フォン・リンツ
「一応、部屋の中にいる人に聞こえないよう最低限の声量で喋りましょう。スターンバックは酔っているでしょうが、首席補佐官とやらは飲むはずありませんので」
「了解です」
14歳とは思えない落ち着いた声と人となりである。文章だけでやりとりしていたら34歳と勘違いしてしまいそうだ。でも身長は小さい方で、エミリア王女とどっこいって感じだな。
「あと、ジロジロこっちを見ないでください。気が散ります」
「あ、はい。ごめんなさい」
フィーネさんは相変わらずこっちを見てくれない。怪しまれないようにという配慮なのはわかるけど、どうも慣れない。それに相手の表情が見れないのはやりづらい。
「では時間がありませんので、本題に入りましょうか」
彼女はそう言うと、声を少しづつ絞っていく。俺が聞こえるか聞こえないかの声量を推し量るかのように。
「本題に入る前にすこし聞きたいことがあります」
「……なんでしょうか」
彼女の声に少し怒気が混じっていた。声がなんか低くなったし。
「私はリンツ伯爵の事をあまり知らないのです。オストマルク帝国軍少将にして、外務省調査局勤務という情報しかありません」
「そうですね。まずそこから、手短に説明しましょう」
ローマン・フォン・リンツ。
大陸暦598年に、オストマルク帝国のリンツ子爵家の長子として誕生。以後、軍人である伯父から軍事教練を受ける。士官学校卒業後、少尉に任官。その後、軍内部でメキメキと頭角を現していく。そんな中、大陸暦630年の時に当時中佐だったリンツ子爵は外務省調査局へ出向することになった。
「外務省調査局と言うのは……だいたい想像がつきますが、どんな局なのですか?」
「おそらく大尉の想像通りの組織です。平たく言えば対外諜報機関ですよ」
調査局内でも自らの能力を如何なく発揮した彼は、外務省に出向したままの身分で大佐に昇進。そして、彼の運命を大きく変える人物と出会った。
「誰です?」
「祖父です」
「お祖父ちゃん?」
「えぇ。外務大臣レオポルド・ヨアヒム・フォン・クーデンホーフ侯爵。そして侯爵の娘であるカザリン・フォン・クーデンホーフは我が母です」
直属の上司、そして侯爵の娘を嫁に迎えたリンツ子爵の立場は確固たるものになった。侯爵の後ろ盾を得たリンツ子爵は外務省内で出世し、外務省調査局局長となる。その時に起きたのが、シレジア=カールスバート戦争だった。
「大尉は、シレジア=カールスバート戦争の開戦理由をご存知ですか?」
「第三勢力を作ろうと画策するシレジア王国を牽制するために行われた戦争、と聞いていますが」
「そうです。シレジア=カールスバート同盟など、国力や軍事力の差から言えば取るに足りません。しかし、その同盟に我等オストマルクやリヴォニア貴族連合が参入するのを恐れたのでしょう」
「……一応聞きますが、もしシレジア=カールスバート同盟が成立していた場合、貴国はこの同盟に参加する意思はあったのですか?」
「ありましたよ。時間はかかったでしょうが、外務大臣閣下は同盟参加に意欲を示していました。反シレジア同盟などと言うものは、もはや時代遅れです」
シレジアが反シレジア同盟の参加国だったカールスバートと同盟する。それは旧敵国と妥協する余地があるという意思表示でもあった。それはオストマルクにとって朗報だった。オストマルクがその同盟に対して協同歩調を取れば、オストマルクは北の国境線を意識する必要がなくなる。リヴォニアとは歴史的な繋がりがあるため妥協はしやすい。そうなれば、オストマルクは東大陸帝国とキリス第二帝国に意識を集中することができる。
「ですが、カールスバートの政変でこの構想は瓦解しました」
東大陸帝国による干渉によって、シレジア王国主導による第三勢力設立は不可能となる。そればかりか、王国内の大貴族がこぞって親東大陸帝国派であるカロル大公に与する事となる。王女暗殺未遂事件も起きた。「あの国に逆らってはまずい」と、貴族たちにそういう意識を植え付けさせることに成功した。おかげで国王派の勢力は減衰、大公派が益々強くなった。
「予想外だったのは、エミリア王女の勤労意欲が突然目覚めた事です。いったい何があったのでしょうね」
フィーネさんはそう言ったが。口調や表情を見るに、たぶん答えを知っているのだろう。
何があったか。10歳の女の子が目にしたのは残酷な戦場と、残酷な大公だったはず。普通なら勤労意欲が目覚めるどころか引き篭りそうなんだが。
「でも、そのおかげで我々も動くことができた。エミリア王女を国王に擁立し、シレジア=オストマルク同盟成立を目指せばいいと」
「ですが、エミリア殿下はまだ国王に足る人脈を持っていません。大貴族の支持が得られねば、我が国とオストマルク帝国との間にある確執を埋めることができません」
前にも言ったけど、オストマルクに割譲させられた元シレジア領の帰属問題は重大だ。
「旧シレジア領土の問題を棚上げできればそれに越したことはありませんが、返還に向けた交渉をすればオストマルク国内の貴族の反感を買うかもしれませんね。正当に手に入れた土地をわざわざ返すなんて、とね」
「えぇ。そしてそれはシレジアでも同じです。問題を棚上げにすれば国内の不平派、要は大公派が騒ぎ立てるでしょう」
「ですから、エミリア殿下が国内の基盤を確固たるものにせねばならぬのです。それまで、この同盟の可否については即答できません」
逆に言えば、エミリア王女殿下がシレジアにおいて主流派となれば、オストマルクとの同盟はむしろ歓迎なのだ。
「ですが、我々には第一王女の成長を黙って見守るだけの時間的な余裕はありません」
「……と言うと?」
「大尉は、現在東大陸帝国で行われている帝位継承問題についてはご存知ですか?」
知ってる。
セルゲイ・ロマノフと、半年後生まれるかもしれないイヴァンⅦ世の皇太曾孫との争いだ。
「現在、東大陸帝国の名だたる貴族はセルゲイ・ロマノフを支持しています。それに反発する貴族や一部不平派が、エレナ・ロマノワの子を皇帝に擁立しようとしている。イヴァンⅦ世もエレナの子に期待してるようです」
「その問題は聞き及んでいますが……それがエミリア王女の問題と、何か関係が?」
「大ありですよ。現皇帝イヴァンⅦ世は凡君です。それゆえ貴族に対する影響力が小さく、後継者問題で揉めることは必至です。そこでイヴァンⅦ世は、何かしら実績を残して発言権を強めようと画策するでしょう」
「……老い先短い皇帝が早急に残せる実績と言えば、一つしかありませんね」
「お察しの通り、外征です」
なら、おそらく攻められるのはシレジア王国だろう。オストマルクやキリス相手では被害が大きい。早急に準備してさっさと勝てる相手と言ったらシレジア王国だけだ。
「シレジアから奪った土地はセルゲイ派の貴族に分け与えるつもりでしょう。それを餌に、イヴァンⅦ世は自分の勢力を広げるつもりです」
「勝てればの話ですがね」
「……大尉はあの大国に勝てる自信がおありで?」
フィーネさんは少し驚愕の表情を浮かべながら、初めて俺を見てくれた。ふむ。凛とした顔つきをしてらっしゃる。性格はきつそう……いやきついな。現在進行形できついから。
「勝つことは無理でも、負けないことに徹するならばまだやりようがありますよ」
と言っても俺はまだ大尉。せめて大佐くらいにならないと戦局全体に口は出せないかな。
「大言壮語を言う人ですね」
「それは失礼」
「でも、オストマルクが本当に味方についてくれるのならば、勝機は見えます」
「……どういうことです?」
フィーネさんの語尾が少しきつくなった。「オストマルクがシレジア助けないと思ってんのか? お前俺らのこと信頼してないんか、あぁん?」って感じで。
「フィーネさんに聞きますが。もし今、第三次シレジア分割戦争が起きた場合、貴国はどうしますか?」
「……」
オストマルクが自らの安全を優先するのならば、東大陸帝国とリヴォニアに妥協して三度目の分割戦争をした方が良い。長期的にはどうなるかわからないが。シレジアと同盟して、このふたつの国と相対するかと問われれば、それは「いいえ」と答えるしかない。東西から挟み撃ち、オストマルク帝国がいかに強大な国だとしても、これじゃ勝算は低い。
「……そうならないようにするための同盟を、貴国に望んでいる」
フィーネさんは低い声でそう言うと、俯いてしまった。事実上の「いいえ」回答だろう。同盟結ばないと言うのならオストマルクはシレジアを滅ぼす、とね。
「だが貴国にとってはもはや選択肢はないのだと思う。我々のように、自分から同盟を申し込んでくれる大国など、この大陸にはない」
それは正論だ。シレジアがオストマルクに泣きつくならまだしも、オストマルクの方から言い出してくるなんて。
「……同盟の件、検討致します」
今はそれしか言えない。でも、皇太曾孫誕生までまだ5か月ほどはあるはずだ。
数分後、フィーネさんの護衛対象である男爵が部屋から退出した。それを見計らって俺も部屋に入ってスターンバック准将の出迎えを……できなかった。准将は撃沈していたからだ。お前何があったんや。ダムロッシュ少佐に目を向けてみると、彼も困惑していた。
「……大尉。とりあえず閣下をお運びするのを手伝ってくれ」
オストマルクの酒、恐るべし。そして男爵の前で撃沈するほど飲んじゃう准将の精神もどうかしてる。
 




