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合図  作者: 望美
3/12

3

※薫が嫌がらせを受ける描写があります。

苦手な方はご注意ください。






予想していなかった人物が立っていたことに驚いた薫は、涙もどこかに引っ込んでしまった。



「…どうかしましたか?」



普段は常に余裕のある雰囲気の透が、珍しく息を切らしている様子を見て、薫はついつい尋ねてしまった。

やっと息の整った透は、一度深呼吸をして、口を開いた。



「…あの後、やっぱり旧館で研修やるなんておかしいと思って人事部に確認したら、そんな連絡してないって言うから、慌てて薫ちゃん探してたんだ。」




(…それで、どこにいるかもわからないのに走って探してくれてたの…?)




薫は無関係であるはずの透が気付いてくれた上に、教えようと走って探してくれていたことに驚いたが、自分に手を差し伸べようとしてくれた人がいたことを知って、また涙が溢れそうになってしまった。






「…すっ、すみません。わざわざ、あり、がとうございます。」



泣きそうなのを悟られないようにしようと思った薫は、逆に不自然な言い方になってしまった。


薫の様子がいつもと違うことに気付いた透が、どうしたのか問いかけようとした時、まだそこに留まっていた薫の同期女子社員たちの話が耳に入ってきた。




「だいたい、新入社員で販売促進部とか絶対おかしいわよ。」



「そういえば、あそこの課長って高坂さんと同じ苗字だったから、コネなんじゃない?」



「あー、納得!私もコネさえあれば、藍川さんとお近づきになれたのにー。」



まだキャハキャハと笑いながら影口に華を咲かせている様子を見て、透は全てを悟ってしまった。

二人の間にしばしの沈黙が流れた。







「……あの、大丈夫ですから。じゃあ、」



全てを聞かれてしまった薫は居たたまれなくなり、その場を去ろうとしたところで、透にギュッと腕を掴まれた。

いつものつかめない笑顔ではなく、ここにいろ、と言わんばかりの強い視線を向けられた薫はその場に固まってしまった。






(…え?)



薫をその場に残したまま、透はツカツカと女子社員の輪の方へ歩いていく。







「…あれ?君たち、その資料持ってるってことは新入社員?」



「…はい、…えっ、藍川さんっ!!」



突然、社内の人気先輩社員に話しかけられた女子社員たちは驚くとともに、きゃあっと歓喜の声を上げていた。



「そうなんです!今から研修なんです!」



どうにか話を引き延ばそうと必死な女子社員たちに、透はいつものニコニコとした笑顔を向けていた。



「…そっか。まだ、ここにいるってことは君たちのところにはイタズラメールは来なかったみたいだね。」



「……えっ?!…なんのことですかっ?」



イタズラメールの話題が出て、一瞬びくりとした女子社員たちは、すぐに素知らぬ顔でしらばっくれた。



「いや、知らないならいいんだ。じゃあ、研修頑張ってね。」



そう言ってその場を去った透に、女子社員たちは何故話しかけられたのかわからない様子だったが、それよりも透と話せたことに興奮しているのか、まだザワザワと色めき立っていた。



しかし、女子社員たちと距離を取り始めたはずの革靴の底が鳴るのがピタリと止まると、あの笑顔で振り返った透が口を開いた。









「あっ、言い忘れてたけど、うちの課長と高坂さんの苗字の漢字違うよ。そもそも、うちの部はコネでやっていけるほど甘くないけどね。」



じゃあねっと、そのまま角を曲がって行った透の方を見たまま、女子社員たちは顔面蒼白のまま固まっていた。





その一部始終を柱の影で聞いていた薫は、再び驚いて涙が引っ込んでしまった。




(…これは、代わりにやり返してくれたの、よね?)




少し腹黒いやり方ではあったがスカッとした気持ちになった薫は、後でもう一度透にきちんとお礼を言うことを頭の中のやることリストに加えて、食堂の研修資料をさっと回収すると本来の研修場所へと向かった。






―――――






新入社員の集合研修が終わると、薫は急いで販売促進部へと向かった。


透のおかげで、薫は遅刻もせず、無駄に気持ちを引きずることもなく研修を受けることができた。

透に悪事がバレているかもと思った彼女たちは心なしか顔色が悪かった気もするが、自業自得だと薫は割り切ることにした。


部屋に戻る頃には、もう定時をまわっていたが販売促進部にはまだ大半の社員が残っていた。その中から、透の姿を探すが部屋には見当たらない。


もしかしたら、打ち合わせをしているかもしれないと思った薫は、とりあえず近くの会議室の様子を伺うことにした。

一番近い会議室の扉が少しだけ空いていたので、隙間からチラッと様子を伺うと、透がひとりで書類を整理している姿が見えた。


コンコンっと小さくノックをすると、はいっと応えが返ってきた。




「…あの、高坂です。ちょっとお時間よろしいですか?」



昼の一件があった手前、少しだけ気まずいが二人きりで話せる方がいいと思った薫は、了承の返事が聞こえると、すっと会議室に入りそっと扉を閉めた。


今まで打ち合わせをしていたのか、机にはいくつかの書類が置いてあって、透はそれをまとめているところだった。



「おつかれさま。研修終わったの?」



「はい。その…あの時、きちんとお礼も言えず申し訳ありませんでした。おかげで、研修も無事に受けることができました。ありがとうございました。」



何のことに対しての礼かは曖昧にしたまま、お礼を口にした薫は、下げていた頭を上げると透の様子を伺った。




「…お礼を言われるようなことはしてないよ。」



少し自嘲気味にそう言った透が気になって、薫はそのまま次の言葉を待った。




「…なんていうか、あれは自分のためでもあったんだ。あの時の薫ちゃんが、昔の俺に重なって見えて。…だから、あれは俺の自己満足。むしろ、無理に引き留めたりして悪かったね。」




女子社員たちへの行動のことを指していることがわかった薫は、まるで後悔しているような透の言い方に反論するようにすぐに口を開いた。




「そんなふうに謝らないでください!私は、おかげで嫌な気持ち引きずらずに済みました。…あんなのいつものことなのに。だから、そんなふうに言わないでください!」




急に覇気のある話し方になった薫に、面食らった様子の透は、クスッと笑うと薫には届かない声でボソッと呟いた。




「…君は変わらないね。」



「え?」



「いや、何でもないよ。…そう言ってもらえるとこっちも救われるよ。」



いつの間にかいつもの調子に戻った様子の透は、ニコッと薫に笑顔を向けた。







「そっか、じゃあ先輩としていいアドバイスをあげるね。」



「…はぁ。」



急に透の様子が変わったことに驚きながらも、薫は透の言葉の続きを待った。




「ああいうことがあったときは、犬に噛まれたと思えってよく言われると思うけど、噛まれると結局、傷が治るまでずっと痛いでしょ?」



「…そう、ですね。」



話の方向性がまったくみえていない薫は、とりあえず曖昧に相槌を打った。



「だからね、俺は犬のフンを踏んだんだって思うことにしてるんだ。」



透の美しく整った笑顔から放ったとは思えないワードが急に飛び出して、薫は思わずぶっと吹き出してしまった。



「だってフンなら洗い流せば、すぐ忘れられるでしょ?そもそも、ああいう人たちを犬と一緒にするなんて犬に失礼だしね。」



さらっといつもの笑顔で毒づいた透のギャップに、さらに追い討ちをかけられた薫は、つい声を出して笑ってしまった。



「…っすみません、ふふっ、そう思うことにしますね。」



まだ笑いの抜けない薫がそう言うと、いつもの相手に有無を言わせない鉄壁の笑顔ではなく、目尻の下がった穏やかな笑顔の透と目があった。








「…薫ちゃんには、やっぱりそうやって笑っていてほしい。」





いつもの冗談混じりの言い方とは違って、甘さをはらんだ声に驚いた薫はなんと返すべきなのかわからなくなってしまった。

少し二人の間に静寂が訪れると、透は一瞬切なそうな表情を浮かべた後、薫をじっと見つめて口を開いた。





(…あっ、あの顔。)





「だから、あのときの言葉は冗談なんかじゃないよ。」





「…」





「俺は君のこと、本気で好きなんだ。」





いつものように冗談だとあしらえる雰囲気ではない真摯な様子で、真っ直ぐに好意を向けられた薫はドキッとして返す言葉を失った。





「今すぐにとは言わないから、きちんと俺のこと見て考えてほしい。」






そう言って笑顔のまま薫を見据えた透に、何か返答をしなければと口を開こうとしたとき、コンコンッとノックの音が響いた。







「藍川まだいるよな?入るぞ。」



そう言うと、課長が梓を伴って返事も待たずにそのままズカズカと会議室に入ってきた。



「…なんだ、高坂もいたのか。まぁ、ちょうど良いな。お前らちょっとここに座れ。」



課長は薫がいたことに驚いた様子を見せたが、すぐに自分のペースに戻ると他の三人に席に着くように促した。

突然の出来事に呆気に取られると言葉を飲み込んでしまった薫は、課長に言われるがままに近くの椅子に腰を掛けた。




「ちょっと、藍川くん、まさかまた薫ちゃん困らせてたんじゃないでしょうね?」




「ああ、大丈夫。もう悪ふざけは止めることにしたから。」




さっきまでの甘い雰囲気など微塵も感じさせないくらいに、いつも通りの調子で梓に返した透だったが、チラッと薫の方に笑顔を向けた。

その笑顔が先ほどのことが現実であったことを知らしめているように思えてしまい、薫はパッと視線をそらした。



課長が雑談は終わりとばかりにパンっと手を叩くと、そのまま本題を口にした。






「篠原にはもう伝えたんだが、次のGWにある親子参加型の販促企画のリーダーを高坂に任せたいと思ってる。」







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