接触
12月10日午後5時30分。
フィーナ、もといフィーネさんに手紙で指定された店は、エスターブルクの低所得者層が住む区画にある大衆食堂だった。「空いてる席に適当に座れ」と言われたので、ぼっちな俺はカウンター席の端を選んだ。テーブル席は寂しくなるだけだし、相席になったら嫌だし。
店の中は、汗臭さと煙臭さで充満していた。鉱山労働者だか工場労働者のナリをしているオッサン達がひしめき合い、そこら中でタバコと酒を楽しんでる様子。そしてやかましい。ガハハハハと野太い声で、大声で会話するオッサンがそこら中にいる。
カウンター席について暫くすると、隣の席に女性客が来た。服装はマッチ売りの少女だか魔女に会う前のシンデレラが着ていそうなボロい服。何も知らなければ「家が貧しいから頑張って工場で働いてる可哀そうな女の子」にしか見えない。でも実際は彼女は伯爵の娘にして士官候補生、金に困っているはずがない。
「こんばんは」
彼女は、掻き消えそうな小さな声でそう挨拶した。隣の席に座っていなければ、周囲の喧騒によって聞こえないだろう。俺も小声で「どーも」とだけ返す。
「随分変わった友人と来ているようですね?」
彼女の言う「変わった友人」とは、俺らの2つ後ろにあるテーブル席に座る男性客2人だろう。この大衆食堂に似つかわしくないピッチリとした恰好をしていて、なぜか俺をチラチラ見ていた。うん、間違いなく追跡者ですね。見覚えがある。そんな恰好されたら怪しさ満点だぞ。
「ま、農民相手に本職を連れてくるのが間違いですよ。おかげで分かり易くて良いですが」
「それもそうですね」
彼女は相変わらずこちらを見ない。素人とはいえ追跡者がいる状況では不自然に横を見るわけにはいかないだろう。
「そう言うフィーナさんこそ、変わった随員がいるようですね」
「……なんのことでしょう」
彼女は視線だけこちらに向けた。ツリ目のせいか一層ぎらつきがある気がする。
「1つ後ろの席でギャーギャー騒いでいるあの2人の男性客。あれ、フィーナさんの随員では?」
「あら、私には普通の工場労働者にしか見えませんが?」
彼女は一度も後ろを見ずにそう言った。どうやらフィーネさんは背中にも目があるらしい。
「服装をみればわかります」
「……単なる労働者の服に思えますが?」
「そうですね。でもその服が問題です」
「と言うと?」
「確かに服は工場労働者のソレです。汚れているし、皺も寄っている。でも汚れの多さの割には解れがひとつもないんですよ」
どんな工場で働いているか知らないが、あんなに服が汚れるほどの仕事ならば、解れや穴があったっていいはずだ。だけど、その点に関しては新品同様なのだ。
「極めつけは手ですね」
「手?」
「えぇ。服はあんなに汚れているのに手は綺麗なまま。肉体労働者特有の手のごつさというのもありません。それに爪がよく手入れされているように見えます」
「……なるほど」
と言ってもこんなの余程注意深く見ていないとわからない。追跡者の存在を注意深く観察していたからこそ、こんなちょっと違和感ある人間を見つけたのだ。
俺に対する追跡者の可能性もあったけど、俺が店に入る前から居座ってたようだし。第一こんな手の込んだ追跡者を用意するのは、あんな職人芸の塊の手紙を書いたであろうフィーネさんだろうなと思ったわけで、ちょっと突っついてみたのだ。
「確かにアレは私の随員です。護衛とか雑用とか妨害役と言っても良いでしょう」
「妨害役、ね」
彼らは先ほどから迷惑なほど大声で会話をしている。おそらく俺らの会話に聞き耳を立てられないようにするための行動なのだろう。
「まぁ、貴方が指摘した点は後で私から伝えておきます。彼らはまだ新人ですから」
「ほう。すると、あの人たちは伯爵の部下ですか」
「えぇ。父の部下にして、個人的な知り合いらしいです。追跡の腕はともかく、信用はできます」
追跡の腕ね。追跡と言うのは俺の追跡のことなのか、それとも追跡者の追跡なのか。よくわからん。
「貴方も王族や貴族との繋がりは大切にすべきです。彼ら自身の能力はともかく、コネは便利ですから」
「……肝に銘じておきます」
こういう便利な人を知っている貴族と言えば誰だろうか。エミリア王女はまだ人材作りの途中、俺に駐在武官を命じるくらいだ。だとすると公爵令嬢のマヤさんか、内務尚書の娘のイリアさんかな……。
「ところで、あの手紙を書いたのは大尉自身ですか?」
「勿論ですけど……何かまずかったでしょうか」
秘匿の仕方が下手だとかそういうのだろうか。
「いえ、日付の仕込み方は秀逸でしたよ。自然な形で12月10日が出て来ましたし、私の書いた手紙との関連性がありました」
あ、やっぱりあの手紙フィーネさんが書いたのか。どこぞのオッサンの代筆という可能性もあったから怖かったんだけど、そうか彼女の直筆か……。よし、大切にしよう。
「でも、問題の文が赤点です」
「その心は?」
「あんな恋文を貰っても女性は惹かれません。あれじゃ女性どころか魚も釣れませんよ」
「……こりゃ手厳しい」
ていうか口説くためにあの手紙書いたわけじゃないし。そもそもあれ既にデレデレなカップルな設定だったじゃん。でもフィーネさんは指摘をやめない。あそこでああいう風に書かれるのは萎えるだとか、逆にここでこう書いたのは良かったとか。俺、何しにここに来たんだっけ……。
「フィーナさん、そろそろ本題に入りましょうか」
「む……。わかりました」
彼女は若干不満そうな表情を見せたが、すぐに顔の形を元に戻した。
「御呼びした理由は主に2つあります。1つはエミリア王女、もう1つは東大陸帝国のことです。どちらから聞きたいですか?」
「……とりあえず、エミリア王女のことからでお願いします」
どうやら、今日は長い夜になりそうだ。




