曾孫と大甥
シレジア王国の西、前世世界でドイツ帝国と呼ばれた位置にリヴォニア貴族連合という国家がある。首都はリヒテンベルク。そしてこの国は他の国家とは趣を異にする体制の国家だ。
リヴォニア貴族連合という国家には、国王も皇帝も存在しない。いるのは貴族だけだ。
元老院と呼ばれる合議集団がリヴォニアの立法、行政を司っており、元老院議長が国家元首となる。そしてその元老院は15の貴族によって運営され、構成は常任貴族と非常任貴族に分けられている
常任貴族はウェーバー公爵、ディートリッヒ公爵、ビアシュタット公爵、ヘルメスベルガー公爵、そしてザイフェルト公爵の計5家であり、残りの10家は非常任貴族である。常任貴族はその名の通り、元老院から除名されることはない。また元老院議長の座もこの常任貴族の4年毎の持ち回りによるものである。現在、元老院議長の座にはザイフェルト公爵がついている。
非常任貴族は全て伯爵以上の貴族で、そして2年毎に半数の5家がリヴォニア貴族による選挙によって選ばれる。不文律によって2期連続で非常任貴族に選ばれることはない。
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12月10日午後6時。
俺はフィーネさんとエスターブルクの大衆食堂で逢引、もとい情報交換をしている。と言っても現状俺が情報を貰っているだけなのだが。
「セルゲイ・ロマノフの母親の身元が分かりました」
「……シレジアで耳にした噂では、確かリヴォニアの貴族らしいですが」
確か、エミリア王女がこのことについて言及してたな。
「えぇ。どうやらその噂は事実だったようです。セルゲイの母親の名前はアニーケ・ロマノワ。旧姓はフォン・レーヴィです」
「レーヴィ……? 聞いたことありませんね」
「そうですね。レーヴィ家は男爵家です。知らないのも無理はありません。しかしそのレーヴィ男爵家が、ザイフェルト公爵家の遠戚である、と言ったらどうします?」
「ザイフェルト公爵!? 元老院議長の!?」
つい大きな声を出してしまった。フィーネさんは右手人差し指を唇近くで立て小声で「静かに」と忠告した。追跡者の様子を窺って見るが、どうやら気づいてないようだ。フィーネさんの随員が騒いでくれてるおかげだ。
でも予想外に大物だな。東大陸帝国の次期皇帝候補が他国の大貴族と血縁関係があるとすると……うん、オストマルク帝国の二の舞になる可能性がある。
「イヴァンⅦ世が、女系男児を無理矢理皇帝に据えようとしている理由が垣間見えますね」
「えぇ。歴史を繰り返したくないのでしょう。セルゲイ帝国建国だなんて、まるで我が国の歴史を見ているようです」
オストマルク帝国初代皇帝ユーリ大帝はロマノフ皇帝家の人間だったもんな。
「しかし無理矢理帝位を曾孫につかせれば、それこそセルゲイ派が騒ぎ立てるでしょう。下手を打てば内戦になりかねません」
「そうですね。イヴァンⅦ世にとってはどちらにしても最悪の結果を生み出す、哀れなことです。我々にとっては高見の見物と行きたいところですが」
「でもそれは……」
「えぇ。見物料は高くつきます。シレジア1個分の領土が必要でしょう」
曾孫が男児ではなく女児だった場合はどうなるか。その場合セルゲイ・ロマノフが帝位につくのは確実だろう。すると東大陸帝国とリヴォニア貴族連合は血の繋がりと言う強いパイプを持つ。下手をすれば同盟を組むかもしれない。そして同盟を組んで真っ先に潰すとしたら、やはりシレジアだ。両国が同盟を組めば、それはすなわち緩衝国家シレジアの存在意義の消失である。これは結構きつい。
では、もし仮にイヴァンⅦ世の曾孫が男児で帝位についたら。その場合イヴァンⅦ世は貴族の支持を得るため外征に勤しむだろう。真っ先に狙われるのはシレジアで間違いない。おまけでラスキノも掻っ攫うかもしれない。よしんばその西征を凌ぎ切ったとしても、その場合イヴァンⅦ世が失脚してセルゲイ・ロマノフが帝位につくだけだ。
どっちを取ってもシレジアの滅亡は避けきれないのか……。
「シレジアの余命は持って1年と言ったところでしょうか」
「……そう、ですね」
これは、些か読みが甘かっただろうか。
「ワレサ大尉。この状況でシレジアを救う手段は限られています。その中で最も賢く現実的な選択肢は、我が国と同盟を組むことなのです。さすれば、いかに東大陸帝国やリヴォニア貴族連合が巨大な国家だったとしても、下手に手を出せないでしょう」
「……」
「大尉」
フィーネさんの意見は、おそらく正しい。
シレジア単独ではいずれ滅びる。であれば、どこかの国と同盟を組むしかない。シレジア周辺でそれなりの国力を持つ国と言えば、東大陸帝国、リヴォニア貴族連合、オストマルク帝国のどれかだ。
そして、東大陸帝国とリヴォニア貴族連合はシレジアを併呑する気満々だ。シレジアに好意的なのはオストマルク帝国だけ、ということになる。
オストマルク帝国がシレジアを罠に嵌めて、自国の属領としようとしているという可能性も考えたが、すぐにその考えは捨てた。オストマルクがシレジア相手に、そんな遠回しな手段に出る必要性がわからなかった。
「フィーネさん」
「なんでしょうか」
フィーネさんは相変わらず、こちらを見ない。
「……エミリア王女殿下と、リンツ伯爵に伝えて欲しいのです。『ユゼフ・ワレサはオストマルク帝国と協力することに賛成だ』と」
「……『協力』ですか」
「えぇ。同盟はダメです。国内の問題があります。非公式の協力体制を敷き、共通の敵に対し共同で対処することを目的としたものを。非公式であれば、何かと動きやすいでしょうし」
「なるほど確かに……。わかりました。では、そう伝えておきます」
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12月10日午後6時15分。オストマルク帝国帝都エスターブルクにある小さな大衆食堂で、国境を越えた大きな密約が交わされた。
この密約が大陸の歴史をどのように動かすのか。その答えを知るものは、生者の中に存在しなかった。




