐き出しながら船体が瓦解を始める。その不気味な悲鳴が空間に響き渡り、海域を埋め尽くす。

 上空からの爆撃と下層からの誘爆により凄惨に半壊した飛行甲板。〈ジールヴェン〉の周囲には連鎖的な爆発が散々と巻き起こり、鉄塊を抱いた爆風が荒れ狂う熾烈な情景を呈している。なさがら鬼の闊歩する地獄絵図のようだ。

 自衛隊護衛艦からの援護射撃を鋭角的な旋回機動で去なし、〈リンドエア〉は脚部の炸裂ボルトを着火してマイクロミサイルを撃ち尽くした二基のウェポンコンテナを切り離す。それが海面へと着水、破棄されると同時に〈ジールヴェン〉への再強襲を仕掛けるべく機体を燃え盛る空母滑走路に向けて加速させた。

 こちらは防御フィールドのエネルギーが間もなくパワーダウンする。身体をガタガタと震わせる明美の計り知れない死への恐怖が、触れ合った肌を通して伝わってきた。健吾は既に感覚が麻痺しているのか血の気の引いた表情で唾液を滴らせながら呆然とモニターを見つめている。危機的戦局。このままでは〈ジールヴェン〉は敗北。護衛艦も全滅する。

 死。

 この場で、それはもうユイひとりのものではない。本当に取り返しのつかない領域に巻き込んでしまった。

 健吾も。

 明美も。

 北村も。

 自衛軍も。

 私が、死なせてしまう。

 全身の神経がたぎるように熱を帯びる。腹部の奥深くで眠っていた幾億もの小さな有機体が、一斉に覚醒を始めた。感情の赴くままに、喉を灼いて叫ぶ。

「このまま、何も守れないでっ!」

 刹那、くぐもった電子音――。

「画面が、消えちゃったぞ」

 健吾のこの言葉が、その瞬間に起こった現象の発端を表していた。

「もしかしてエネルギー切れ?」

 違う。

 明美の、不安げな声で尋ねてくるその言葉を、ユイは果たして否定した。自分は知っている。

 戦闘システム、リスタート。

 ユイ、健吾、明美を囲うディスプレイとモニター群が、怒涛に溢れかえる解読不能な数言語の荒波を三人の視界に流し始めた。

「〈ジールヴェン〉。あなたはまた、私のことを守ってくれるの?」


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