とある補給参謀の日常
参謀。
それは指揮官を頭脳面、事務面において補佐する人の事である。幕僚と呼ぶ場合もある。基本的には旅団以上の部隊の司令官の補佐をするのだが、連隊以下の小規模部隊の指揮官にも参謀がつく場合がある。
一口に参謀と言っても種類は様々。参謀長、副参謀長、情報参謀、作戦参謀、補給参謀、人事参謀などなど。部隊の規模によって役職が増えたり、逆に統合されたりする。
12月17日。
シレジア王国軍ヴロツワフ警備隊の司令部内で、1人の参謀が唸っていた。彼の役職はヴロツワフ警備隊補給参謀補。その名の通り補給参謀の補佐役。なのだが、ヴロツワフ警備隊の参謀はなぜかとても少ないため事実上「補」の文字が消えている。
これは先のシレジア=カールスバート戦争によって人員が不足したため、各地域警備隊の高級軍人が昇進の上別の役職に回されたことに起因する。例えば、ヴロツワフ警備隊作戦参謀だった者は准将に昇進した後、東部国境にあるタルタク砦の司令官として転任したそうである。
「中尉、ここの計算間違ってるぞ!」
「申し訳ありません! すぐに直します!」
補給参謀補だから上司に物事を教わりながら気楽に仕事ができる、と辞令を渡された時彼は思っていた。だが彼の予想は大きく裏切られ、ヴロツワフ着任3日目にして警備隊補給参謀代理となっていた。
そして今彼が格闘している書類、それは警備隊内で発生した事故の処理である。
12月15日、ヴロツワフで些細な出来事が起きた。
酒に酔った隊員数名が、武器庫に保管してあった槍4本、金属剣2本、弓2張、矢80本を持ち出し逃走。ヴロツワフ郊外の平原でひとしきり狩りを楽しんだ後に警務隊に捕獲された。しかし盗まれた武器の類は全て全損もしくは行方不明となった。当然、武器庫の保管・警備体制が追及されることとなるが、それ以上に大変だったのはこの事件の顛末を中央に報告しなければならないと言うことである。
ただでさえ人員不足のヴロツワフ警備司令部は、このバカげた事件のために忙殺され不眠不休で事件の処理に当たっていたのである。
補給参謀代理は、この時に喪失した武器の補充及び武器庫にある装備の確認等を行わざるを得なくなった。まだ着任して1ヶ月の彼には無茶なことだが、それでも計算ミス程度の失敗で済んでいるのが彼の凄いところでもある。
「はぁ……休みたい……。でも、ユゼフ達は外国で頑張ってるみたいだし、こんなんでめげちゃだめだよな……」
この哀れな参謀が「士官学校同期の友人は、実は異国の地で年下の女子と逢引していた」と知るのは、だいぶ先のことになる。
12月22日。
ヴロツワフ司令部に王国軍総合作戦本部から見たくもない文書が来た。内容は、事件を起こした犯人の処遇とその後の処理、再発防止策を求める内容、全3ページ。
「いくらなんでも少なくないですかね?」
この事件は規模は小さいとはいえ恥ずべき大失態とも言えるものだ。それに対する通達が僅か3ページというのは、素人目に見ても少ないとわかる。
これに対する疑問は、彼の上司である補給参謀兼人事参謀が答えてくれた。
「人材不足はヴロツワフだけじゃないってことだよ」
「どういうことです?」
「今軍務省……いやシレジアは財政難だからな。事務処理を行う文官の人件費を削ってる最中なのさ。それで国家全体の行政処理能力が落ちてきてる。だから、こんなしょうもない事件にいつまでも構ってられないんだろうさ」
彼は説明しながら懐から葉巻を取り出し、必要最小限の初級火魔術でその葉巻に火をつけた。
「シレジア=カールスバート戦争ってのがあっただろ? あれで1万近い戦死傷者が出たんだが、その戦死者遺族に対する補償金、年金、戦傷者に対する治療費諸々は全部軍務省の予算なんだよ」
軍隊は金がかかる。平時においては装備調達費及びその維持費、そして人件費が主になる。
しかしひとたび戦争が始まると、戦死傷者に対する補償金というものが発生する。これはバカにできない損失だ。なにせ既に死んでいる役立たずのために国が延々と金を出さねばならぬからである。無論戦死兵遺族のために支払わなければならぬのは倫理面からは理解できる。理解できるからこそ軍上層部の頭を悩ますのである。ただでさえ経済的に落ち目に入っているシレジアにとって、これは大きい。
「これでカールスバートから領土を奪回したとかカールスバートが滅びたとか無力化された、ならまだ軍事費の圧縮もできたんだろうが……残念ながらカールスバートの脅威は依然としてある。だからシレジアは軍縮はできない。むしろ国防上の問題から言えばもっと軍隊が欲しいというのが本音さ」
「そうなるといくら金があっても足りませんね」
「まったくだ。ホント、戦争ってのは不経済極まりない」
上司は言いたいことを言うと「本部に送る報告書は適当にやれ、どうせ奴らは読まん」とだけ言い残して立ち去った。
変なところで生真面目な補給参謀代理は上司からの命令を冷然と拒否し、シッカリと形式を整えた報告書を書き上げ、それを総合作戦本部に送ったそうである。
12月24日。
国を問わず、大陸中で信仰されている宗教において重要な日である。かつて巨大な国家だった大陸帝国が、国を挙げてこの宗教を潰そうとしたことがあった。しかし時の大陸帝国皇帝は逆にこの宗教に感化され、ついには国教としてしまったのである。以来この宗教は大陸全域に広まり、定着した。そして12月24日は多くの国では祝日とされ、多くの者は家族と共に1日を過ごすのが常識となった。
ただしこの常識は、残念ながら軍隊という聖なる地では通じないようである。
下級兵士ならまだしも、士官であり補給参謀代理でもある彼は簡単に休みは取れない。取れたとしても、兵士たちの休暇申請が集中するこの12月24日に休めるほど彼はまだ偉くない。彼がこの日貰ったのは休暇ではなく、ひとつの手紙だった。
「……俺に公的文書じゃなくて私的な手紙が来るなんてことがあるんだな」
この一言が、彼の日常を的確に表現しているだろう。
その手紙は隣国オストマルク帝国、彼の婚約者である商家の娘からの手紙だった。12月24日に意中の男性の手元に到着するように投函日を調整したのか、ただの偶然なのか。それとも12月24日と言う特別な日に起きた、神の奇跡なのかはわからない。
手紙の内容はひどく簡素だった。軍人に対する手紙は検閲されるのが普通、それも相手はわかっていたので内容は手短に、そして簡潔的だった。
彼は暫くその手紙を読み、そして2度3度繰り返して読み返した。
「そう言えば、ユゼフの野郎もオストマルクにいるんだったな。手紙送って自慢でもしてやろうか」
彼はそう小声で呟くと執務机から便箋を取り出し、士官学校同期生に向けた手紙、そして先ほどの手紙の返事を書き始めた。
30分後、彼は事務処理を滞らせた責任として残業を命じられた。無論、超過勤務手当は出ない。
ラデックさんは理想的な勝ち組人生を送っています(軍の士官で高給取り、死ぬ危険が少ない後方勤務、家柄のしっかりしている美人の婚約者あり。爆発しろ)




