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合図  作者: 望美
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「あらっ、薫ちゃん!いらっしゃい。」




「……3日しか経ってないのに来ちゃいました。」



いつもは一週間以上あけて来店することの多い薫が3日しかあけずに現れた様子に驚いた様子の奥さんは、すぐにいつもの笑顔で薫を迎えてくれた。




「あの味がどうしても忘れられなくて。」



「まぁ、そんなに気に入ってもらえたなんてうちのお父さんも喜ぶわ。」



いつものカウンター席に座ると、薫はすぐにコラボスイーツと紅茶を注文した。


あれからどうしてもあの味が忘れられず、コンビニであのチョコレート菓子を買ってみたりもしたのだが、物足りなくなってしまった薫は、結局3日ぶりに店を訪れてしまった。



奥さんがスイーツと紅茶を持って来ると、薫は待ち焦がれたものを味わえる幸せで、思わずほころんでしまった。






「これ、お好きなんですか?」



スイーツばかり見ていた薫は、話しかけられて初めて隣に見慣れないスーツの男性が立っていたことに気付いた。



「…あっ、はい。この前一度食べたんですけど、忘れられなくて。」



普段は男性に話しかけられても素っ気ない態度を返すことが多い薫だが、不意をつかれたのとスイーツの話題だったことから、普通に質問に答えてしまった。



「じゃあ、僕もひとつください。」



その男性はショーケースの方にいた奥さんに注文すると、薫の隣のカウンター席に座った。

隣からよくよく見ると、その男性はとても整った顔をしていて、ニコニコと愛想のいい笑顔を浮かべていた。



「ここには、よく来られるんですか?」



「あっ、はい。」



先ほどは呆気にとられて普通の返答をしてしまった薫だったが、ナンパの類だったかもしれないと思い直すと相槌だけ打つことに決めた。




奥さんが男性の分のスイーツとコーヒーを持って来ると、男性に向かって何かを言いかけたが、男性が人差し指を口にあてる仕草をすると、優しく頷いてショーケースの前へと戻っていった。



(…もしかして、常連さんなのかしら?)



先ほどのやりとりから奥さんと顔見知りであることがわかった薫は、とりあえずナンパの類ではないみたいだ、と判断した。



「僕もこの店のスイーツ好きなんです。」



「私もです。小さい頃からここのスイーツが大好きで、今でもよく通ってるんです。」



その男性がこのお店のファンだとわかると仲間意識が芽生えた薫は、いかに素晴らしい店かということをスイーツを食べながら話し始めた。



「特にこのスイーツなんて本当に美味しくて感動してしまって、3日しかたたないうちに食べに来ちゃったんです。」



「はい。ご主人の腕のよさがわかりますよね。」



「もちろん、それは当然だと思いますけど…担当したモリヤ製菓の方の商品愛も伝わってきて、相乗効果で美味しく感じるというか…」



それを聞いた男性は、一瞬驚いたような顔をしたあと目尻を下げた穏やかな笑みで口を開いた。



「…そんなことを思っていただけるお客さんがいるなんて、きっとその方も喜んでますね。」



そう言うと、男性は伝票を持ってさっと立ち上がり、お邪魔してすみませんでした、と言い残して会計に向かった。





(…なんだか、男の人なのに話しやすかったわ。)



普段は必要以上に年の近い男性と話さない薫は、珍しく話が弾んだことに驚きながらも、きっとスイーツの話ばかりで下心を感じなかったからだと思い、残りの紅茶を口に運んだ。


しばらくすると会計を終えた奥さんが薫のもとにやって来て、何かを目の前に差し出した。




「はい、これアイちゃんから。アンケートたくさん書いてくれたお礼だって。」




そこには、モリヤ製菓のあのチョコレート菓子の箱があった。受け取って裏返してみると、大きめの付箋に綺麗な文字でメッセージが添えられていた。



《高坂さま。アンケートのご記入ありがとうございました。あんなに温かいメッセージをいただけて担当として心から嬉しい気持ちでいっぱいになりました。ご要望もどれも素敵なアイディアばかりで、今後の参考にさせていただきたいと思っています。よろしければ、またご意見いただけたら幸いです。》




(あんなにたくさん書いたのに、ちゃんと全部読んでくれたんだわ。)




アンケートに返事が来るとは思っていなかった薫は、自分の意見を受け取ってもらえたことが嬉しくなってしまった。



「奥さんっ!アンケートって何回書いてもいいのかしら?」



もちろんよっと笑顔でアンケートを渡してくれた奥さんから紙を受け取ると、薫はまた紙いっぱいに感想を書き始めた。




(…一体、『アイさん』ってどんな方なのかしら?)



「きっと素敵な女性なんだろうな…。」



薫が、ボソっと独りごちたのが聞こえた奥さんは驚いた顔をして口を開いた。



「いや、アイちゃんは確かに美人さんだけど、おと…「すいませーん!」



奥さんが何かを言いかけたところで、ショーケースの方からお客さんに呼ばれてしまい、話は途切れてしまった。



(…容姿も美人なら、外見も中身も伴ってる人なのね。)



また自分と比較してしまいそうになった薫は、小さく横に頭を振ると嫌な考えを消そうとした。






(…そうよ!参考までに、アイさんはどうやって進路を決めたのか聞いてみちゃおうかしら。)



アンケートに返事をくれる人なら、もしかしたら教えてくれるかもしれないと思った薫は、アンケートの用紙の最後に控えめに質問を書いてみた。



(…返事がくるとは限らないけど、もし答えをもらえたら私も何か見えてくるかもしれない。)



そんな小さな望みを持ちながら、机に記入したアンケート用紙を置いて、薫は席を立った。





―――――





あの日から一週間後、店を訪れた薫はいつものようにカウンター席にカバンを置くと、今日もまたあのスイーツと紅茶を注文した。



「薫ちゃん、すっかりこれ気に入っちゃったのね。」



「はい!これでも一週間は我慢したんですけどね。」



「結構他のお客さんにも評判いいから、本当に第2弾やるかもしれないわ。」



「えっ!本当ですか!?じゃあ、もっと食べに来て売上に貢献しますねっ!」



その話を聞いて嬉しくなった薫は、スイーツにフォークを刺して口に運んだ。



「あっ、そういえば、これ。またアイちゃんから薫ちゃんにって預かってたの。」



奥さんが差し出したのは、またこの前と同じチョコレート菓子だった。

お礼を言って受け取ると、すぐに裏返してみたが、この前のように付箋は付いていなかった。


明らかに残念な顔をした薫に、奥さんは笑顔でもう一つ何かを薫に差し出した。



「あと、これも。」



奥さんの手には綺麗な藍色の封筒が乗せられていて、薫はパァっと笑顔になった。

受け取るとすぐに封を開けたい衝動にかられたが、なんだかもったいない気がして、薫は家でゆっくり開けようと、鞄に大事にしまった。






その日はスイーツを食べ終えると急いで家に帰って、夕飯やお風呂、就寝準備を済ました薫は封筒を持ってベッドに腰掛けた。


ゆっくりと封を開けると、封筒と同じ藍色の便箋が入っていた。



…………………………



高坂さま。


再度アンケートのご記入ありがとうございました。高坂さまの感想を読むと、この仕事に関われたことを心から幸せに思えます。今回は、少しプライベートなお話も含ませていただいたので、このような形で失礼させてもらいました。少し長くなるかもしれませんが、よろしければお付き合いください。



私が今の進路に進むことになったのは、少しお恥ずかしい話ですが、挫折が大きなきっかけです。


実は、私の実家は古くから続く洋菓子店を営んでいます。

長子である私が、小さな頃から店を継ぐつもりでいたのですが、いかんせん私には職人としての才能がなく、今では弟が店の切り盛りをしています。


昔から実家の洋菓子が好きだった私は、作る以外の道でも良いから洋菓子に関わっていきたいと、弊社に入社することに致しました。


こう書いてしまうと、致し方なくこの道を選んだように聞こえてしまうかもしれません。

しかし、どんなときも自分のためにそのとき最善の選択をしてきたと思っているので、自分の選択を後悔したことはありません。

もしも、結果的に間違った道だったとしても、そのときにまた新たな最善の選択肢を選べばいいと私は思っています。


今はこの道を選んだおかげで、このように自分を生かせる仕事が出来た上に、高坂さまのようなお客さまと出会うことが出来ました。



なので、もし進路でお悩みなのでしたら、『今の自分のため』の選択肢を選んでみてはいかがでしょうか。

今の自分がやりたいことや心を動かされることを、もう一度考えてみてください。


おこがましくも私がアドバイス出来るのは、このくらいです。


高坂さまのアンケートを読んでいると、とても素敵な人柄が伺えました。

きっと、どんな道を選んでもそこであなたらしく輝いていけると思います。


今後とも弊社をよろしくお願いします。



…………………………




一文一文を噛み締めながら読んだ薫は、読み終えるとふーっと深く息を吐いた。

アンケート用紙の最後に添えたあんな一言に、ここまできちんとした返事をくれたこの人は、やはり思った通り優しくて誠実な素敵な人だと薫は確信した。



(…『今の自分のため』か。

…私は今何に一番心を動かされるだろう。)



薫は考えながら、便箋を封筒にしまおうと立ち上がったところで、もう一枚重なっていた便箋がはらりと床に落ちた。



…………………………



これはあくまで私の独り言と捉えていただければ良いのですが、高坂さまのような方と一緒に働けたら楽しいだろうっと考えてしまいました。

もしも頭の片隅にでも弊社のことを考えていただけるのであれば、ご検討ください。


…………………………



その一言が目に入った瞬間、薫は自分の前がぱーっと開けるような感覚をおぼえた。

アンケートに要望を書いているときには、時間を忘れるほどにどんどんアイディアが出てきて止まらなかった自分を思い出すと、薫はその提案がとても魅力的なものに思えて仕方なくなってしまった。



(…私もこの人と一緒に働いてみたい!

あんなふうにスイーツの魅力を引き出すような仕事がしてみたい!)



短絡的な発想のようにも思えたが、それ以上に今の薫を惹き付けるものは他になかった。


薫は今まで誰かの望む自分であるための選択肢を選んできて、特にそのことに異論もなく進んできたが、このままでは本当の自分がなくなってしまう気がしていたため不安を抱えていたのだ。


この手紙でそれに気付いた薫は、例え間違ってもいいから自分の思うままに進んでみようと決意した。







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