第59代皇帝
東大陸帝国第59代皇帝、イヴァン・ロマノフⅦ世。
後世の歴史家は彼を「凡君よりの暗君」と評価することが多い。それは彼が政治より絵画を好み、改革よりも美女を愛したからである。イヴァンⅦ世は72歳にして50歳以上年下の女性8人を寵姫として迎え、さらには高名な画家に描かせた寵姫らの肖像画を何よりも愛したと言う。
だがそれも、名だたるロマノフ皇帝一族では珍しい話でもない。この帝国には三桁にも及ぶ寵姫と愛妾を抱えた皇帝や、絵画や音楽に傾注するあまり国庫も傾かせた例もある。8人の寵姫と8枚の絵画などはまだ自重してる方なのだ。加えて、イヴァンⅦ世は失政をしているわけではない。改革がほんの数十年遅れているだけである。
ここまでは、彼が「凡君」だと評される理由である。彼が「暗君」の評価を得ることができたのは、大陸暦637年の事になる。
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大陸暦636年12月15日。
東大陸帝国帝都ツァーリグラード、その中心に建つ宮殿内では典礼大臣を筆頭に近侍や執事たちが忙しなく動いている。1月1日に行われる新年会の準備のためだ。
そんな中、皇帝イヴァンⅦ世は準備に忙しい典礼大臣と病気療養中の文部大臣を除く全閣僚を召集した。緊迫した空気が流れる閣僚会議室で、イヴァンⅦ世が最初に口を開いた。その言葉は、その場にいた者を驚愕させるに十分だった。
「……早速議事に入るが、今度の新年会で私は孫娘のエレナが懐妊していることを正式に発表しようと思う。その上で、その子供が帝位継承権を持つことも併せて発表するつもりだ」
つまり皇帝イヴァンⅦ世は、エレナの子が男児だろうが女児だろうが皇帝とさせるという意志の表明である。
これに対して真っ先に反論、いや疑問を呈したのは司法大臣だった。
「陛下。恐れながら生まれてくる子が男児とは限りません。現在の帝位継承規則では女児に帝位継承権は……」
「その点は心配はない司法大臣。今日の会議でその帝位継承規則は変更する。既に宮内大臣と内務大臣の了解は取っている」
「……!」
宮内大臣と内務大臣は反セルゲイ派の急先鋒として有名だった。それは理性的な面によって嫌っているのではなくただ単純にセルゲイの人となりを嫌った、感情的な反感である。
「今日は、この帝位継承規則変更について皆の了解を得るために集まってもらった。諸君らの忌憚なき討論を期待するものである」
ここで本当に忌憚のない意見を言える人間などいない。気にしないふりをして、後日何らかの因縁をつけて更迭する可能性もあるのだ。
重々しい空気の流れる中、最初に意見を出したのは軍事大臣のレディゲル侯爵だった。
「……陛下が強く望まれるのであれば、我々も異存はありません。ですがその場合、セルゲイ皇太子殿下が納得しえないでしょう。また、恐れながらセルゲイ皇太子殿下が帝位につくものだと誰もが思っていた中で、帝位継承順を逆転させることになれば、反発する者も多いと思われます。どうか、そのあたりの配慮もいただければ幸いです」
レディゲル侯爵は落ち着いていたが、今一番反発していたいのは侯爵自身である。だが、その気持ちを最大限抑え、彼は冷然と言葉を並べた。
皇帝は、それに対して意外な反応をした。まるで「そんな意見を待っていたんだ」と言わんばかりの表情で大きく首を上下に動かしていた。
「卿の言はおそらく間違ってはいない。故に私は、セルゲイ皇太子を帝位継承権第一位の座から外すようなことはせぬ」
「……は?」
予期せぬ回答を貰った軍事大臣は、思わず聞き返してしまった。
「不満かね?」
「い、いえ。陛下に御配慮いただき有難いと存じます」
確かにこの条件であればレディゲルは表だって反論はできない。少し予想外の事ではあったが、セルゲイが死なない限り帝位継承権は動かない。暗殺の危険性が高まったものの、そもそも暗殺の危険はあった。だからこそ、セルゲイには帝都から離れた春宮殿で暮らしてもらっている。
セルゲイ派で有名だった軍事大臣が帝位継承規則に賛成の意を見せたため、別の者が反対に回ることもなく、無言のうちに皇帝の提案は採択された。
だが皇帝は閣議を解散させず、議事を続行した。
「では、本題に入ろう」
「本題……ですか?」
室内の誰かが問うた。今の帝位継承規則が本題ではないとしたら、本題とはいったい何なのか。
レディゲルは、宮内大臣と内務大臣の顔を見た。だが彼らも困惑した顔をしており、互いを見合わせている。どうやら彼らは事前に帝位継承規則の話しか聞いていなかったのだろう。
そして皇帝が告げた“本題”は、閣僚らを再び驚愕させるに十分な威力を持っていた。
「私はシレジア王国を僭称する叛徒共に対し、軍事力による天罰を下す」
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