島の守り神2
いきなりだが、朝は必ずやって来る。
朝日が海から顔を出す前に起きている少年としては、毎日のようにやって来る朝が鬱陶しくもあった。
母屋から起きだして、顔を洗って宿屋へと向かいカウンターに立つ。
そしてカウンターにある宿泊名簿をぱらぱらとめくり、今日滞在しているお客様の名を見て、眉を寄せる。
アニス・リングガード。昨日ふらりとこのトローニャ島にやって来た若い女の冒険者だ。
薄い桃色の髪…桃灰色と言うらしい髪色は、少年の髪とは色味の違う綺麗な色だった。
少年の髪と瞳の色を「綺麗だ」と言ったり、宿屋の事や島の人々の事を「素敵」だと言ったり。
少年には少し恥ずかしいと思える言動に、正直苦手意識が生まれつつある。
元々少年は人間があまり好きではない。
昔自身の髪色の事で色々と暴言を吐かれて以来、人の事をあまり信じられなくなっていた。
人との関わりが最小限に出来るこの宿屋の管理は、母から言われ続けた事だが、気が楽だった。
なのでほとんどこの宿屋から離れる事は無く、毎日繰り返すなんてことない日々を送っていたのに。
「……青灰色か」
少女の教えてくれた少年の瞳と髪の色。
自身の髪をつまみながら、少年は小さくこぼす。
ドブだ、雨の降る前の雨雲色だ下水の色だと言われ続けた少年には少し違った意味合いに聞こえた。
少女のの持つ明るく綺麗な薄い桃色の髪と似た、少し淡い髪色。
少年は綺麗だと思った。おそらくこの島の人々も。
そして少年はもしかして自分の持つこの色も、本当は綺麗な色なんじゃないかと考えて、頭を振った。
「俺のは、違う」
ガンガンとこめかみを軽く殴って、少年はカウンターの脇に置かれているバケツを持って宿屋を出た。
毎朝の習慣で、少年はこの島の森へと入る。
森を三十分も歩くと木々の間に白い石造りの神殿が見えて来る。
蔦に覆われたその場所は島民の誰もが知る「神の右腕」を祭る神殿だった。
「…おはよう」
誰ともなく呟いて、手を合わせる。
持って来たバケツから雑巾を取り出して、ご神体の周りにある白い石を拭く。
村長の話しではこの石には魔力が宿っているとか何とか言っていたが、魔力の無いただの人間である少年には何とも思えないただの白い石だった。
所々に紋章のような物が彫られている場所があるが、こちらもやはり少年には解読も出来ない。
「あいつなら読めるのか…?」
ふと桃色の髪を持つあの少女を思い浮かべた少年だったが、ぶんぶんと力強く頭を振ってその考えを追い出した。
そしてすべての柱を拭き終わると、いつものように太陽が海から顔を出す時間に森を出た。
「……何をしてるんだ?」
「んお?君かあ!おはよう、とってもいい朝だね!」
宿屋へ戻る道すがら、少年は目立つ髪色の少女…アニスを見て呆れたように声を掛けた。
少女の膝の上には、三匹の猫が場所のせめぎ合いをしており、にーだのふなーだの言ってその場所を退く気配は微塵も無い。
「いやあ…朝の海って見た事無かったから起きて来たんだけど…ここの先客達に膝の上占拠されちゃって…」
「…おいこらお前ら、お客さんに迷惑だろ」
ぺしぺしと猫たちの頭を優しく叩くと、不満げながらも少女の膝の上から退いた。
「…おお…すごい、君ってば猫使い?」
「そんな訳ないだろ、こいつらはただ餌持ってる人間と持って無い人間の区別が付くだけだ」
そう言ってジャケットのポケットから先程採って来たばかりの木の実を猫たちの前に置いた。
「……それは何?」
「知らないか?ビワだよ。さっき朝食のデザート用に森で採って来た」
言いながらバケツの中にも入っていたビワを取り出し少女へと手渡す。
「……ん!!んまい!!」
「だろ?この島はいろんな果物が採れる。
特に今みたいに温かくなって来たら、どんどん色々な物が採れるようになる」
綺麗な瞳を輝かせながら、少女はビワを食べ進める。
大陸から来た人間にこの島の食べ物で喜んでもらう。
少年が宿屋を切り盛りし始めて気が付いた事だった。
「美味しかった!朝ご飯にビワもある?」
「出す」
「やった!!猫さん達ありがとうね!!
君達が居なかったら私は今までビワの美味しさを知る事無く朝ごはんを食べるところだったよ!!」
一匹の三毛猫の両手を振り回しながら、少女は立ち上がった。
朝日が反射して、不覚にも綺麗だと思った。
「ねえ、まだ君の名前聞いてなかったけど…教えてくれる?」
「ヴァン・ヴァシュナー」
「ヴァンか…格好良いね、西のゲデュン国の王様と同じ名前!!」
「ゲデュン国?」
聞き覚えの無い国だと首を傾げると「牧歌的な雰囲気の、穏やかな国だよ」と教えてくれた。
「ゲデュン国の王様達にも、私達と同じような霞がかった髪色の人が居るんだよ。
エラーンって言う王子様なんだけど、その人は碧灰色なの。
大陸にはもっと珍しい紫色の髪だって真っ黒の髪を持つ人だって居るんだよ!!」
楽しげに猫を振り回す少女の話しに引き込まれつつも、少年は首を振った。
「…この島には、俺しか居ない」
「うん、でも今は私も居るでしょ?」
「?」
朝日を背に、後光を背負う少女が微笑んだように見えた。
「ヴァン君はどうも、その髪と瞳の色が嫌いみたいだけど…私は好きだよ?
だって他の人に無い物を自分が持ってるって…気分良いじゃない?
他の人が何と言おうと自分が自分らしくあらなくちゃ…自分が可哀想だよ。
ヴァン君は、私のこの髪も嫌いかな?」
少し悲しそうに微笑んだ少女を見て、少年は言葉に詰まった。
「違う、俺の色がその…綺麗じゃないだけで…お前の色は綺麗、だと思う」
「……そっか、ありがと」
海の方を向いて、少女は抱き込んでいた猫を解放した。
そして振り向いた時にはもう悲しそうになんて見えない笑顔で少年の名を呼ぶ。
「ヴァン君!お腹空いた!!」
「す、すぐに作る!!」
少年は慌てたようにしてバケツを引っ掴むと宿屋へ走った。
残った少女はその後姿を見詰めながら悲しそうに呟いた。
「……私、約束守れるかな」
少女の呟きを拾った猫が、朝日に向かって「なあん」と短く鳴いた。
日がちょうど真上に来る頃、島の人間は畑に出たり海に出たりと忙しなくなる。
そんな中、少年はいつものようにひがな一日をボーッと過ごして…居られなかった。
「…おい、あんた…」
「アニスでいーよー」
「アニスさん…」
「さんはなくていーよー」
「…アニス、なんで俺を連れ出して…それに、宿屋の仕事もあるんだが…」
がさがさと少女の胸ほどもある草を避けながら、少女は進んで行く。
その後ろに付いて行きながらも、なぜ自分がこんな事にと心の中で文句を言う。
「だって…村長さんが案内人としてヴァン君を連れて行きなさいって!」
「なんで俺なんだ…」
「この島で一番森に詳しいって村長さんが言ってたよ!!
私が迷子になられたら困るからって、フィベルさんも言ってた」
「母さんまでも…」
母の命令には逆らえないと心の底から恐れている少年は、その一言ですべてを諦めた。
「それで…神様の右腕のある神殿ってどこ?」
「先にそれを言え、方向が真逆だ」
「ええ!?」
実は内心で神殿が目的なのだろうとは分かっていたがあえて黙っていた。
少女はむっと頬をリスのように膨らませて「分かってたでしょ!」と少年に詰め寄った。
「分かってたかも知れないが、あんたの目的を聞いた訳じゃなかったからな」
「屁理屈だ!ヴァン君のケチ!」
ぷうっとさらに頬を膨らますと、さらに別方向へと勝手に歩みを進める。
それに慌てて後を追いながら「なんだ!?」と問い掛ける。
「もういいよヴァン君、私、一人で適当に迷うから!」
「待て!島に来たばっかの人間を一人で彷徨わせれるか!!」
「いいもん!!村長さんに探検と調査の許可は貰ったから!!
それに私冒険者だから森くらい一人で迷えるもん!!」
「アホか!!迷ってどうすんだ!!」
走って追い掛けるが、中々追い付かない。
それはさすが冒険者であると言わねばならないだろうが、さすがに女の子一人で森に置いてけぼりにする訳にもいかず。
少年は必死に少女を追い掛けた。
走って走って、だいぶ森の中腹辺りまで来た頃。
いきなり少女が歩みを止めた。
「だっ」
「ヴァン君、しっ!」
少年の顎先に少女の頭がヒットする。
呻いた少年に被さるように近くの木へと少女は少年を押して隠れる。
「は?」
「いいから黙って…誰か居る」
思いの外近くにある桃灰色の髪に心臓を跳ねさせながら、何度か深呼吸をして落ち着く。
少年が深呼吸している間も、少女はじっと木の後ろから向こう側を注意深く見ている。
「…いつ気が付いたんだ」
「本当についさっき、木と木の間から視線を感じて…今はあそこの木の後ろに居る」
はっきりと確信を持った声に、さすがの少年も息を呑んだ。
島に住んでいると危険と言う物からも遠くなる。
今現在起こっている状況も、少年には理解し難い。
「…ヴァン君さえ良ければ、少しだけこの状況で考えてても良い?」
「えっ」
「もうすぐ考えが纏まりそうなの。ちょっとだけ」
「う…」
そう言われて引き下がるのも男としてどうかと考えている内に、無言を肯定として受け取られてしまったらしい。
じっと黙って考え込んでいた。
そうなってしまえばもう少年の言葉など聞かないだろうと言う事は、短いながらも少女の行動と言動を見ていれば分かる事。
少年は少女のされるがままに、胸を貸した。
時間にして五分あったかどうか…じっと黙っていた少女が顔を上げた。
同じ色だと思っていた少女の瞳の色が、この近さでようやくはっきりと見えた。
濃い桃色だった。意志の強さが現れた、綺麗な瞳だった。
「ヴァン君、今からする事…怒らないでね」
「?」
何を言われたのか分からないままに、少女は少年の元から走り去る。
数瞬後に何者かのうめき声が聞こえて振り返ると、向こうの木々の間から男の両腕を後ろで拘束している少女が居た。
少年はその光景に息を呑み、色々な感情が渦巻くのを抑えられず、少年は声を大にして叫んだ。