次席補佐官の日常
翌、11月26日。エスターブルクに来てから何度目かの休日である。ちなみにスターンバック准将は二日酔いで沈没。挨拶しようとしたら「大きな声を出すな」と言われてしまった。
俺は比較的仲が良くなった書記官の人に外出の意思を伝え、大使館の外に出る。持ち物は現金と身分証のみ。身分証は俺が外交官であることを示す重要なものなので、なくしたら一大事だ。
これがあればスパイ映画でお馴染みの「外交特権」が使える。一部税金が免除されたり法律違反をしてもオストマルクの治安当局は俺を逮捕・拘禁することはできない。極端な話、殺人をしても外交特権で逃げ切ることも可能だ。まぁその場合シレジア軍の軍紀やシレジア刑法に引っかかるし、オストマルクも嫌いな外交官に対して国外退去命令を出すことができるから普通に人生終了する。
というわけで自重。食い逃げなんてこともしない。
で、何をするのかと言えば、昨日の話の続きをするための前段階と言ったところだろうか。
フィーネさんとの会話は大変タメになったが、やはり話の内容が内容なだけに何度か直接会って話を詰めないといけない。手紙だと検閲される恐れもある。だから昨日の内に「エスターブルクのどこそこで会う」ということを決めていた。うん、本当にスパイ映画みたいだね。
……で、俺は十中八九尾行されている。第六感を発揮してピキピキンと来たわけじゃない。状況的に考えて尾行されてると思っただけだ。大公派の巣窟にやってきた、王女殿下と交流があった農民出身の士官。怪しさ満点である。俺がスターンバック准将なら尾行の1人や2人つけるね。だからその尾行者がどういう感じの人たちなのかあぶり出そう、と考えて今日の休暇である。休めない休暇なんて嫌だ……。
もし相手がプロの追跡者だったら、たぶん俺の手には負えない。フィーネさんか伯爵に頼るしかないね。一方素人相手だったら、まだやりようがある。農民相手にプロを雇うとは思えないけど。
とりあえず俺はエスターブルクを適当に散歩する。繁華街や官庁街、貧民街も覗きつつ、適当に飯食って買い物して観光する。エスターブルクはシレジアより南にあるものの、依然緯度が高いため16時には日没となってしまう。寒さはシレジアよりはちょっとマシって程度だ。シレジアにしてもオストマルクにしても、気温は水が凍るほどに低いにもかかわらず空は真っ青っていうのは、前世日本じゃありえないような話だ。日本って特殊な気候だったんだなって思うよ。……そう言えばこの世界にも日本ってあんのかな。ちょんまげして刀振り回して、よくわかんないアメリカ人から「カーイコクシテクーダサーイ」とか言われてるんだろうか。ちょっと気になる。
閑話休題。
追跡者は結構あっさり見つかった。街中で「だるまさんが転んだ」をしたら、2人の男が焦って路地に隠れた。俺にもわかる。こいつ素人だ。もしかすると何人もいるかもしれないと思い、適当に歩いて追跡者をあぶり出そうとしたが、見つけたのはその2人だけだった。まぁ、こんな俺に対して4人とか6人とかを割くわけないか。そんなに暇じゃないだろうし。
11月30日。俺に手紙が来た。なぜかこれを届けに来た参事官殿が不機嫌な面をしていた。なにがあったんだこいつ。
差出人の名はフィーナ・ベドナレク准尉。焦げ茶色の封筒の中に入っていた手紙には簡単な挨拶と、シレジア軍内での近況報告と愚痴、苦労話、成功話、そして最後に「あなたがシレジアに戻ったら結婚しましょう」という愛の告白。なんだこれ。
言うまでもなく、フィーナ・ベドナレクという女性の名前なんて俺は知らない。たぶんフィーネ・フォン・リンツのことだろうねこれ。シレジア人女性名風になってるけど。
手紙は単純な読み物としても面白い内容だった。俺の事を詳しく知らない人がこの手紙を読んだら「あぁ、シレジアの士官学校で出会った恋人なんだろうな爆発しろ」としか思わない内容だろう。俺もそう思ったし。フィーネさんがこれ書いたとしたら才能あると思う。軍人やめて小説家になればいいと思う。で、こんな作り話を読ませるためにこんな手紙を寄越したわけではあるまい。おそらく検閲を逃れるためだろう。
うーん、漫画だとどういう風に検閲を逃れてたっけ……。
手紙に穴は開いていない。文字の所に針で穴をあけて文章にする、というわけではなかった。じゃあ縦読みかな? と思ったけどそれも違った。縦に読んでも斜めに読んでも、文末だけ読んでもわからない。難易度高いなオイ。10分ぐらい悩んでみたけどわからなかった。
仕方ない、気分転換するか。そう思って手紙を封筒に仕舞おうとして……で、気づいた。
ナイフを取り出して封筒を解体する。すると、封筒の裏に文字が書かれていたのだ。しかも検閲官が見逃しやすいように、表に宛名、差出人が書いてある所の裏に、小さく、そして薄く書かれていた。これなら見つけにくいだろうな。危うく俺も見つけられないところだった。ここまで来ると職人芸だ。
検閲官が誰だか知らないが、封筒を別の物に変えられたら検閲してるってばれる。でも封筒を傷つけずに解体するのは難しい。そーっと封筒を開けて、何事もなかったかのように閉じるのが限界だ。
で、そこまで苦労して開けたら内容はほぼ惚気話。もしこれを開封した人がぼっちの童貞だったら精神崩壊するだろうな。
……参事官さん、あんたまだ若い。人生これからだよ。
さて、封筒に書かれていた内容はひどくシンプルだった。時刻と場所だけ。日付はない。日付がないのは、俺の日程がわからないからだろう。俺がそれなりに自由に動ける日、つまり休日を伝えなければならない。
返信の手紙が届く時間を考慮すると、次の休日だと間に合わないな。その次の、10日後の休日を手紙に書く。
大使館からの手紙は、機密漏洩を防ぐため全て検閲されるらしい。だから検閲されてもばれないように、フィーナ・ベドナレク准尉という非実在彼女に向けて書く。
彼女に合わせて時節の挨拶、近況報告を交えての惚気話。文章中に1か所だけ日付を書く。その日がフィーナと初めて会った日だよね、とかなんとか書いて。そして最後に「オストマルクより愛をこめて」と書いて終了。……自分で書いといてなんだけど、凄い吐き気がする。そして架空の彼女相手に告白するという精神的拷問、なぜか涙が止まらなかった。
そして送り先は、俺宛ての手紙に書いてあった住所にすればいい。彼女の父、つまりリンツ伯爵は外務省調査局という諜報機関の人間だ。手紙の1つや2つ検閲できるだろう。だから俺は偽名を使わず、身分も隠さずに出す。そして検閲してくれれば、自然と伯爵の手元に手紙が届くと言うことだ。
……うん、スパイって大変なんだね。




