未来を見据え
時は11月17日まで遡る。
11月17日と言えば、ユゼフ・ワレサはオストマルク帝国に駐在武官として着任した日であるが、同じような出来事がシレジア王国にもあった。この日、在シレジア王国オストマルク大使館の人事が刷新されたのだ。特命全権大使1名、公使2名、参事官以下の文官7名、そして駐在武官3名、合計13名が入れ替わったのだ。これはオストマルク大使館員の約3分の1にあたる。
この人事は当然シレジア王国上層部でも話題となり、不安を煽っていた。オストマルク帝国は何を考えているのか、と。オストマルク帝国外務省の公式発表によれば「内部調査の結果、在シレジア大使以下数名の館員に不適切行為があったため本国に召還した」とされているが、どこまで本当なのか知れたものではなかった。そしてこの不安は、エミリア王女とその周辺の者たちがここ数日間活発に動き回っているという情報と組み合わさり、大公派の大貴族にとって不気味な物となっていた。
だがその不安は翌11月18日、オストマルク帝国全権大使ベルンハルト・レクサ・フォン・フォックス子爵の行動によって掻き消えることになる。フォックス子爵は11月18日、大使館着任の挨拶として国王フランツに謁見した後、カロル大公の下に訪れたのである。シレジアの最高権力者であるフランツへ謁見するのは当然として、その次にカロル大公を選んだと言うことは普通、「フォックス子爵は、カロル大公が次期国王になるものだと考えている。もしくは支援しようとしている」という事と同義である。そしてフォックス子爵はカロル大公との会談から4日経った11月22日に、シレジア王国軍総合作戦本部高等参事官でもあるエミリア王女と会ったのである。
カロル大公を優先し、そしてエミリア王女を4日間も待たせた。この事実によってカロル大公派貴族は安堵し、そして狂喜した。オストマルク帝国が味方に、少なくとも敵ではないと確信したからだ。
だがそれこそが、オストマルク帝国外務省とエミリア王女派貴族の仕組んだ策だと気づいた者は、王宮内では皆無だった。
11月27日。
シレジア王国軍総合作戦本部高等参事官執務室。エミリア少佐は、その長ったらしい役職名の割に仕事が与えられていない状態が続いていた。過日の着任歓迎会でも有効な人脈作りを果たすことができず、また能動的な人脈作りも、彼女の置かれた微妙な立場が妨害をしていてなかなかうまくいかなかった。その微妙な立場を作っているのが、他でもない「高等参事官」という役職名である。
王国軍総合作戦本部は上から、本部長、次長、各部局長、参事官、理事官……となり、高等参事官という職は本来はない。普通に考えれば参事官よりは上となるのだが、参事官は通常中佐以上の者が任官される。エミリア王女は、未だ少佐の身。高等参事官を名乗るのであれば准将、せめて大佐の身分が必要である。王族だから逆らえない。しかも高等参事官という大層な身分。しかし階級はたかだか少佐。従えばいいのか従わなくていいのか、部下たちの悩みは延々と続き、結局曖昧な返事しか出せないのである。
「エミリア高等参事官殿、いかがなさいましたか?」
「マヤ……、あの、その呼び方は……ちょっと……」
「はいはい。エミリア殿下」
エミリアにとっては“殿下”もダメなのであるが、そこは立場と言うものがある。
「それで、どうされたんですか。まるで異国の地にいる殿方を思い馳せてる様な顔をしていましたが」
「あら、そうでしたか?」
無論その様な殿方というのはいないのだが。
「……いえ、別に将来について考えていたのですよ」
「将来?」
「えぇ。もし私がシレジア国王となった場合の話です」
「……それはまた結構遠い話ですね」
「そうですか? 場合によっては、明日そうなる可能性もあるのです。例えば……そうですね、お父様と叔父様がキャベツにあたる、とか」
「もしそうなれば宮中の人間の首が4、5本必要になりますね」
王族に仕える者は、どこの国でもいつの時代でも毎日の仕事に命を懸けている。
「冗談はさておき。私が国王になった時の展望が見えなければ今何をすべきか、誰と組めばいいのかがわかりません」
「捕らぬ狸のなんとやら、に聞こえますが?」
「作戦計画です」
「物は言いようですね」
「仕方ありません。闇雲にやったところで成果が上がるわけではありませんから。順序立てて、ゆっくりとやります。30年経とうがやってやりますとも!」
無論、今の調子で30年が経てばシレジア王国は間違いなく滅びるのだが。
「ふむ、では、エミリア王女の描くシレジア王国とはどういうものですか?」
「……そうですね。抽象的で申し訳ありませんが他国の脅威に怯えず、国民が平和に、自由に生きていける国、でしょうか」
無論、この至上命題はどこの国の長も求めているものである、一応。そしてそれが最も難しいことだと言うことも。
他国の脅威を決定づける要因は様々だ。経済力や軍事力、技術力、地政学的な位置、時には名誉や矜持、思想などと言う曖昧なものが巨大な脅威となって国に振りかかってくる。これらの要素をすべて排除できる国というものは歴史上極めて数が少ない。それを達成するための助けとなるのが学問である。
「立派な考えですが、それができれば苦労はありませんね」
「そうですね。私ごときにそれができるのであれば、この大陸から戦争というものは消えていたはずです」
「では、別の方面から見る必要があります。カロル大公には成し得ず、エミリア殿下にしか出来ない事をするしかありませんね」
「叔父様にはできない事……ですか」
カロル大公はこの年40歳。もし彼に王位につく気があるのであれば、そろそろ動き出さないと老衰という終着点が見えてくる年齢である。それ故に彼は急がなければならないのだが、カロル大公派の動きは鈍い。
「叔父様は何をしたいのかが問題ですね」
「大公殿下が?」
「もし叔父様が王位、もしくはそれに準ずる地位に就きたいのであれば、父と私を暗殺するのが早いです」
「えぇ、ですがそれは」
「はい。危険性が大きいです。だから動かない、そう思っていたのですが……」
だがそうではない理由があるのではないか、とエミリア王女は思っていた。物証があるわけではない、言うなれば女のカンである。
そのカンが一層強くなったのは、東大陸帝国皇帝家の後継者争いの情報を耳にした時である。
「カロル大公はセルゲイ派ではないかと思います」
「理由をお聞きしても?」
「……実は、先日オストマルク帝国大使から情報を得ました。それによりますと、セルゲイ派貴族の中にはアレクセイ・レディゲル侯爵の名があったのです」
「レディゲル侯爵……確か、帝国軍事大臣の?」
「えぇ。そして同時に上級大将でもあります」
アレクセイ・レディゲル侯爵の名は東大陸帝国に留まらず、大陸各国の首脳部の脳裏に焼き付いているほどの著名な人物だ。東大陸帝国で何かが事件が起きれば、その事件の縄を手繰り寄せれば軍事大臣に辿りつく、と言われている程に。
「未確認情報ですが、5年前のシレジア=カールスバート戦争も彼が一枚噛んでいたそうですし」
「とすると、カロル大公が目指すシレジアの未来は、レディゲル侯爵が描く未来とほぼ同一であるということですかね」
「わかりません。同じ未来でも、大公には三角形に見え、侯爵には円形と認識しているかもしれません」
「いずれにしても侯爵が何を求めているのかが気になりますね」
「えぇ。侯爵が、実権を握りやすい赤子ではなくセルゲイを擁立させようとしている理由も、その未来のためなのでしょう」
「何をしようとしているのか……。シレジア=カールスバート戦争を引き起こした理由は、いくつか思いつきますが」
マヤの言う「いくつか思いつく点」は、遠く離れた異国の地においてフィーネ・フォン・リンツが指摘した点とほぼ同じである。つまりシレジア=カールスバート同盟の阻止、そしてシレジア貴族に対する牽制。
「でも、悪名高きレディゲル侯爵のことです。もっと何かがあっても驚きません」
「例えば?」
「そうですね。気づいたらシレジアの王権が転覆して東大陸帝国の属領になっていた、そしてその属領の総督にはカロル大公が任命された……とかですか」
「……想像したくありませんね」
「えぇ。と言うより、想像できません。確かに東大陸帝国にとって血を流す量が少なくて効率的です。しかしカロル大公が属領総督の地位になってしまうと、シレジア人民の非難を一身に背負うことになります。下手をすれば……」
そこで、エミリア王女の言葉が止まった。想像できない事態の先に、本当に想像もしたくないような悍ましい未来を予想してしまったからである。
無論、その予想は物証も何もなく、エミリア王女の思考の暴走が生み出した考えである。エミリア王女はそう自覚し、それ以上の予想を強制的に止めたのである。
「殿下?」
「い、いえ。なんでもありません。とにかく、何をするにしても情報がありません。暫くはオストマルク帝国の力を借りることになりますが、いずれは自分たちの力で情報を得なければなりませんから」
「わかっています。そのためにもまずは対外情報機関の拡充ですね。内務省治安警察局を基盤としますが、いずれは王家直轄の別組織として独立させたいところです」
「あるいは、この総合作戦本部に設置されている情報局との統合も視野に入れましょう。問題となるのは、大公派ではない、信頼できる人材がいるかどうかですが……」
こうしてエミリア王女は高等参事官という曖昧な役職で、自らの理想の為に戦い始めている。
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エミリア王女が総合作戦本部にて孤軍奮闘する中、王都シロンスク郊外にある駐屯地では怒号が飛び交っていた。
この駐屯地には、王国の精鋭にして第一王女専門の護衛部隊である近衛師団第3騎兵連隊が配置されている。その近衛師団第3騎兵連隊第15小隊に、若手の女性士官が着任したのは11月13日のことである。
第123期士官学校騎兵科次席卒業。しかも女性で、噂によれば大変美人。それだけで、部下となる予定の者たちの士気は天井知らずだ。そして実際に彼女を目にしたときは、それは最高潮に達する。
燃えるような真っ赤な髪色に、容貌の整った顔立ち、そして毅然とした態度。俗的な言い方をすれば「美少女」であった。そんな指揮官の下で働けるなんて、と部下は誰しも思ったことだろう。いや、部下だけではなく、彼女の直属の上司にあたる連隊長までもが似たような事を思っていた。
これからの仕事はきっと良いものになる。そう思っていた。
だがその未来予想は、30分も持たず崩壊することになる。
「そこ! もたもたしない! あんたは馬も満足に乗れないの!?」
彼女はある意味では軍人らしく、ある意味では美少女らしからぬ口調で部下に罵詈雑言の嵐をぶちまける。失敗すれば殴り、刃向うものなら金属剣を構えるほどの鬼教官だった。部下たちは決して無能と言うわけではない。彼らは一応エリートである近衛師団の隊員であるのだから。だが、近衛師団の仕事は典礼や儀礼的なものが多く、実戦で戦うことを目的としているわけではない。その新任の指揮官はその状況を憂い、部下たちに騎兵隊の何たるかを再認識させるために、実戦形式の訓練を採用したのである。
無論、この状況に対して連隊長は困惑し、そして諌めた。だが、新任の士官は真っ向からその忠告に反論した。
「儀礼とか典礼とかそういう物が、実戦で役立ったことあるの!? それでエミリア、殿下が守れるわけ!?」
上司に対して敬語も使わず物怖じもせず、連隊長の顔面に唾を吐きかける勢いで叫んだ。彼女の言には一理ある。しかし、王族と言うものは基本的にはシロンスクから出ない生き物だ。海外へ行くにしても、直接の護衛は親衛隊の管轄である。親衛隊であれば賊程度なら簡単に蹴散らせる実力を持っている。故に近衛師団の主な仕事は、王都にやってきた賓客に対する典礼や出迎えになるのだ。
「じゃあ、もし王女が戦場に赴くことがあれば、連隊長殿はどうするの?」
そんな事態はありえない。と、彼は言えなかった。
現在王女は王国軍少佐でもある。もし王女が実戦指揮を強く望めば、軍務省や総合作戦本部は止めることはできない。それに王族が軍を率いることはそう珍しい話ではない。古くは大陸帝国初代皇帝ボリス・ロマノフ、シレジアの例で言えば第2代国王マレク・シレジアだ。もしその列に王女が参加すれば、彼女が率いることになるのは、間違いなく近衛師団第3騎兵連隊だ。親衛隊はあくまでも護衛が任務であり、実戦部隊ではない。
「実際に戦場に出て、そして王女殿下が指揮をする。なのに指揮する部隊が実戦では役に立たなかったらどうするの?」
もしそうなれば近衛師団は壊滅し、王女は戦死するだろう。
「答えは出たわね。もういい? 訓練の続きをしたいから」
彼女はそう言い放つと、連隊長の返答を待たずしてその場から退出した。
近衛師団第3騎兵連隊が王国最強の騎兵隊としてその名を轟かせるに至ったのは、彼女が着任してからわずか数か月後のことである。
いつの間にかBM8,000件越え、総合ptも20,000まであと少しという所になっていました。みなさん本当にありがとうございます。拙作ではありますが、今後ともどうか御贔屓に。
PS.ローマ出ません




