『困ったお話』
「……困りました。」
一人、宙に浮き、私は呟きました。
思わず口に出してしまう程に困っているのです。
「どこに行けば良いのでしょう……」
そう、目下の悩みはこれです。
上に行けば良いのか、はたまた下か。
流れに身を任せていれば良いと思っていたので、こうして行くあてに迷っている今は、些か予想外ではあります。
四十九日とも言いますし、まさか、あと四十七日程もふらふらと彷徨わなければならないのでしょうか。
そう思っていると、ふいに、体を冷たい物が通り過ぎました。
下を見やると、アスファルトの地面に点々と、小さな染みが浮かんでいます。
雨です。
周りは明るく、空もそれ程陰っている訳でもありません。
「お天気雨――狐の嫁入り、ですか。」
でしたら、すぐに止むでしょう。
濡れはしませんが、やはり冷たいので、どこかで雨宿りでもする事にしましょうか。
ふらふらと、近くのコンビニに、雑誌コーナーから、ガラスをすり抜けてお邪魔します。
「失礼します……」
褒められた真似ではありませんが、これも致し方ありません。
自動ドアの前で立ち止まってしまう習性は、ふと気付いた時に空しいものですし、もしも万が一開いてしまったら、店員さんに申し訳ない気がするからです。
空調のきいた店内には、店員さんの他に、若い男性のお客さんが一人いらっしゃるだけでした。
なんだか空気が、少し硬い気がします。
「そういえば、コンビニに入るのは久し振りですね。」
記憶が確かなら、半年程前に行ったきりです。
新発売のお菓子でも、と思いましたが、買えない事を思い出し、そのまま雑誌コーナーから外を眺める事にしました。
ぽつ、ぽつと。
緩やかに降る雨を眺めます。
――――シャン、シャン
――――ピーヒョロ、ピーヒョロ
どこからか、微かに楽の音が聞こえてきました。
それは段々近付いて来ているようでもあります。
「やっとか……」
いつの間にやら隣に立っていた、ただ一人のお客さんである男性が呟きました。
手にビニール袋を提げているのを見るに、既に会計を済ませたのでしょう。
――シャン、シャン、シャン
――ピーヒョロ、ピーヒョロ
じわじわと大きくなっていくその音色に耳を傾けていると、右の通りから、それは姿を現しました。
「わあ……っ」
思わず歓声が漏れます。
花嫁行列。
和装の方々が、楽しげに歩いていらっしゃったのです。
そしてそして。
私の目は、一際豪奢な打掛を着た方に釘付けになりました。
打掛の豪華さに喰われる事なく、自身を引き立たせるように着こなした、とても綺麗な方。
その女性は、隣に立つ男性と幸せそうに微笑みあっています。
「良いなぁ……」
ほぅ、と、ため息が零れます。
その花嫁行列の方々には、いくつか不思議な点があったのですが、それも気になりません。
ただ一つ言うとしたら、狐の嫁入りとはまさしくこの事なのですね、でしょうか。
私もいつか。
そう思って、その機会は無くなってしまっていたのだという事に思い至ります。
残念です。
幽霊となってしまった今、出会いがあるとも思えませんし、たとえあったとしても、未来は無いように思えます。
せいぜい、来世を約束する程度でしょうか。
ウェディングドレスであれ、白無垢であれ、“花嫁衣装”を着る事は私の夢の一つだったのですが。
非常に残念です。
――♪~♪~♪
落ち込みかけていると、花嫁行列の音楽とは違った、機械的な明るい音楽が耳に入りました。
「もしもし?」
それは、隣で同じように外を見ていた男性の携帯電話の着信音だったようです。
木で出来た兎のストラップと、手作りらしい猫のぬいぐるみが、男性の長めの金髪を掠めてゆらゆらと揺れています。
鋭く細められた目、しわの寄った眉間。
不機嫌そうな声を出す、どちらかと言えば怖いお兄さんが持つにしては、随分と可愛らしい選択です。
「ん? あぁ、いや、良い。今目の前通ってるから、すぐに止む。……うっせぇ。来んな。じゃあな、タマ。」
ぼんやりとそのアンバランスな光景を眺めている間に、男性は舌打ちをして電話を切りました。
やっぱり怖い人のようです。
タマさんとやらの心労が窺えますね。
もしかしたら、そういうのを喜ぶM気質なのかもしれませんが。
どちらにせよ、見ず知らずの方に対してあまり色々と想像するのも失礼ですし、そもそも同情というのは、あまりされて気持ちの良いものではありません。
この辺りで、あれこれ考えるのは止めましょうか。
もう一度、窓の外に目を向けます。
――――シャン、シャン
――――ピーヒョロ、ピーヒョロ
花嫁行列はもう既に通り過ぎ、楽の音も遠ざかっていきます。
男性が言った通り、もうすぐ止むのでしょう。
ちらり、と男性を覗き見ます。
「私が見えますか?」
ぽつりと問いかけた言葉に返事はなく、男性は踵を返して、自動ドアへと向かってしまいました。
私は、その後ろについて、開いた自動ドアをくぐります。
「ふふふっ。」
思わず笑い声が零れます。
私は嬉しくて仕方ありませんでした。
だって、あの時たしかに――男性と、目が合ったのですから。
認識されるというのは、存在の証明なのです。
雨はもう、あがっていました。