1章
この日は絶対機関全体に張り詰めた空気が流れていた。相対機関が宣戦布告してきたらしい。
宣戦布告というと変かもしれないが、その内容を簡潔にいえば…。『これが最後の警告だ、取引きに応じなければ我らは力ずくでも止める』といった感じ。
ちなみにコレはパールから聞いたハナシ。
すぐに緊急会議が開かれ、隊長もいつもより真剣な表情で話していた。
「これは非常にまずい事だ。こちらが下手な動きをすると何をしてくるか分からない。これからは皆、本部からの出入りを控え、慎重に行動して貰いたい。宜しく頼む」
実のところ全く実感が沸かないが、その緊張感はビリビリと伝わってきた。でも俺は本部に住み込みだから、そんな心配をする必要もないかな?
会議は意外に早く終わった。そんなこと俺が気にしても仕方ないし、パールはもういないし、さっさと自分の部屋に戻るとするか…。
「ロマン、ちょっと話があるんだ」
「大事な話なんすよ。早く来るっす」
と、そこで隊長に呼び止められた。隊長の横にはライコウの姿もあった。
「は、はい」
すると隊長達はどこへ行くかも教えずにエレベーターへ乗り込んだ。とりあえず俺もエレベーターへ。
「あ、あの隊長。どこへ?」
「この機関に所属する者、特にお前に教えておかなければならない物がある」
「?」
エレベーターで地下に降りると、見慣れない小さな部屋についた。隊長はその部屋の端末機かなんかを操作し始める。
「ここへは隊長や僕しか来られないっすよ。滅多なことがない限り、他の人をここへ連れてくることはないっす」
聞いてもいないことをペラペラと喋るライコウ。
隊長がパスワードを入力し終わったのか、幾つも厳重にロックされたゲートが開いていき、更に奥深くへ向かう。
「ここへ隊長が人を連れて来たのはロムで5人目っす」
「…4人目は?」
「4人目は僕っすね。2人目と3人目は今から会うっす。で、最初ここに来た人は…」
「ライナス、もう過ぎた事だ。あいつの話はするな」
「ち、違うっすよ~。ロムが黙り込んでいるから緊張してるかなぁと思って…」
俺が5人目?あいつ?ここは一体なんなんだ?気になることで頭がいっぱいだ。だけど…。
「ここが絶対機関の情報の中枢部、『接続室』だ」
その最後のゲートが開いた時には、もうそんなこと気にしてられなくなった。
そこにはコンピューターが幾つも列び、なんかいっぱい情報を表示しているスクリーン。まさにSF映画に出てくる宇宙船の船橋、ブリッジみたいな部屋だ。
「ロマン、電脳世界はあると思うか?」
いつも現実的なことばかり言う隊長らしくない突拍子な台詞。
「いや、あまり考えたことない…です」
もしどんなことでも出来る仮想空間があったら…とか確かに思ったことはある。でもこんな露骨に聞いてくると、戸惑いを隠せない。
「隊長…ここは…?」
隊長はすぐに答えてくれた。
「『Connection room』。通称『接続室』。此処から電脳空間『C空間』へ意識的に飛ぶことが可能だ」
接続室?C空間?確かに電脳世界へ行けそーな部屋だけど、電脳空間へ飛ぶって…どういうこと?
ふと辺りを見渡してみると、ズラッと並んだコンピュータを操作している二人が視界に入った。
「隊長、あの人達は…?」
「そこの端末を操作している二人っすか?あの二人はサイバー課の研究員、ディアーヌ・メローとサラ・マリュスっす。呼んでくるっす!」
隊長に言ったんだが…まぁいいか。
「ディアーヌ・メローです…宜しくお願いします」
白衣を纏い、髪をポニーテールに結びつつ、大きな瞳をした彼女は…小さかった。身長が。ところで何をお願いしてるんだろう?
「ロマン・フュルステンベルクです…よ、よろしく」
向こうのおどおどした態度に同じく、俺も落ち着かない態度で返してしまった。
「初めまして、メローのアシスタントのサラ・マリュスです」
もう一人は髪を三つ編みにしている女の人。そして握手した。人見知りなりに頑張った。
「さて、さっそく本題に入るか。ロマンには今からC空間にアクセスしてもらう」
「隊長、C空間にアクセスって…?」
「C空間は、簡潔に言えばサイバースペースを三次元に変換した空間だ。そこにアクセス、つまり意識をデータ化し、転送する」
「はぁ…」
理由も仕組みもサッパリだ。
「人体には影響はないから、そんな不安そうな顔しなくても大丈夫っすよ」
俺が不安なのはそこじゃない。
隊長に言われるがままに、近くの椅子に腰を降ろす。すると頭の上から装置が降りてきて、俺の頭をすっぽり包み込む形になった。
「ディアーヌ、始めてくれ」
「はい」
正直言って、凄く怖い。心臓がバクバク言ってる…。ホントに痛みはないのか?無事に帰ってこれるのか?俺は…どうすれば良いんだ?
「ロマン、そんなに緊張するな。瞼を閉じて身体全体の力を抜くんだ。ゆっくりと深呼吸しろ」
言われた通り、落ち着いて目を閉じて深呼吸。…本当に数秒もしない内に意識が飛んだ。
目を開けると、一面が方眼紙のような、何というか…俺はグリッド線の上に立っていた。ここがC空間というやつか?
何だか覚ましたばかりの目がチカチカしてくる…。それに何も音ないからか耳鳴りがする。参ったな…。
しばらく待っていると、突然隊長とライコウが現れた。
「ここがC空間だ。ブレイン・マシン・インターフェースという技術で、此処にお前の脳をアクセスさせている」
「ブレイン・マシン・インターフェース…?」
「隊長、やっぱり説明も曖昧にここへログインさせるのは無理があったんすよ。ロムが怯えてたじゃないすか!」
「一刻を争う状況なんだ…仕方がない。ロムに此処の原理を説明してやれ」
「分かったすよぉ…。ロム、これは脳と直に接続しているから自由に身体を動かせるし、五感を感じることも出来る、スゴい技術なんすよ」
そんな説明されても耳に入らない。俺にはただボーっと立ち尽くして目をチカチカさせるしかなかった。
「早速ロマンには簡単なテストを受けてもらう」
「テスト…ですか?」
「隊長、その前に背景を変えたいっす。このままじゃ殺風景すぎるっすよ。」
「分かった。ディアーヌ、風景を#99cc33に変えてくれ」
「はい」
無機質なグリット線の空間は、穏やかな風が流れる草原に変わった。芝生がなびいて、とてもコンピューターの中にいるとは思えない。
「ロマン、この剣を使え」
「これは?」
シンプルな形をした剣だ。剣は見たことはあるが、実際に手にするのは生まれて初めて。意外に軽い。
「バスタードソード。沢凡性が高く使いやすい剣だ。それで今から出現する数体のターゲットを倒してみろ」
すると丸い球体が2~30mくらい先に現れた。あれがターゲットか?だけど、いくら沢凡性が高い剣とはいえ…身体がついてこないんじゃないか?
「制限時間は5分だからな。始めていいぞ」
「…はい」
俺はこんな物騒なことはしたくない。でも、このまま立ち尽くしていても何も始まらない。俺はこの好奇心に身を任せてみることにした。
夢中で走って近付き、そのターゲット一体に思いっきり剣を振り下ろす。間髪入れずにターゲットの二体目、三体目も叩き潰す。
あっという間だった。俺はスポーツが何よりも苦手だが、ここでは身体が驚くほど軽く、激しく動いても全く息が切れない。
そういえば、さっきから眼鏡もかけていないのに遠くが全然ぼやけない。俺は極度の近眼で視力も0.01以下のはず。
言い換えれば、まるで自分の身体ではない誰かの身体を使っているようだ。
「さっすが、まさかここまで早いとは思わなかっす。でも隊長や僕の方がもっと早く動けるっすよ」
「初めてにしては上出来だロマン。これなら問題ないだろう」
「問題ないって…まさか、たった1回のテストで実戦投入!?いくらなんでも早過ぎるっすよ。僕でさえ一週間のテストを受けたってのに」
「いいや、さっきも言った通り時間がないんだ。
それに、ただでさえログインに畏怖の念を持つ輩が多い現状から考えて、C空間要員は一人でも多い方が良いだろ?」
…勝手に話を進めていらっしゃる。にしても、これだけ色々なこといっぺんに体験すると流石に疲れるな。
何だか、初めて自分の部屋のベットが恋しくなってきたな…。
「さて、とりあえずテストはこれで終了だ。そろそろログアウトするか」
「ログアウト?」
「この電脳空間から脱出すること。さっきの部屋で操作して戻るっすよ。わざと電脳世界から意図的に脱出出来ないようにしてるっす」
「そのことに関しては後日まとめて教えてやる。ディアーヌ、頼む」
ここへ来た時と全く同じ様に、意識が遠退いていく…。
ところで、起きるまでの間、俺は夢を見てた。場所は何処なのか分からないが、誰かがいたってことだけは覚えている。そいつは俺が知らない奴等だった…。
いや、夢の話はいいか。
…気が付くと、俺はベットの上にいた。自分の部屋ではない…ここは救護室か?
「目が覚めましたか?」
えーっと、誰だっけ?……思い出した、あの接続室にいた人、サラさんだ。どうやら俺を看護してくれたらしい。なんか、ちょっと嬉しいね。
「ずーっと寝たままだったそうでしたから心配しました」
「ずっと寝たまま…?何時間位ですか?」
「えっと…大体23時間くらいですね」
「23時間!ほぼ丸一日じゃんか…」
仕事を丸一日サボったのと同じ…。この場合給料はどうなるのだろうか…。
ふと見ると机に向かったまま、軽いイビキをかいて寝ているメロウがいた…あれ?ディアーヌだっけ?
「まだ勤務時間…ですよね?仕事中に寝ちゃって良いんですか?」
「メローさんはしょっちゅうあんな感じなんですよ。寝る子は育つっていいますけど…」
仕事をほっぽらかして寝るのはどうかってか。サボり癖があるらしいな。
「さて、もう丸一日寝させて貰ったし、そろそろ俺は仕事に戻らないと。それじゃサラさん、ご迷惑をおかけしました」
「いいえ、あまり無理をなさらないでくださいね」
はっきり言って身体は何ともない。むしろ体調は以前よりも良い。
そういや、電脳世界って脳から直に接続してるって言ってたけど、本当に何も影響ないんだろうか。
仕事場に着いた俺はそのことを隊長に聞いてみた。
「ロマンか。身体の方はもう大丈夫なのか?」
「はい、もうすっかり良くなりました。大丈夫です。それよりも隊長にC空間について聞きたいことがあって…」
「なんだ?」
「電脳空間にアクセスした人間に何かしらの影響はないんですか?例えば人格が変わったり…」
「影響はない…とははっきり言い切れない。実はあの装置は完成してから未だ間もないんだ。よって事例も少ない。
それより、まだあまり無理するなよ。まだ身体は完全に良くなった訳じゃないんだからな」
身体の心配してくれるのは有り難いが…、事例が少ないってのは…危険なんじゃないか?
隊長はなにを考えてるんだろうか。もしかしたら俺は利用されてるんだろうか。
「おはよーロム」
そんなことを考えて不安になっていると、後ろから陽気な声を掛けられた。後頭部を見ただけで俺と分かるとは、何奴?
「寝込んでた割には顔色が良いねぇ?もしかしてサボり?」
「なんだパールか。いや確かに体調は良いけどサボってないよ。それよりも何でそんなコトわざわざ聞くんだ?」
「うん、なーんか話し掛けたくなってさ。不思議だよね。いつもはロムの体調なんかどうでも良いのにさ~」
「ひっでー、なんだよそれ」
パールから話し掛けてくるとは驚いた。いつもは挨拶を交わすくらいだったし、てっきり俺には興味ないと思ってたのに。
この日は何か…自分の全ての言動に違和感を感じる。俺ってこんな性格だったっけ?単に調子が良いだけ?
まぁ、どっちにしろ悪い気はしないので、気にしないことにした。
「お仕事おわったー?」
「う、うん。終わったよ」
しかし、C空間にアクセスして4日も経つと元に戻ってしまった。
C空間にアクセスすると人格が変わるってのはただの考えすぎだった様だ。でも、前より人によく話し掛けられる様になった…気がする。
「じゃあ早くロムの部屋でゲームしようよー」
「うん」
あれ以来、パールともよく話すようになった。今日は一緒にゲームするとかで、先に仕事を終わらせたパールが待っていてくれたのだ。
しっかし、俺の部屋で友達とゲームするってのも、男同士となら普通だけど、女の人となるとな…。
言っておくが、付き合ってるとかそういうのじゃないからな。でもパールがその気なら…いや、なんだ、その、うーむ…。
「わー負けたー!」
「ちょっと待ってパール。オプション変えるから」
「はいはーい!もう一曲しよー!」
ってな具合にやかましく遊んだ。1~2
時間位かな?
ゲームが一段落し、二人で互いにお気に入りの音楽を聴いていると、パールが改まった様子であるものをくれた。
「はーい、これロムにプレゼントー」
「お、カッコイイ。ありがとう、パール」
それは紅い帯、中央に×印とか、端っこに陰陽のマークがあったりして、一目でなんとなーく気に入った。
「じゃね、ロム。また明日ー」
「あ、うん。また明日」
…楽しかったなぁ…。
パールが帰って暫くすると、部屋のドアがノックされた。パールが何か忘れ物をしたのだろうかと思ってドアを開けたら…隊長でした。
真面目な表情をした隊長の顔を見上げる羽目になるとは。隊長が俺の部屋を、しかもこんな時間に訪ねて来るのは初めてだ。
「ロマン、ちょっと良いか?お前に話しておきたいことがあってな」
「あ、ああ…はい」
「応接室を空けといたから、そこで話そう。来てくれ」
しぶしぶ応接室まで移動。何だか今日の隊長は何時ものピリピリした隊長とは違って、物腰が柔らかな感じがした。
「取り敢えず座ってくれ」
座ったけど、何だか緊張してしまって中々言葉を返せない。3日前の俺だったらペラペラ喋っていただろうな。
「お前には関係ない話になってしまうかもしれないが、聞いてくれ」
「………はい」
「俺は絶対機関の前身となった連盟のことを旧絶対機関と呼んでいる。俺の父親と母親はそこの隊長と看護士だったんだ。二人揃って旧絶対機関のカリスマ的な存在だった」
「あの、前からずっと隊長に聞きたかったんですが…絶対機関はどんな理由で結成されたんですか?」
「現在の絶対機関については後から話すが、旧絶対機関は元々絶対主義国家の軍機関だ。絶対主義国家というのは、王が絶大な権力を持つ国、言わば独裁国家だな
そして今の絶対機関だが…、実を言うと機関を結成したのは他の誰でもない、この俺なんだ」
隊長が絶対機関の創立者!?でも頭の片隅で隊長がそういう人なんじゃないか?って思ってた。
にしても『機関』と呼ぶからには、やはり何かしらの目的があるのだろう。俺は改めて質問した。
「隊長、この機関の目的って、一体何なんですか?」
「ああ、俺は相対機関への復讐の為に、この機関を結成したんだ」
「…!」
「今さっき話した俺の母親と父親の二人は相対機関に暗殺されたんだ。幸い、母親は一命を取り留めて未遂に終わったが」
「そんな…一体何故暗殺を…?」
「俺にもどんな意図があっての行動なのか詳しくは解らない、だがどうやら父親が旧絶対機関のリーダーだったことが関与している様だ。
暗殺されたのは俺がまだ8歳の時でな、当時はまさか父親が殺されたとは夢にも思わなかったさ。
知ったのは7年後、15歳の頃に叔父から聞かされたよ。その時に俺は親父の仇を討とうと決めたんだ」
隊長は今まで、その一つの信念を貫き通してここまで来たのか…。
「そして、これからが一番大事な話になる。相対機関を倒すにはロマン、お前の力が必要なんだ」
「おれの…力…?」
「場所を転々としているらしく、未だに相対機関の具体的な所在は掴めていない。そこでC空間を利用する。C空間は、自身をデータ化しコンピューターと直接続することが可能な空間。
そしてその背景データ、最初のログインの時には草原を選んだあれだ。どんな風景でもデータ化すれば背景に設定することが出来ることが解っている。
つまり『現実』を情報化すれば、『この世界』を背景として選択し、リアルタイムに更新することで、仮ではあるが『この世界』の中を自由に移動することが出来る」
…あまりに突拍子し過ぎている。そもそも『人間』を情報化すること自体が不可能と言われているハズ。
なのに『この世界』全部を情報化だなんて、俺には考えられない話だ。本当に現実をシュミレーション出来るなら、それこそまさに…。
「…そう『シミュレーテッド・リアリティ』だ。『仮想現実』と呼ばれる。今はスキャン間隔の調整中、もう完成間近と言った所だな」
「…な、なぜ…俺なんですか?」
「まずC空間でまともに戦闘出来る者自体が少ない。仮に出来たとしても進んでアクセスしてくれたのは2~3名だった。
前回にテストを受けさせたのは、お前が他の隊員と比べ、C空間での戦闘力がかなり高いからだ。結果として無理矢理ログインさせた形になってしまったな」
「でも、俺にできることなんて…」
「お前にやって欲しいことは、『C空間へアクセスし、仮想現実の中で相対機関の居所を探し出すこと』だ。
相手も本気だ。時として多量のヴァイラスを相手にする事もあるだろう。正直何が起こってもおかしくない。
しかし、これは俺の人生を賭けた闘いなんだ。頼むロマン、お前の力を貸してくれないか?この通りだ」
隊長に頭を下げられた…。こんな隊長を見るのは初めてだし、自分がこんなに必要とされたのも初めてだ。
最初は俺にそんな事が出来るか不安になってたけど、隊長の話を聞いてる内に実はもう決心してた。
「…はい、俺やります。やってみます」
最近よく思ってたんだ。『誰かの役に立つ様な事をしたいな』ってさ。やっぱ死ぬまで一個位は人の為になるでっかいこと、やっておきたい…よな?
「ありがとう、ロマン」
その日の夜は、何故か“もし断っていたら…”なんて考えてしまって、どうも寝付けなかった。
「…ロマン・フェルステンベルクとパールは今すぐ地下B2階の接続室に来てくれ」
いつもの様に仕事をこなす昼下がり、いきなり機関内放送が流れ出した。聞く限りではどうやら隊長の様だ。
「初めてなんじゃない?放送なんか使って呼び出すとか」
何も悪いことをした覚えはない。
「そういえば使われたところなんて見たことないな。そいじゃあ俺、行ってくるわ」
話しかけてきたのはガイ・アシュレイ。実は最近まで同じ部にいることに気がつかなかった、俺の小学からの知り合いだ。
前に来た時を思い出しエレベーターで地下フロアに降りると、パールが先に待っていた。
「ロム遅いよー、早く行こうよー」
「待っててくれたのか…そういやパールはC空間のことをいつ?」
「あたしは昨日C空間のことを知って、行ってきたよー。ロムも行ったんでしょ?」
「なんだパールも行ってたのか」
それにしても、なぜ俺とパールが選ばれてんだろう。
以前に電脳世界もといC空間へ行った俺だけならまだしも、何でパールまで行く必要があるんだ?
C空間へ行くことが出来る奴は本当に一握りなのか?…まぁ、いつまでも解けない問題を考えていても仕方がないか。
接続室は以前に来た時から全く変わっていない。相変わらず入り難い雰囲気だ。中に入ると隊長、同じくサラさんと昼寝中のメロウの姿もあった。
特にサラさんには、初めて此処に来た時お世話になったなぁ。…やっぱり一言お礼言っといた方が良いかな。
「あ、あの…サラさん…あの時にはお世話になりました」
「いえいえ、お礼を申し上げるのは私ではなく隊長さんですよ。私とメローさんは次の日の朝に隊長さんと交代しただけですから。実質ほとんど隊長さんがロムさんのことを看護していましたし」
…目は合わせてくれてなかった。いや…気にしないけどさ…。
そうか隊長が…いや、サラさんに看護されてたと思い込んでたから少しショック。俺って皆から世話になりっぱなしだな。なんか申し訳ない。
「けっこう早かったな。パールとは大違いだ」
「時間にルーズですいませーん」
…あれ?パールってそんなにルーズだったかな…。
「今日はお前達に今からC空間へ再びアクセスし、『マルウェア』を削除して貰いたい」
「マルウェア…?」
「相対機関が送り込む、C空間に感染し機能を停止・破壊しようとする不正プログラム、つまりコンピューターウイルスだ」
…最初からそう言って欲しかった。
「ウイルスってことはパソコンにあるような対策ソフトって使えないんですかー?」
「アンチウイルスソフトウェアの事か。いや、単に完成していないだけだ」
「あらー、そーですかー」
パール、鋭いなぁ…。俺なんか疑問が浮かんでも、そんな質問とか出来ないよ…。
隊長の長い話をボーっと聞きながら、ふとポケットに手を入れたら、あの時パールから貰った帯が入ってた。
ああ、あれからポケットに入れっぱなしだったのか。納得。
「あの、隊長。C空間には物を持ち込めるんですか?」
「あー!あたしがあげた帯、持ってきたのー?」
「帯か?それ位の物であれば大丈夫だ」
電脳世界へ2回目のアクセス。前回と同じく椅子に座り気分を落ち着かせる。
まだ少し緊張するけど、2回目という事…いや、今回はパールと一緒に行ける事もあって、以前よりもずっと気が楽だった。
「よし…サラ、頼む」
「はい」
初めて此処に来た時はあまり気にしなかったが、改めて見渡すと怖いくらいに無機質な空間だ。と、何だか見慣れない物が遠くで蠢いているのが見て取れた。なんだありゃ。
やや遅れて隊長とパールもやって来た。
「いやー、やっぱりまだ慣れないねー。おっ、なんかへんなのがいるぞ?」
「あれがマルウェア、俺はあのタイプを『ジョーク』と呼称している。感染・破壊能力を持たない、所謂『いやがらせウイルス』だ」
と、隊長は指を指しながら説明。単なる悪戯ウイルスか…。てっきり、こう…もっと凄いやつだと思ってたからホッとした。
「感染はしないがジョークは物理的に攻撃をしてくる。油断するなよ」
俺は早くも精神的にダメージを受けてたんだけど。
「ロマン、お前のバスタードソードだ。パールはこのエストックを使え」
隊長から受け取った剣は確かに以前使ったやつと同じ形をしていたが、その刃は淡く光っていた。
「その剣は形こそ現実世界の物と変わらないが、C空間内のマルウェアやユーザーを物理的に攻撃出来るようにプログラミングされている」
「質問!ユーザーって何ですかー?」
「今、ここにアクセスしている俺達の事だ。間違って味方に攻撃しないように注意しろよ」
「質問!この世界で斬られるとイタイのー?」
「現実世界の本体にダメージはない。が、痛みはある。下手すると脳が錯覚を起こして本体にも傷痕が出来る事例もあるな」
おいおいおい、脳が錯覚って…そういう実験を前にTVで見た事あるぞ。いや、TVの情報を鵜呑みにする訳じゃないが…。
試しに俺は手の甲をつねってみる…痛い。流石に夢オチではないようだ。
今までの俺ならこの無機質な空間はハッキリと作り物だと言えたが、ここまで感覚が鮮明だと本当に此処は仮想空間なのかと疑ってしまいそうだ。
「じゃあロムは右の12体、あたしは左の5体ね」
「え?どこの12体?ってか俺だけ随分と多くない?」
なんだか先が思いやられるなぁ。そんな俺の不安をよそに、パールはやる気満々のように見える。
…ダメだ。あのウイルスの所まで走って剣で斬る。頭では解っているのに、足が一歩を踏み出せない。
「二人共、力を抜け。最初に此処へ来た時の試験を思い出すんだ」
…二人共?ふとパールの方を見ると、明らかに行くのを躊躇っている。というか身体が小刻みに震えている。さっきの余裕は演技だったのか…?
そうだ、あのテストの時は人形とはいえ、この剣で思いっ切りぶった斬ってやったじゃないか。今回も同じ様なもんだ。
俺はパールに貰った帯をポケットから取り出し、額に締めた。その理由はなかった。ただなんとなくだった。
目一杯地面を蹴り飛ばし、ウイルスの所まで走り、後は力に任せて振り回す。単純明快、実に簡単な問題だ。
秒数なんて数える間もなく、気が付けば全てのウイルスを倒していた。…あ、パールの分も全部倒してしまった。
案ずるも産むがやすしって、まさにこのことかな。なんて考えてた。それでも楽な仕事とは言えないけど。
「マルウェアの全滅を確認。二人共、お疲れさん」
隊長の言葉をよそにパールの事を気にする俺。さっきから表情が暗い。でもさっきとはまた違う、なんか…嫌な事とか思い出した様な顔だ。
「…どうしたの?パール…」
「ん?あ、いや!なんでもないよ!?いやぁ、ロムってやっぱり強いねー。やっぱ男の子だねぇ」
「ロマン、初仕事にしては上出来だぞ」
い、いやぁ…そんなに褒められると、なんだか照れるなぁ…。
その後、電脳世界もといC空間からログオフした…でいいのか?意識が戻った時間は最初にログインした時と比べて随分早かった。
ここは…救護室か。今回、目を覚まして最初に目に入ったのは、おそらく看護をしてくれた隊長とライコウだった。
「おはようっすロム」
「段々と身体が慣れてきたみたいだな」
そっか、慣れてきたのか…そういえばパールはどうだったんだ?
「隊長、パールの意識はすぐに戻ったんですか?」
「意識が戻る時間は人によってまちまちなんだ。ハン…パールはお前と比べて早いだけだ」
ふーん、……ハン…?
どうやら意識が戻るまでの間に日付が変わってしまったようだ。なーんか時間が勿体ない気分。身体も怠いし、俺は部屋に戻ってもう一眠りすることにした。
エレベーターに乗り込み、自分の部屋の階のボタンを押す…前にエレベーターは一階に向かった。
ドアが開き入って来た人は、随分と背の高い女の人だった。俺より少し高い位だろうか。
「あ、もしかしてこの機関の人?」
「はい、情報課のロマン・フュルステンベルグです」
「私はレティシア・ラ=フォンテーヌよ。じゃあここの隊長が何処に居るのか分かる?よかったらそこまで案内してくれない?」
「あー、はい、分かりました」
隊長は…多分もう部屋に戻っているだろう。辛うじて隊長の部屋は覚えている。きっと悪い人ではないだろうし、連れていってもいいだろうか。
取り敢えず隊長の部屋の前まで連れて来た俺は部屋のドアをノックする。因みにドアはどこにでもあるようなノブ式。この機関はハイテクなのかローテクなのかよく分からない。
「隊長、あの…ーお客さんです」
返事がない、ただの留守のようだ。
ってかお客さんて…でも他にどう言い回せばいいか分からないしなぁ…、恥かいたなぁ…とかオーバーに考え込んでいると、留守にしていた隊長が戻ってきた。
「ロマン、どうしたんだ?こんな所で」
「あのー…お客さんです」
「『隊長さん』お久しぶりね!」
「…レティシアか?…何故ここに?」
「無事大学院を卒業できたの…貴方にはとてもお世話になったから、お礼をしたくて」
「恩返しのつもりか?そんなものいらん…昔からの馴染みを助けるのは当然の事だろ?」
「まぁまぁ。今日、通達が来なかった?20歳の女性がこの機関に入隊するって」
「確かに来てはいたが、まさかお前だったとは…。新しい隊員の履歴書には即刻目を通しておくべきだな」
「まっ、これから宜しくね。あ、あとそれと…」
以上、隊長とお客さん会話シーン。
誰かと思ったら隊長の幼なじみだったのか。俺にも幼なじみがいたけど、引っ越しちゃったんだよなぁ…えーっと名前はなんだっけ…。
「あんた、名前は?」
「えっ?あ、ロマン・フェルステンベルクです」
さっき言った。
「あんたもこれから宜しくね」
「あー、はい。よろしく」
いきなり話し掛けて来たからビックリ。危うく噛みそうになった。レティシアさんか…また名前を尋ねられたのも驚いたが。
で、二人はそのままどっか行ってしまった。何だか疲れた…。
「綺麗な人っすねぇ」
「!!!」
いつの間に。
「びっくりしたなぁ…じゃあ何?ライコウはああいうのタイプ?」
「ぶっぶー!自分より背が高い人はパスっすね」
151cm以上アウトっすか…ってことは…。
「んじゃメロウは?」
「な、なんで呼び捨てなんすか!?もしかしてそーゆー関係すか!?」
「ち、違うよ。なんとなくだよ…あとメロウって苗字だし…」
「あっ…そっすね」
なんと分かりやすいやつだ…。
そういや、隊長とレティシアさんが話している時、隊長は若干焦っているように見えたが、…気のせいだろう。
さて、俺はさっさと部屋に戻って休んでしまおう、うん。なんか今日はそんな気分だ。
…目が覚めると、部屋は窓から入った眩しい日差しに包まれていた。
布団に横になって少し休みつもりが、朝まで寝てしまったようだ。実に9~10時間も寝てしまった。
ところで、夢というのは普通ぼんやりとしか覚えていないもんだ。まぁ夢はパラレルワールドから漏れた情報っていう説もあるらしい。
しかし、今回の夢の記憶は何故か鮮明に覚えているし、何よりもやけに現実的で、本当に自分がそこに居るかのような感覚だった…エロい夢だったら良かったのに。
寝過ぎたあと特有の気だるさを残しつつ、俺は仕事場に向かう。まず始めにそこで出迎えてくれたのは、同僚のガイ・アシュレイだった。
「はぁ…おはよう」
「おはようロムくん。朝からダルそうじゃん」
「ちょっと寝過ぎた。10時間くらい寝たかな」
「随分寝るねぇ…あーそうそう。朝早くからココにメローさんが来て、ロムくんに伝言残してったよ。話があるから部屋に来てほしいって」
「えっ?メロウが?」
“もちろん”女性の部屋へ招かれたのは初めて。当然驚いた。
「女子寮に行かなきゃなんねーのか…気が引けるなぁ。じゃあいってくるわ」
「いってらー」
廊下の案内板を見てみると、メロウの部屋は俺の部屋の丁度3階下だった。ちなみにパールの部屋は俺の部屋の一つ上。しょっちゅうドカドカとうるさい。
この機関本部の居住区は奇数階が男子寮、偶数階が女子寮になっている。従って偶数階の居住区に行くことは気まずい事この上ない。
周りの目を気にせずメロウの部屋のドアをノックする。
「あの、ロマン・フュルステンベルクです」
ドアはそう待たないうちに開いた。
「すいません、忙しいのに呼び出してしまって…中に入って下さい」
こりゃ正直ドキドキもの。これは俗にいう『フラグ』なのではないか?…なーんてね…。
とりあえず座れる所に座る。メロウの部屋はやけに散らかっていた。片付けが下手なタイプなんだろうか?だとしたらちょっと意外ではある。
「ロマンさん、お茶です。すいません、散らかってますけど」
「いや、大丈夫。それとロマンじゃなくてロムでいいよ」
「じゃあロムさん。実は改まって話があるんです…あの…」
…ドキドキ。
「ノエルっていう人知ってますか?」
…ガックリ。
ノエルという名前に聞き覚えはなく、メロウの質問に答えることは出来なかった。…だけど、その台詞はどこかで聞かれたことがあるような気がする。
「んー…知らないな」
「そうですか…すいません、変なこと聞いてしまって」
「いや、それより…その人がどうかしたの?」
「ノエルは私の兄の名前です。数年前に事故で亡くなったんですけど」
「あ…ごめん」
「いいえ、大丈夫です」
会話も弾まず、重く気まずい空気になってしまった。…その張本人は俺なんだけど。
こんな空気の流れを変えたのは、滅多に使われない機関内放送だった。
「ロム、メロウ、パール、レティシア、至急接続室に来てくれ。緊急事態だ」
隊長だった。放送を使って呼び出すってことはC空間に行くことを意味していると思う。それ以外に使われたことがないし。
「行きましょう、ロムさん」
「う、うん」
急ぎ足で接続室へ。パール達は既にC空間へログインしていた。なんという手際のよさ。
「ロマンさん、皆様が待っていますから急いで。いつでも接続できるようにしていますから」
サラさんにせかされて、前回のように椅子へ腰かける。これで接続するのは3回目になるが、もう目を瞑るだけで接続できるようになった。いや、なってしまった。
「来たっすね」
「ロマン、やっと来たか」
「遅いよロムー」
「ちょっと、いつまで待たせる気?」
「ご、ごめん」
そういや、ここへ最初に来た時は隊長、ライコウ、俺の男3人だったんだな。今考えるとちょっとむさかったな…。
「たいちょー、今回もウイルス退治ですかぁー?」
「ああ、目の前に見えるあれがそうだ」
隊長が指差したそれは…一瞬自分の目を疑った。明らかにデカい。驚きを隠せずに大声で喚いたのはライコウだった。
「た、隊長…アレでかいっすよ!通常のウイルスの十倍はある!!」
「そうだ。巨大ウイルス『ワーム』。かつての大戦でも使われた強力なウイルスだ」
「いよいよアイツらも本気を出してきたってことっすね」
…大戦?
「たいちょー、大戦で使われたってどういうことですかー?」
「それ、俺も同じこと考えてた」
「えぇー?ロムもー?」
「えぇーって…」
あっ、隊長が微妙に気まずそうだ。
「…かつての大戦というのは、C空間の中で起きた戦争だ。だから一般には殆ど公にされていない。
今、俺たちが使用しているこの空間は、その戦争で使われた後、解体・凍結されていたものを再構成したものだ」
全く知らなかった。この機関には謎が多い…。
「まずは雑魚から片付ける。ロマン、お前は左から、パールは右から『ワーム』の後ろを回り込むようにして斬り進む。ライナスは好きなようにやれ」
「うーん、こんなにデカいのを相手にしたことは無いっスよ」
「ちょっと!私はどうすればいいの?」
「レティシアは俺についてこい。正面突破する」
と、隊長は見たこともない大剣を持ち出した。というか持っていた。
「うわー!たいちょー、その剣はなんですかー?」
「これはツヴァイヘンダーという、400年以上前の騎士達が使用していた大剣だ。全長が180cm、重さが3.3kgある」
「僕には持つだけで精一杯。これを振り回すなんて隊長にしか出来ないっス」
ところで俺はさっきから口数が少ない。何せ、前回、ぶった切った雑魚とは比べものにならないウイルスがすぐそこまで迫ってきているんだ。
この緊張感は半端じゃない。今から、何が起こるかなんて考える余裕もないぜ。
「防衛ラインまで103m、敵ウイルスまで77mです」
メロウの通信が入ってきた。無機質な空間にメロウの声が響く。
「わっ!?通信は場内アナウンスなんですねー」
「C空間に搭載されている初期システムの一つだ」
「何故こんなシステムがわざわざあるのか今だに解らないっすよねぇ…」
やっぱり、C空間の事を全て解明できた訳ではないらしい。何時どんな事があってもおかしくないという隊長の言葉を思い出した。
みんな急に黙りこくり、沈黙が続く。ふと隊長と目が合った。
「行けるか?ロマン」
「…はい」
「…よし、行くぞ。みんな」
沈黙を打ち破った隊長の声。俺達はウイルスの大群へ走る。俺はワームの左側に目一杯、全力疾走だ。
一回目や二回目のように、上手くやることが出来ると信じて、立ちはばかる雑魚ウイルスを切り捨てていく…。
前回は大丈夫だったんだ。だから今回も大丈夫、俺は成功させる自信がある!
…俺のそんな自信は、いとも簡単に打ち砕かれた。
大きな音、まるで大型トラックがすぐ近くを走り去ったような凄まじい騒音が俺の右側から後ろに動いたのが分かる。
その巨大ウイルスは大きさだけじゃなく、敏捷さもほかのウイルスと並外れていたのだ。
とんでもない速さ。それはあっという間に視界から消え、気がつけば俺の身体は宙を舞い地面に打ち付けられていた。
その痛みは随分遅れてやってきた。何せ、俺には大きな音がしてから数秒間、一体何が起こったか分からなかったのだから。
「マジ…かよ…」
所詮、俺なんてこんなもんだ。そういえば…自分に自信を持つなんて考えた事もなかったっけ。慣れない事はしないもんだな…。
「ま、まずいっす!ロムが!!」
「落ち着け!俺がウイルスを追っ払う。お前たちはその間にロムの体の安全を確保しろ!」
「ロムしっかりして!ロム!」
頭がぼーっとしてきた。目の前が真っ白だ…。誰かが俺の事を呼んでいる様だが…その声も小さくなっていく。
…。