『宙に浮いたお話』
ふわふわと、漂い出た外は先程の雨のせいか、空気が湿っていました。
雨の匂いが辺り一帯に漂っています。
「さて、どうしましょうか?」
とりあえず出てみたは良いものの、やはりこれが問題です。
上へ行けば天国へ行けるのでしょうか。
下は地獄なのでしょうか。
宇宙、又はブラジルに出てしまいそうですが。
案外、このまま希薄になって、いずれ消えてしまうのかもしれません――
「……っ!!」
慌てて、その考えを捨てます。
元より、透けて心許ないこの身ですが、すぅっと、一瞬、体が薄くなった気がしたからです。
不安をかき立てるような、そんな、何気なさで。
「……あ、焦りました……」
ほっと息を吐き出します。
怖すぎるので、消えるのは無し、絶対に無しです。
では、どうしましょう。
「進んで地獄には行きたくありませんし、ここはやはり上でしょうか。」
雨上がりの空は澄み渡っていて、どこまでも広がっているようでもあります。
ある程度の高さまで昇ってみて、何の変化も無いようなら、下に降りる事にしましょう。
そう決め、とん、と空気を蹴ります。
家の屋根よりも高い所まで浮かんだ事が無いので少し不安ですが、原理が分かっていない今でも浮遊出来ていますから、きっと大丈夫なはずです。
信じる者は救われる。
救いが何なのか、それが私にも適用されるかは分かりませんが、私は飛べる、と信じるようにします。
――ふわふわと、体が上昇し始めました。
「……案外いけるものですねぇ。」
屋根より高い鯉のぼり、と顔を合わせながら、しみじみと呟きます。
濡れて少し重くなったのか、吹き流しも鯉達も下へ垂れたまま。
てっぺんについている丸い物が、小さくカラカラと音をたてています。
まぁ、風が弱いのもあるのでしょうが。
「片付けておいて良かった。」
うちのは、丁度私が死んだ日に下げています。
手伝えたのは、今となっては本当に良かったと思えます。
「さて。まだまだ上に行かなくては。」
一つ息を吐き、気合いを入れます。
シャボン玉は屋根に届く前に全て割れてしまいますが、私はシャボン玉ではありません。
ですから、割れて消えるようなホラーな展開にはならないはずです。
幽霊だという時点で、十分ホラーですが。
「でも、本当に宇宙まで行ってしまっては、なんだか馬鹿みたいですよね。」
ふわふわと、徐々に高度を上げながら考えます。
どこまで行けば十分と言えるのでしょう。
飛行機が飛ぶ高さまで?
――実際に浮かんでみると、どの辺りなのか分かりません。
雲よりも高く?
――イメージとしては大体その通りなのですが、やはり一番に思い付くのは、某天空の城です。
「……とりあえず、雲の上までは行ってみましょうか。」
そう決め、無心に上昇を続けます。
まだ少し怖いので、下を見る事は出来ません。
もう死んでいるので、たとえ落ちても問題はないのですが、やはりつい二日前まで生きていた身。
理屈だけで安心出来ていたら、苦労はしません。
……何か、意識を逸らす事が出来れば良いのですけど。
そんな思いも虚しく、上空に目を奪われるような物があるはずもなく。
時折近くを飛んでいた鳥の姿が見られなくなった頃には、雲はもう、すぐそこにありました。
「……あー、うー。」
何とも情けない、意味のない音が口から漏れます。
理由は簡単。
少し遠くに、自宅を発見したからです。
いえ、自宅を見つけられた事自体は嬉しいのです。
ですが、“少し遠く”にある自宅が見えるという事は、それ程の高さに居るのだと意識するには、十分過ぎるくらい十分な事だった訳でして。
「うぅ……。あと少しだし、ぱっと行ってぱっと降りましょう。」
それでもここまで来たからには、一応行っておかないと馬鹿みたいです。
意地でも下を見ないようにして、急いで雲に向かいます。
少し冷たい雲から顔を出し、私は周囲を見渡しました。
「……何もありませんね。」
当たり前ですが、天空の城はどこにも見当たりません。
辺り一面、雲の白と空の青で埋め尽くされています。
「まさか、もっと上なのでしょうか……。」
頭上には、点々と浮かぶ雲を抱えた、どこまでも続いているようで続いていない、澄み切った青空が広がっているだけです。
「……。」
ごくり。
唾を飲み込みます。
「…………やっぱり無理です。」
早々に諦め、地上へ戻る事にしました。
下を見るのは怖いですが、見ないまま降りるというのもまた怖いので、怖々と下を覗き見ます。
そして。
「……っ!」
目に映った極彩色のそれに、私は息をのみました。
先程までの恐怖心などは一瞬で吹き飛んで、視線の先にあるそれに、全ての神経が集中しているような、そんな感覚。
足下、目測およそ数十メートル。
――丸い虹が、そこにはありました。