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もう少し時間がかかりそうな課長と透は後から合流することになり、薫は梓と先に会社近くの居酒屋に来ていた。
「薫ちゃん、ビールでいい?」
「はい、大丈夫です。」
先に始めていていいと課長からのお達しがあったため、薫と梓は二人で冷えたビールジョッキで乾杯した。
「どう?仕事には慣れてきたかな?」
「はい!みなさんが的確なフォローをしてくださるので、助かってます。」
「それなら良かったわ。薫ちゃん、本当に優秀だもの。入社2週間目でリーダーに抜擢されるなんてそうそうないわよ。」
純粋に褒められているのがわかった薫は、嬉しくなって笑顔でお礼を返した。
「でも、何か困ってることとかあったらすぐに言ってね!仕事のことじゃなくてもいいからね。」
仕事以外で困っていることと言われると、薫はパッと透のことを思い出してしまい、一瞬怪訝な表情を浮かべてしまった。
それを見逃さなかった梓は、心配そうに薫に問いかけた。
「やっぱりあるのね?私で良ければ何でも相談して。」
正直に口にするべきか悩んでいた薫だったが、何かを話さなければいけない空気だったため、曖昧に透のことを聞いてみることにした。
「えーっと、藍川先輩はどういう方なんですかね…?」
「あー、藍川くんか…。そうよね、歓迎会であんなこと言われたら気にもなるわよね…」
薫が先ほどまでそうだったように、表向きには歓迎会からの一件はタチの悪い冗談だと思われているようだ。
「普段はあんなことする人じゃないんだけど、なんか薫ちゃんにだけは必要以上にちょっかいかけるのよね。」
なんだか自分が特別扱いされていると言われているような気がしてしまい、薫は少しドキっとしてしまった。
「…うーん、たぶんだけど、自分とよく似てるから気になるんじゃないかな?」
「えっ?」
「ほら、藍川くんも入社してすぐ販売促進部配属だったし、二人とも優秀な上に容姿もいいでしょ?男女ともに注目集めちゃうタイプじゃない?」
身に覚えはあるが、自分では肯定も否定もしがたい内容だったため、薫は黙って梓の話の続きを待った。
「だから、入社当初は結構やっかみとか受けてたのよ。まぁ本人は慣れたものなのかあの笑顔で全部スルーしてたけど…
でも、たぶんずっと気張ってたんだと思う。だから、自分と境遇似てる薫ちゃんの肩の力抜こうとしてたんじゃないかな。…まぁ、ちょっとやり方はどうかと思うけどね。」
梓の考察を全て聞き終えた薫は、お昼の一件を思い出した。
(…きっと、イタズラメールも、陰口も経験してきたことなんだわ。だから、すぐにおかしいことに気が付いたのね。)
透がいち早くイタズラに気付いて薫を探しに来たことといい、陰口にやり返してくれたことといい、対応が早かったことに納得がいった。
(…私と同じように平気なふりしてても、あの笑顔の下では、何度も傷付いてきたのかもしれない。)
今まで笑顔の裏側に隠されていた透の気持ちが少しだけ理解できた薫は、どこかでもっと透のことを知りたいと思っている自分に気付いてしまった。
そんな自分に驚いて黙っていると、心配した様子の梓が薫に優しく語り掛けた。
「だからね、悪い人ではないのよ。…誤解しないであげてね。」
「あっ、はいっ。」
慌てて梓の言葉に返事をした薫に、梓は微笑みを向けるとチラッと入り口の方を見やった。
「…あら、噂をすれば、ご本人の登場かしら?」
店員のいらっしゃいませの掛け声が聞こえると、課長と透の姿が見えた。
笑顔の裏側を覗いてしまったような気がした薫は、本人の登場に落ち着かない気持ちになって視線を目の前の料理へと移した。
「すまん、待たせたな。」
「すみません、課長。お先にいただいてまーす。」
「薫ちゃんも待たせてごめんね。ビール二つ追加お願いします。」
透に話し掛けられたものの、薫は顔を見ずに頷くことしかしなかった。
店員が追加のビールを持ってくると、改めて課長がジョッキを宙に掲げた。
「じゃあ、高坂の初リーダー抜擢を祝してカンパーイ。」
課長がそういうと薫は慌てて顔をあげて、ありがとうございますっと言いながらジョッキを重ねた。
―――――
次の企画や同僚の話をしていると、いつの間にか透たちが来てから一時間ほど経過していた。
「らからぁ、かおうちゃんにちょっかいかけちゃらめなんらからねっ!」
「はいはい、わかったから。」
もう完全に舌が回っていない梓が、絡み酒を始めると解散の雰囲気となった。
「藍川、俺はこの酔っ払いをタクシー乗せてくから、お前は高坂を無事に社員寮まで送り届けてやれ。」
「わかりました。お疲れ様です。」
課長の指示が聞こえると、ほろ酔いでいい気分だった薫の頭が一気に冴えた。
「じゃあ、行こっか?」
あの有無を言わせない笑顔でそういった透に、薫は頷くしか術はなかった。
店を出ると、とぼとぼと透の後ろをついていた薫だったが、透に酔いを醒ましたいから話そうと言われると、しぶしぶ透の隣に行き並んで歩き始めた。
「…うーん、あからさまに避けれるとさすがに傷つくんだけどな。」
「…っ!すみません…」
薫の一連の行動の核心をつく一言を発した透に、薫は思わず謝ってしまった。
「俺のこと、苦手?」
「…」
正直に言ってしまうと、苦手な分野に入るため、薫はなんと言ったらいいのかわからず黙ってしまった。
「まぁ、そうだよね。薫ちゃんにとっては、入社早々いきなり告白してきた軽い先輩にしか見えないよね。」
「……軽い、とは思ってませんけど…。」
冗談まじりじゃない告白をされたときには、それが本気であることは伝わってきたし、透に女癖が悪い印象は持っていなかった薫は、その部分は否定しておいた。
「そっか。…じゃあ、薫ちゃんにとって、俺ってどんな人に見えてるの?」
「えっ?」
急に予想外の質問をされた薫は、どう答えたらよいのか困ってしまった。
(……顔が良くて、仕事できて、優しいところがあるのはわかったけど…)
「……掴めない人って…感じです。…藍川先輩が、何を考えてるのか私にはよくわからないんです。」
「…」
二人の間にしばしの沈黙が流れた。
しかし、それを破ったのは薫だった。
「……どうして、私のこと好きになってくれたんですか?」
このチャンスを逃したら聞く機会がなくなる気がした薫は、思い切って一番疑問に思っていたことを口にした。
もしも、この答えを聞けたなら透の本心に近づける気がしていたのだ。
ふっとまた切ない表情をした透はおもむろに口を開いた。
「…忘れられなかったから。」
「え?」
「俺は、君の笑顔がずっと忘れられなかったんだ。」
「?」
出会ってから2週間も経っていないのに、忘れられなかったとはどういうことなのか、薫には到底理解できなかった。
「君は覚えてないだろうけど、俺たち前に一度会ったことがあるんだよ。」
「…えっ?」
身に覚えのないことを言われて、薫は動揺を隠せなくなってしまった。
「少し世間話した程度だから、君が覚えてないのも無理ないよ。」
「…」
「…なのに、俺はずっと忘れられなかったんだ。だから、君がうちに入社してきたとき、もうこのチャンスを逃したらいけないって思った。」
気がつけばいつの間にか社員寮の前についていて、門の前で透が立ち止まった。
「だからどう思われてても、俺は君を諦めるつもりはないから覚悟しておいてよ。」
透はまたいつもの笑顔に戻ってそう言い切ると、薫に寮へ入るように促してその場を立ち去ろうとした。
しかし、透の語った事実に頭が追いついていない薫はそこに立ち止まったまま口を開いた。
「…いつのことですか?」
どうしても気になってしまった薫は、反対側を向いた透の背中に質問を投げかけた。
薫の問いかけに振り向いた透は、また切ない表情を浮かべた後、困ったように笑った。
「…それ、俺に聞いちゃうの?」
「…だって…気になって眠れません…」
忘れられた本人に聞くのはさすがに失礼なのはわかっていたが、薫はどうしても知りたくなってしまったのだ。
「…そんなに気になるんだったら、それは薫ちゃん自身に思い出して欲しい。」
「…」
「まぁ、一晩中俺のこと考えてくれるならそれはそれでいいけどね。」
「!?」
じゃあ、おやすみと言うと透はそのまま駅の方へと歩いていってしまった。
酔いのせいなのか、はたまた違う理由なのか、少し火照った顔を冷ますために、薫はしばらくその場に立ち尽くしてぼんやりと透の後ろ姿を見つめていた。